幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」なのです。
このブログでは、ただの批判ではなく、幸福の科学教義の限界と代案提示を試みます。
Amebaでブログを始めよう!
このたびアメーバブログから、FC2ブログに引っ越すことにしました。

新しいブログは
「幸福の公式~幸福の科学を統一教会の信者が見ると」

ほぼ同じです。

過去記事も、まだ整理ができていませんが、そのまま移植しています。

気のせいか、私のインターネット環境のせいか、
最近アメーバブログがやたら重く感じられて
ストレスに感じていました。

友人に相談したら、
「FC2ブログは軽くて快適だよ」ということで
速攻で引越し。

ということで、
今後共変わらずよろしくお願いします。

新しい記事は引越し先のブログで御覧ください。

リンクの張り替えとか終わるまで
しばらくはこのブログも放置しますが、
そのうちFC2に一本化します。

「兄弟ケンカは親が治める。」

これは30年前、教会の先輩に
「民主と共産の戦い、
米国とソ連の戦いはどうやって解決するんですか?」
と聞いたときの答えだった。

神様の目からみたら一つの国も
一人の人間に見える。

国と国の争いは、兄と弟の争いに見える。
兄弟ケンカに見えるだけだというのだ。

それで、兄弟ケンカは親が治める
というわけだ。

親イコール神様、
つまり神様のような
親の「愛の心」と「真理からくる智恵」があってはじめて
和解させることができるのだと。

争う自分たち兄弟を見て悲しむ親の気持ちが
本当にわかったならば
それ以上争うことはできない。

なぜ人と人が争うか?
国と国が争うか?
それは神と人間との親子の関係が
切れてしまった結果と言える。

個人、家庭から国家、世界の問題にいたるまで
同様だ。

幸福の科学ブログ村でも
信者さんどうしの争いが絶えないようだ。

どちらが正しいとか間違いとかではなく
誰か親のような心で見つめる人がいなければいつまでも平行線だろう。

悲しむのは主なり。

けい子の『夢は夜ひらく』というブログがある。

「インスピレーションが降りてきました」ということで
面白いことが書いてあった。


「あるアンチさんのブログを読んでいると、インスピレーションが降りてきました

それはなぜ女性が、幸福の科学の信者を続けるのか?

女性は理性ではなく、感情で動く

だから男性が理性で、大川さんはおかしいと考えていても、女性にとってはそんなことはどうでもいい

「大川総裁が好き」の感情があって離れられないのだ、ということでした」



たしかに、
男性が幸福の科学を批判するときは
知的に、
あれはおかしい、これはどうなの?と
理詰めで批判する。

しかし、
女性は知でなく情で判断する。

「好きか嫌いか」

理屈ではない、情なのだ。


これは確かにそうかもしれない・・・、鋭い指摘
と思ってしまった。

詳しくはけい子さんのブログを。



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少し前に、「なぜブログ村の幸福の科学カテゴリーなのか?
統一教会のカテゴリーには入る気はないのか?」
というような質問をいただいた。

ひとことで言うと
内輪だけで通用する者ではありたくない
というのが理由である。

同じ信仰の仲間とともに、
同じ仲間のなかで通用するような話をして
盛り上がるのは簡単。

(それはそれで意義があると思う。)

しかし、
仲間の集まりから離れた場所で
自分の考え、意見を発信するのは簡単ではない。

たくさんの人の批判の目にさらされるから。

「何馬鹿なこと言ってるんだ」と、
読む人が100人いたとしても
共感してくれるのは
1人もいないかもしれない。

だからこそ、あえて仲間から離れて発信したい。

統一教会の信者でもなくアンチでもない
そんな人たちに向けて発信したかったのだ。

そのためには、
自分自身の考えも練られていなければならないし、
生半可な受け売りではなく
自分の言葉で表現しなければならない。

前に、「漏尽通力」という記事で書いたことがある。

相手と自分の違いがわかること、そしてその違いを埋めるべく、わかりやすく解き明かすことの出来る能力、これも「漏尽通力」である。

幸福の科学のこの教えは、とてもためになった。

ひとりよがりや自己満足、独善的にならないように
気をつけたい。

ブログは、自分にとって
日々成長できる良き場だと思う。

(ブログというのは「ブログ村」のことではなく、「ブログそのもの」のこと。)


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「北朝鮮に対して
対話で解決なんてどだい無理、
武力でさっさと制圧してしまえ」

という論調がある。

半分正しく、半分間違いだと思う。

中国や北朝鮮が
まったく思想体系の違う共産主義国家であり
ならず者国家、
ヤクザのような国であり、
対話が成り立たないというのは事実だろう。

しかし、かと言って
武力でさっさと制圧・・・というのは
短絡すぎる。

それではあまりにも智恵が無さすぎである。


統一原理には、以下のように書かれている。
(書かれたのは1960年代)


(第3次大戦は必然的に起こる
それは民主と共産の戦い・・・という記述の後で、)
その戦いには二つの道がある。
第一は、武器でサタンを屈伏させることであり、
第二は、理念による内的な戦いである。

この中で、いずれの道を選ぶかは、
人間の責任分担の遂行いかんによって
決定されるのである。



どこまでも理念による戦い、思想戦で終わってほしいのが
神の願いであり、人の願いもそうだろう。

だからギリギリまでその道を模索するのが正道である。

もちろん、対話のテーブルに着かせるためには
力も必要だし、知恵も必要だ。

こちらに圧倒的な強さがあれば
相手も強くは出れない。

また、日本一国でできることではない。

自由、民主主義という、共通の価値観をもつ国々が連携し
包囲網を築くことも
北朝鮮、中国の解放をうながすうえでは重要である。

米ソの冷戦が、武力衝突を免れ
ソ連の崩壊で終わったように、
ベルリンの壁が、血を流さずに壊れたように、
武力による戦争ではなく、
中国、北朝鮮も、
理念による戦争、つまり思想戦、智恵の戦いによって
内部から共産政権が崩壊し民主化される道があるのではないか
と思う。



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