明日、私は、こちらの運動に参加します。

 『沖縄防衛決戦』


 沖縄では数少ない保守系の運動体を、盛り上げていければ、私としても幸いだと思います。

 
 特に沖縄では、明らかに県内での報道に、反日左翼や中国共産党の影響があるのでは?もしくは、共産主義への幻想を持っている団塊の世代により歪められているのでは?というものが目立ちます。



 この状況を何とか変えていかねば、日本全土が将来中国の属国化する可能性は極めて高く、また、私の故郷である沖縄は、台湾とともに中国共産党の直接の支配下に組みいれられ、日常的に人権弾圧が行われる地域になるのではないか、という不安感を常に私は持っています。


 この危機感は、おそらくネット上で護国活動をされている日本人に、共有できるものだと思います


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ここで、一つ、保守派の方に苦言を呈させて下さい。

 私は今ネットを中心に活動されている保守の方々に、違和感を感じる事もあるのです。


 たとえば、普通の会社員がおそらく業務をしていて、ネットなど見れないであろう時間帯だけではなく、おそらくは24時間、気の赴く時間帯にブログの更新や、保守系SNSでの書き込みをされている人が多数居られます。

 
 彼らの、日本が心配である、という気持ちは良く分かります。


 だけど、この人たち、普段仕事や社会貢献をしているのか?と思わされることがよくあるのです。


 人には、さまざまなライフスタイルがあります。

 例えば、主婦の方なら、子供が学校に行っている時間帯なら、家事の合間にブログを更新したりすることはできるでしょうし、仕事の合間にブログを更新されているんだな、ということを感じさせられる方も多数いらっしゃいます。

 そういう方々には、非常に頭が下がります。彼らは、本当に尊敬に値します。


 だけど、中には、

「この人、きっと仕事がうまくいっていないんだろうな、だから、自分の劣等感を埋めあわせるために、護国活動にのめり込んだんだろうな」

と思わされる人も、結構いるのです。

 
 つまり、自己愛のための護国活動、ということです。


 そういう人に共通するのは、コミュニケーションをとる方に対して、相手の時間を使わせてもらっているという、謙虚さが無いことです。


 ちょっとネット上で知り合った人に、ひっきりなしに拡散依頼メールを送りつけたりする行為が、普通のビジネスの場で通じるでしょうか?

 普通、メールは、相手の返事を期待して送る媒体です。

 ですから、相手の反応を期待しないような内容ならともかく、送ってくる内容が拡散依頼メールのような強制性が強いものばかり、というのはあまりマナーがよくない、というのが私の考えです。

 
 何でそういう事になっちゃうのか?


 私の考えでは、自分が正しい事をしているから、相手に迷惑になっても、そういう強制をすることが許される、と思っているからでしょう。


 「俺は正しい=自己愛」、ですね。


 ネット上の活動だけではなく、リアルの運動でも、同様の違和感を感じることがあるんです。


 例えば、在特会などの運動体に対しての評価でも、実は私はあまり評価していません。

 彼らは、確かに言っている事は正論です。

 朝鮮学校の事に関しても、逮捕者が出たとはいえ、間違っている事を間違っている、と訴え、ネット住人に認知させたことは評価されるべき事だと思います。

 そして、今のような動乱期では、彼らの存在は必要な存在であるとも思っています。

 ただ、私には、彼らのような運動体は、幕末の過激な尊王攘夷派の志士と重なって見えます。

 幕末には、例えば土佐勤皇党の攘夷派の人々が、ほめられた手段ではないとはいえ、体制を握っている土佐藩の役人に対しテロ行為を働いたりして、一時的に藩を動かしていた、という現象が起こりました。

 こういう運動対は、動乱期には絶対に出てくる運動ですし、世の中の人々を目覚めさせるという意味では、必要な存在です。



 しかし、、彼らの多くが、あるときから力を失い、動乱の中で命を落としていった、という事実を忘れてはならないと思います。

 なぜそうなったか?

