聖霊の全貌を知れば独生女の無原罪聖誕が成り立たないと断言できる | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

1999年3月以降、ルーシェルが回心を装い統一教会内部に入り込んでから、真のお父様とサタンとの壮絶な戦いが始まっていました。

1999年10月15日の御言で、次の内容を語りました。

「み旨のため、最も近い側近が裏切るのです。先生の息子の中からも裏切る者が出なければなりません。「先生を殺す」と、「売ってしまおう」というようにです・・。なぜそうなのかといっても、それは仕方がありません。皆、裏切るので、打たれて奪ってくる方法において、悪が善を打ったことを蕩減復帰するようになれば、それによって、その根が引き抜かれるというのです。」

それ以降、サタンによって全食口がコントロールされるようになります。お父様がたった一人、誰にも明かせない戦いを展開してきました。お母様も子息様方も気付かないうちに、すべてサタンの策謀と情報に翻弄されていくようになっていくからです。

この時点からのお父様の真意を訪ね求めていかなければ、それ以降の摂理を見誤ることになるのです。韓お母様と大母様をサタンに奪われてから、お父様の頼りとするものはイエス様以降、二千年の歴史を導いてきた聖霊しかなくなりました。

そこで私たちは、聖霊の真の様相を知らなければならないということになります。いよいよここで、記述しなければなりません。

  **聖霊の全貌**

神様は全知全能の絶対者でした。絶対ということは、たった一人ということです。自らは本二性性相の授受作用によって存在していることから、もう一人の神様を創造するという発想が生じました。

全く同じ遍在無辺の形態の神様では、知情意から生じる交流が成り立ちません。そこで個性体を持つ相対を構想しましたが、霊体のみの存在では神様によって組み込まれたプログラムでしか相対することができず、忠誠心からの愛しか生じません。

最初に発想した霊体に、どのようにしたら独自に生じる心情の動機から愛を交流できるようになるかを熟慮したのです。そこで神様自身が、自らが愛によって存在していることに気付き、他者を愛したくてたまらない動機が湧き出るようになった過程を、発想した霊体に実際に体験させることができたらどうだろうと思いつきました。

そこから、霊体と一体となった肉体の創造が発想されたのです。愛を実体化した個性体から、同様の個性体が誕生するという親子の生命システムを考案したのです。

新たな生命の誕生という概念は、それまでの神様にはないものでした。そのために時間と空間という三次元の世界が構想され、その世界で愛し合う二人の存在を構想し、さらに新たな生命を産み出す生殖器の仕組みを考えるのです。

ここで重要なのは、神様は愛の実感を持ちたいということです。ただ三次元の世界を遍在する立場から眺めているのではなく、人類の親として実質的に愛したいということです。そこで、自らが入ることのできる、臨在することのできる存在を人類の親として被造世界に誕生させるということです。神様が臨在するには100%同じ形状であり、性相でなければならないのです。その神様と100%同じ性相と形状の主体的男性として創造し、その男性の愛の対象として、神様になかった生命を誕生させる機能を全て備えた女性を創造しなければならなかったのです。

その女性は誕生した時すでに、次世代の生命の卵が生殖器に備えられているという母性そのものの存在です。この女性は神様の半分を取り出して創造されたものではなく、神様の本性相本形状・本陽性本陰性から対象的要素を中心的に用いて、まったく新しい存在として創造されたのです。

ですからアダムには神様という原形があるけれど、エバには原形がありません。エバが完成して、はじめて真の母としての原形ができるのです。だからエバの過ちは地上で蕩減するしかありません。

このようにして男性と女性の生殖器が考案され、霊体と肉体をここで繋いで誕生させることができるのです。エバの胎中から霊体を備えた生命が誕生しますから、エバが出産するまでに、エバの女性としての人格、つまり霊体を生霊体まで成長させ、子女の愛・夫婦の愛を完成域まで高め出産に至ることが重要でした。

そのためには、親の愛・神様からの愛を充分に満たされなければなりません。そのアダムとエバが神様の愛を体感できるように、あらかじめ神様の愛を無数の象徴的個性体で表現した被造世界が創造されたのです。

このようにエバの生殖器の完成、真の母の完成を目指して、神様が「光あれ!」と叫んで放射した心情のエネルギーこそ、すべての個性体を創造し存在させる万有原力なのです。この神様本体から、構想理想上の全ての個性体を創造存在させるべく放たれた愛の力、心情の源泉力そのものが聖霊であり、昼の神様なのです。ですから昼の神様の本体はなく、夜の神様が放射源であり、昼の神様はアダムを創造した後、エバを創造し真の母として完成し、はじめて昼の神様の実体となります。

夜の神様は、エバの誕生の過程で誕生させたアダムの生心に臨在するようになり、アダムとともに成長するようになります。アダムの霊体は神様から完全に独立した人格であり、神様が生心に臨在するとは、アダムが肉体で体験する愛の実感を共有していくことを意味します。アダムの人格を形成する知情意の思考と心情が、神様との相対基準を無くした時、神様はアダムを捨てざるを得なくなります。

エバの生心は聖霊の働きにより、愛を実感した分だけ成長します。聖霊には本体がないので臨在することは不可能です。ですから、聖霊として神様が構想した母性が、エバの知情意の機能を通して成長した生心自体が昼の神様の実体であり、本体ということになります。

ですから、エバの罪は代わりに立つ女性が地上で贖うしかありません。無原罪で生まれることなどありえないのです。

次回、お父様が一人で真の父母だと語られた真意に入ります。夜の神様と昼の神様が争っている、というみ言の真意も明らかに出来るでしょう。

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