まさか続編を書くことになろうとは。
またまたQQ車に運ばれたわたくし;_;

やっぱ今年はロクでもない年かも知んない…。


あれは水曜日の夜中でした。
いつもよりは若干早い電車で帰宅し、総菜屋で買ったおにぎりとおかずをぽそぽそと食べていると、何だか胃の辺りが微妙に痛い。
昼食からだいぶ時間が開いたし、急にものを食べたからかなあ…と、とりあえずパンシロンを飲んで横になりました。


…んが。
胃痛はよくなるどころか、だんだん激しさを増してきました。和太鼓の演奏がどどどどどどどど…とクライマックスに向かうような感じです。
とっさに“QQ車”の三文字が浮かんできました。前回で、QQ車は無料だということも分かったし…。(←こらこら)

しかし、わたしは前にQQ車を呼んだ際、病院に着いた頃には痛みが引いてしまったという苦い過去(?)の持ち主なので、今回も同じことになるかも…と若干心配になり、しばらくは耐えることにしました。


その後、1時間が経過してもいっこうに治まる気配もなく、もはや最初の痛みとは比べ物にならんくらい痛くて痛くてしょうがない。
深夜だし、なるべく騒ぎたくない…でも、でも、でもね……もうムリだーーー!!!QQしかねー!!!
隣の部屋の同居人がまだ起きているかも…呼んでもらおうかな…。

部屋を、いや布団を出て起き上がることすら出来ないくらい痛みは激しく、ありったけの力で携帯電話を引き寄せ、隣の部屋のSさんの電話番号を押しました。
「Sさん、野ぎくです…きゅ、きゅうきゅうしゃ呼んでください…バタッ」
間もなくして隣の部屋のSさん、その隣の部屋のYさんが部屋に入ってきてくれました。この日は部屋がピークに汚く、ああっ見ないで…てな気分でしたが…。


そして15分後くらいでしょうか、ついに、人生早くも2回目のQQ車がやって来ました。
わたしはもはや虫の息状態で、救急隊のおじさんに「立てる?担架乗るまで頑張って」とか声をかけられながら、ふにゃふにゃの身体を何とか起こしました。
そして、担架に乗せられる前に1回思いっきり嘔吐し、さらに1階に下りて玄関を出る前にもトイレに駆け込み、四つん這いになって担架に戻り、ようやくQQ車に乗せられました。
痛みのせいでゆっくり息が出来ないために、手足がどんどん麻痺してきます。ああもうこのまま意識を失ってしまって、どっか違う世界に行ってしまいたい…と朦朧とする頭で思います。


前回とは違って、病院に着いても痛みは治まらず、いやむしろさらに痛みは増し、「痛い痛い痛いよ~う」と3歳児のように泣きながらベッドで悶絶していました。

まあ、前みたいに病院に来たとたん痛みが引かんでよかった~…と、激痛の中でちらっと思わなくはないものの、引かないのは引かないでやっぱつらい;_;はよう何とかしてくれ~~~!!!


しかし点滴の力は偉大なもので、点滴をさして15分だか20分だか経過した頃には、痛みがすうーっと引いていきました。痛み止めってすごいな…。


点滴を打っている間、病院まで着いて来てくれた大家さんとあれこれ話していると、大家さんが、
「日本は倒れるまで働いたって、家のひとつも買えないんだもんなあ…」
と云いました。
わたしはそれを聞いてひどく切ない気持ちになりました。そうだよな、ほんとそう。

まあ家を買うことが人生の目的でも幸福でもないだろうけど、小さな箱のために何十年のローンに縛り付けられる日本(というか先進国?)って、ほんとに豊かなのか?って、真剣に考えてしまう。そりゃ、わたしみたいな小娘が何年か働けば同じ年数だけ海外でぶらぶらできるわけだから、そういう意味では豊かだろうし、モノはあふれているし、なんだけどさ。

にしても、そこまで(倒れるまで)して働く必要なんて、本当に、全然ないんだよなあ…。家買うわけでもないのだし…。もう本当に、こんな生活は辞めるべきなんだ。でも、どうしたらいいんだろうか。会社を辞めれば済む話か…?


それでも翌日には会社に行かねばならない(昼からでしたが)、だって仕事の締め切りがあるから。何故ここまでしなければならないのかと、本当に悲しくなります。
ちなみに診察の結果は、ひどくあいまいなもので、「ま、胃腸炎だと思うよ」の一言で片付けられてしまいました。。。あっそ。何だよ。大したことないのかよ。だって、受付から1時間くらい待って3分で終了したからね…。しかもその後、支払いまでにさらに1時間かかりやがって、そのイライラでまた胃痛がぶり返しそうだったわ…。

今も、生活に支障はないしものも食えるけど、ちょっと胃がしくしくすることがあって、ちょっと心配なんだけどなあ…;
でもね、今日も休日なのにこんな時間まで会社なの☆きゃはは☆地獄行きの列車はいつ止まるのでしょうか…。


それにしても今回は、人と一緒に住んでいてよかったと心から思う出来事でした。
深夜にもかかわらず、大家さんをはじめ同居しているみんなが助けてくれて…本当にお礼の言葉を探すのが難しいくらい。家族じゃないけど、人のありがたさをしみじみと感じました(そう考えると大阪に置いてきた父ちゃんのことが気になるけど…)。
だから、少々交通の便が悪くても、友達を呼んで夜更けまで騒げなくても、東京在住の人たちが口をそろえて「それどこ?」「何でそんなとこに住んでるの?」と云うような場所でも(笑)、しばらくはここにお世話になり続けようと思います。