 私が思うに、

「行為に正当性が無いために、世論の支持を受けられないから」

だと思うのです。


 だから、ネット上で保守系の運動をしている方に訴えたい。

「仕事や日常から乖離しないで、普段の生活やコミュニティを大切にしたうえで、護国活動をしましょう」と。


 そうしているなら、保守活動をしている人=右翼、なんてレッテルを貼られる事もないはずなのです。


 先日、読者の石原昌光さんと、結構面白い討論が出来ました。コピペで掲載します。

 元記事は、

一応一言。民主党代表選について。


 です。


10 ■あえて違う側面から、、、

保守@沖縄さま、こんにちは
最近の支那の対応を見る限り、ガス田共同掘削の話を棚上げしたり、要人の日本訪問を延期したり、はっきり言って北朝鮮並の対応しか出来ていません。
まぁ、国民世論を煽って在支日本人に嫌がらせなどをけしかけてはいるようですが、死者までは出せないでしょう。実際に死人がでたら、日本人の対支感情は完全に硬化してしまいます、戦前の通州事件の二の舞ですよ。
前回は、国民党が矢面でしたが今度は自分達が真正面、日本と関係をこじらせて支那共産党に得があるでしょうか?私はないと思います。
また、実際に日支戦争になった時、支那はどれだけ戦争を継続できる金と資源があるのでしょうか?現実問題、支那はナリがでかいだけの非自給国で、そもそも日本と違い、国力を効率的に振り分ける為の総力戦の経験さえありません。
ただただ、弱い相手を数で圧倒してきただけ、デブの押さえ込み勝ちによく似ています。
残念なのは、日本の政治家に、日支の国力を冷静に検討して答えを出す人間がいない事です。
それが出来ていれば無闇に支那を恐れる必要はありません。ぶっちゃけ、キレたら何をしでかすか分からないアメリカのほうが100倍怖いです。
石原昌光 2010-09-16 15:55:25 >>このコメントに返信



12 ■Re:あえて違う側面から、、、

>石原昌光さん
戦時であれば、確かにそうでしょうね。
私が怖いのは、例えば沖縄が独立して、県や警察組織などの中枢組織に、シナ人が入るようになった時。そうなるのに、あと20年くらいはかかるかもしれませんが、今、その方向に向かっていると思います。

台湾で起こった2・28事件と同様のことが、起こりうると思いませんか?

シナが本当に怖いのは、実効支配をした時の、住民に対する弾圧を平気で行う、人権概念が無い点だと思います。

また、同様の視点で、シナ人人口が増えて、犯罪やテロが増える可能性がある点も問題視しています。
保守@沖縄 2010-09-16 19:04:25 >>このコメントに返信


14 ■Re:Re:あえて違う側面から、、、

>保守@沖縄さん
なるほど、、、確かに支那は棄民の国、紀元前の昔から余剰人口を周辺地域に吐き出して、現地人を圧迫・弾圧・虐殺・同化しながら領土を拡大してきた国でした。
平和裏に主権侵奪はあり得ますね。(泣)
しかし、仮に支那人のビザ無し渡航が可能になり、沖縄のあちこちに支那の貧民窟ができる有様になったら、沖縄県民は、それを黙って見ているでしょうか?
復帰前の反米闘争を凌駕する反支那闘争の嵐が吹き荒れる気がします。
日本本土も然りで、これ以上、特定亜細亜の不法移民が増え実害が国民に隠しきれないようになれば、必ず排外主義を飯の種にする団体が発生し、その中には政党化する団体も出現するでしょう。
あまり歓迎できませんがネオ・ナチみたいなものです。
そうすると、それを支持する国民が増え、その政党が力を持った結果、売国的政党の力が失墜し日本から不法滞在者・犯罪者が駆逐されて日本が正常化する。
こんな事もあり得るのではないでしょうか。
国というのは昔、国体といって人体に模されて来ました。
異物が体内に入れば、それを攻撃する免疫が働くのは自然です。
それが国のレベルになると排外主義になる、さっきは歓迎できないと書きましたが、国が危機になった時ネオ・ナチのようなものが生じるのは実際には自然でやむを得ない、むしろ「何があっても平和主義だ侵略者の靴を舐めよ」と叫んでる連中の方が異常でしょう。
日本人の大半の免疫は、まだ異常を感知していませんが、まさか体に不調が生じても病院に行かない人間が大半だとは思えない。
必ず病院に行き、そして体を破壊しようとする存在の正体を知るでしょう。そしてなんらかの行動を起こす、、、、その時に愛国の先覚者が社会の然るべき地位についていれば、一発逆転国士無双も可能です。

