家の裏に子猫たちをかくまっている。
翌日、紙のボウルを回収に行くと、魚肉ソーセージは綺麗に食べられていた。
俺は安心したが、果たして魚肉ソーセージが子猫の身体に良いのか悪いのかまったく分からなかった。
いや、愛があればいいのだ。
ウチの家で飼っていた愛犬ペロは、親父が玉ねぎの味噌汁が大好物なせいで、その残飯を毎日のように食って15年も生きた。犬に玉ねぎは絶対にダメらしいが、愛が苦手を克服すると思っている。ペットにはあれがダメだのこれがイイだの関係ない。
それから、去勢しろだの、ゴミを漁るだのオシッコの匂いがどうだの衛生面がどうの言うヤツはファッキンである。
俺は子猫を猫可愛がりしたいだけである猫だけに。
可愛い子猫にエサをやる。ただそれだけだ。近所の迷惑とか一切考えていない。猫が増えればネズミが減るだろ。むしろいい事づくしじゃねーか。
考えてごらん、
この街が子猫でいっぱいになる世界を。
そんなことをベロベロに酔っ払った時に猫好きのRJさんに語りまくったら、器の大きいRJさんは「うんうん、それでいい。ありがとう。」と全肯定してくれた。
そして、そっと俺にスティックタイプの猫のエサをくれた。RJさんはお腹を空かせた野良猫にあげるために、カバンにこのスティックタイプのカリカリを一袋ほど常備しているという。
俺は感動し泣き崩れながらも、遠慮なくそのカリカリをリュックの大小2つあるポッケの小さいほうに入れてキチンとチャックをした。
翌日、早速カリカリを紙のボウルに入れて出してみた。ちなみにすでに3日間は子猫たちを見ていない。生きているのか、もう死んでしまったのか安否不明である。
さらにその翌日、紙のボウルを回収に行くとエサはすでに無くなっていた。ただし、ボウルの中のエサの食べ具合いが段違いにキレイなのである。もう、ペロッペロに舐めまわされている感が半端ない。あのカリカリが無事に子猫たちのもとに届いて入ればいいのだが、この辺は野良猫が多いのでひょっとしたら違う猫に食われているかもしれない。もしそうなら、ブラックバス釣りに行ってブルーギルだけ釣れて帰ってきたようなもんだ。
ただ、そのカリカリの威力ってのは魚肉ソーセージとは比べ物にならない程の破壊力を持っていたことが分かった。その戦艦並みのビーム砲の威力は、しつこいようだが、カラの皿の“カラ”具合いで分かったのだ。キャットフード恐るべしである。
そして、俺は一つの決意をする。
人生で初めて、キャットフードを買うのだ。愛犬ペロのエサも買わなかった俺が、それも生きているかも分からない子猫のために。言うなればあれだな、服役していた自分のことを忘れて、新しい生活をしているかもしれない妻の家に黄色いハンカチを見に行く高倉健みたいなもんだな。
そんで、ウエルシアのペットコーナーでRJさんがくれたのと同じやつを買ったわさ。
Sheba 12カ月までの子猫用をチョイスした。
とうとう俺はビタイチキャットを飼っていないのに、さも愛猫がいるフリをしてレジに向かい、レジのおばさんをまんまと騙しキャットフードを購入したのだ。
エアーキャットだな。
だが、このシーバなら1食用に小分けになっているから、万が一子猫がもう俺の前に姿を見せなくなって、ノーキャットでフィニッシュしても、持ち歩いて他の野良猫にあげたりできるじゃねーか。
俺は近所のコメダ珈琲に寄って茶をしばき、一旦心を落ち着かせてから、そそくさとキャットフードを抱えて帰家に帰った。
その後、何日間も…
キャットフードをやる。
↓
翌日全部無くなってる。
↓
キャットフードをやる。
↓
翌日全部無くなってる。
を繰り返した。
子猫が飽きるといけないと思い、まぐろ味とささみ味を丁寧に交互に出した。
スーパープラトニックな関係だ。
中学生の交換日記じゃねーっつーの!
しかし、その日の昼間、スーパーへの買い物から帰ってきて、アパートメントの階段を上ろうとした時に横からひゅっと大きく黒い成猫と出くわした。突然なのでお互いギョッとしたが、俺はなんとなく胸騒ぎがして、部屋に戻ったら速攻カリカリと紙のボールを持って、アパートメントの空き室の103号室の前の縁側に行った。
いた!
子猫が2匹いた。
茶色い三毛の1号は見かけなかったが、ガンダムの試作機みたいな灰色のバージョン違いの2号と3号はまだ生存していたのだ。
と、するとあのバッタリ出くわした大きな黒猫は母親なのだろうか…。
俺はカリカリを2袋、紙のボウルに入れて、遠くで様子を見た。すると子猫は隣りの家のブロックをよいしょよいしょと乗り越えてこっちにやって来るではないか。
そして一目散にエサのボウルに飛びついた。こっちへの警戒心より空腹が優ったのだろう。
ここんとこ3日間くらい寒い日が続いていたが、何とか生きていてくれた。
1号は見えなかったけど。