~正しいものは何なのか
それがこの胸にわかるまで~


15歳の頃
擦り切れるほど聞いた


「僕が僕であるために」


尾崎豊さんの歌に
今も胸が熱くなります。

あれから30年が過ぎ
その言葉が蘇り

僕に問いかけます。


正しいものとは
何なのか、と。


経済大国、先進国。

そんな意識は削がれ
衰退途上国へと加速し、


『お先真っ暗な人生しか
待っていない』


と想像してしまう
頭の良い子ほど、

見つけたはずの目標を見失い
先のあかりが見つからず
途方にくれている。


何が合理的なのか、
良くも悪くも
自己判断が早いから
制限が掛かるこの状況は
より受け入れ難い。


勉強、部活動、仲間の存在。


たくさんの出会いの場、
学びに触れる機会が
封鎖されてしまった。

その環境を与えたのは
大人たちの
判断、決断。


知能、体力、精神的な力を
ほとんど身につけさせず、
若者たちの貧困を招き

思考、感情
アイデンティティ
を育むこともなく、
歪んだ人間形成を促す社会に
歯止めがきかない現実は、
行き場のない

『路上飲み』

の若者たちの姿に
表れています。


世代間で睨み合わせ、
男女間で対立させる。

その
一定数の思惑で

体に悪いもの、
教養の足りないもの、
精神年齢の低い幼稚なものを
繰り返し流し、
流行っているように操る
ビジネス。

内輪揉めを煽り
内部崩壊をさせながら
力を付けさせなかった。


衰退まっしぐらの
30年。


こんな社会が待っているとは
想像しなかったけれど、
利欲に頭が侵された暗愚者に
襲われた経験から
冷静に見ています。


学生の頃、
スパルタ体罰を受けた世代
ですが、

棒を持った
教職員に追いかけ回され
叱責されても叩かれても、

あの頃は楽しかった。


今は体罰だけが
クローズアップされ、
そこにある前後の
心情は語られないけれど、

殴られたかどうかだけが
問題の本質ではない。


個々の事情、
経緯を知らない第三者が、
表面だけを都合よく切り取り、
安易な介入でネタにする。

手を挙げた大人
それを受けた未熟な学生、
どちらにも
人間としての温度、

そこには
真剣な愛情があった。


当然、
暴力や傷害は容認されない
否定されること。


しかし、

今は叱責されたり
殴られない代わりに、
温もりも真剣さも失われ
簡単に許されることも
なくなった。

場合によっては、

第三者がことの経緯や
心情を無視した切り取りで
事を荒立て、

勝手な介入と
都合のいい解釈が始まり
大騒ぎで拡散して
精神的暴力で追い詰める。

その結果、

萎縮させられた人間関係は
ドライに対応するのが
正しいと、定着し、
若者を熱心に強く育てた
気概のある大人たちは
去っていきました。


実力ではない
ツテを使った裏口入学や
コネ入社で勝ち誇り、
他がシラけて


『こんなくだらない社会ゲーム、やってられるか』


と、心情的な
納得感すらない気持ち。



本物の公正さ、
本当の自由を見ることは
いつか
期待できるのだろうか。


問題の皺寄せは
次世代に引き継がれます。


社会に正面から異議を訴え
正義感をかざす若者も
昔はいたけれど、

強化された『管理教育』で
自我を破壊するしかなくなった
大勢の若者たち。

『路上飲み』

の背中からは
悲痛な叫びが響きます。


管理社会、相互監視社会の中、
不潔なこと、不正なこと、
不健全、不平等なこと
不健康を
許容しない若者たちだからこそ


『健全な人道を貫き成功する』


という価値観を
これからは正しく
伝えていくことが、
若い人の将来を作る。


急速に失ったものの中で
失ってはいけないものを
理解できる人間が

範で示す。


制限を受けても
環境が変化しても
若い人たちのために
柔軟な判断力で決断し
進む。


国内外を見回すと、

実は社会に正しく
影響を与えているのは、
健全で高潔に進んだ
成功者だけです。


愛情がないから従わない。
素敵な場所じゃないから、
住まない。
正当な対価じゃないから
売れない。
栄養にならないから、
口にしない。
正しい情報ではないから
買わない。
正確な報道をしないから
読まない。
汚ない画面だから
見ない。
嘘をつくから
応援しない。


情報量と比例して、

誤魔化せない実社会を
理解している大人たちが、
どれだけいるだろう。


範となり、範を見せ
範となる気持ちを
意識する。


生きることすら難しいと
感じる日常の中で


心折られないように。


いつかきっと
克服する時が来るから〆