さっきテレビを見ていたら、地球温暖化の特集がやっていて、ケニアの遊牧民・トゥルカナ族が”地球温暖化のカナリア”と呼ばれ、温暖化によって真っ先に直接犠牲になる民族だと予想されていることを知りました。
温暖化による干ばつで、家畜が育たなくなり、必然的に食糧難に陥っているのだそうです。


「家畜がいなくなったらわたしたちの民族は地球から消えてしまうのです」
「伝統衣装はすべて手放しました。家畜がいなくなり、こんなにも貧しくなってしまっては…」
「本当に子供たちには何の未来もありません」
などと語るトゥルカナ族の人たち。枯れ木で薪をつくり、日本円で80円くらいにしかならないそれを週に2回、町に売りに行く映像を見ると、どうにも切なく、さっきまで「ほんと彼氏が出来ないな~わたしってやっぱ人として終わってんのかな~」なんて真剣に悩んでいた自分を絞め殺したくなります(でも明日になったらまた悩んでるんだろうけど…)。


何千年も前から同じ生活スタイルを保ってきた人々が、遠い国で大量に排出されている二酸化炭素の影響で、もしかすると民族自体が消えてしまうかも知れない。
神の視点で見ればそれもいたし方ないことというか、自然界の弱肉強食に則れば、今の世界で生きられない民族は消えゆく運命にあるのかも知れませんが、ひとつの民族が消えるということは、そんなに簡単に割り切れる話でもなくて、きっときっと、すごく切実な問題だと思うのです。彼らが抱えている悲しみや絶望感は、わたしの乏しい人生、ぬるま湯の中で生きてきたわたしの人生経験からでは、とても代弁やら比喩やらできるものではないと思う。
で、ごく微小な、まわりまわっての影響だったとしても、自分の生活がその民族の絶滅に関わっているのだとしたら…エコだのロハスだのという言葉に素直に反応できないわたしでも、何ともむずがゆい気持ちになります。


普段、自分のことでいっぱいいっぱいで、遠い土地で生きている人たちのことまでなかなか思いが至らないけれど(身近な人のことですらないがしろ…)、時々はそういうことも考えて生きていかないとなあ、とりあえずあんまりゴミは出さないように暮らそう、電気のムダ使いをやめよう、温暖化防止募金を(たまには)しよう…などなど珍しく殊勝な気持ちになった夜でした。ま、たまにはこんな話も…。