石原昌光 2010-09-17 15:09:27 >>このコメントに返信

15 ■連投失礼

踊る大捜査線でしたか、いかりや長介演じる和久刑事が青島に言いますよね。
>おい青島!立派な事がしたけりゃ偉くなれ、、なーんてな
これなんです。私達は偉くならなければいけない、人間は大抵権威主義ですから、無職のプーやフリーターの言う事なんかに耳は貸さない
いくら出鱈目適当でも、みのもんたみたいなテレビ買弁の発言を有難がる。
それはそれで理不尽ですが庶民はそういうものだと思ってこっちが権威を得るしかないでしょう。
私も頑張ります。
20年後ネオ・ナチの党首になっているかも知れませんが(爆)
石原昌光 2010-09-17 15:21:08 >>このコメントに返信



 上のコメントの、太字の部分を見てください。

 ここが、大切なところです。

 いくら正論を吐こうとも、権威を得ていない人間の言うことは、社会にたいして、世論を作る上での影響力が極めて少ない。

 権威という言葉の定義には、いろいろな考え方があると思いますが、私の定義では、

 権威とは、それまでどれだけ(所属する地域に)社会貢献をして来た(と思われる)かの度合。

だと思います。

 
 会社員や公務員などの勤め人の場合、一般的には、出世をした人が、勤めている会社や社会に対して、(沢山の給料をもらって、税金もたくさん納めていることだから、一つの尺度として、)貢献していると思われる。

 主婦などの場合、PTAや公民館での活動など、地域に密着した活動で、公のためにどれだけ頑張ったかが問われる。

 新しく地域に入ってきた人の場合、外から見てどれだけその地域の文化が素晴らしいか、という視点を提供することで、その地域に貢献する。

 ・・・って感じです。地方議員って、そういう権威を持った人ばかりでしょう?

 もっと適切な定義があるかもしれませんが、まあ間違ってはいないと思います。

 納得いかない人もいるとは思いますが、そういう人に対しては先に謝っときます。中途半端な思考でごめんなさい。


 だけど、逆に、権威を得ていない人が、どんだけ吠えても、権威の側にいる敵に逮捕・粛清される可能性が増えるだけだし、逆にその口実を与えているだけだ、ともいえると思うんです。


 だからこそ、保守の人間は、運動を続けることは大切ですが、そこに過度にのめり込むことなく、普段やっている仕事や、日常生活を大切にしましょう、と言いたいです。

 少なくとも、

「私は地域のために、●●で10年間頑張ってきました」くらいのことは、胸を貼って言えるような人間になりましょう、ということです。

 そういう人間がやる運動は、きっと説得力と、世の中を動かす推進力を持つのではないかな、と思います。


 ここで、私自身のことを正直に申し上げますが、私自身はこういう偉そうなことを言える人間ではなく、ある意味エリートコースからドロップアウトしてきて、自営業で復活しようと目論んでいる人間です。

 それに、私自身に、自己愛のような気持ちが無かった、というのもウソになるので、そこも告白しておきます。


 私自身が、今後頑張っていっても、うまくいっても、私の言動の影響力が社会を動かすようになるまで、10年単位の時間がかかると思います。

 でも、自分自身が社会をよくする人間になることをあきらめているわけではないです。


 今回のエントリーは、いろいろ誤解を招きそうですが、みなさんにいろいろ考えていただくきっかけになれば幸いです。

 自己愛的な護国活動ではなく、『健全な私を確立した上で、公に尽くす』のが大切だと思います。

 

 拙い説明で、私の考えが伝わったかとうかわかりませんが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。