孤立無援で打たれても愛し抜くアボジ―真のお父様無能化工作第二のシナリオ | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

2011年初頭の訓読会で、真のお父様は徳川家康と西郷隆盛の名前を上げ、「日本の歴史を紐解きなさい」と語られた。

徳川家康は織田信長の策略により、妻と長男の殺害を命じられ、泣く泣く実行せざるを得なかった。信長に対する恨みを超えて、ただただ、いとおしい妻と長男のために三日三晩を泣き明かした。それゆえに、サタンに讒訴条件を握られることなく、本能寺の変において死なずに逃げることができた。

真のお父様においては、真のお母様と亨進様に、顕進様に対する爆破者宣布文を書く事を強要された時、まさに家康と同様の状況、いや、それ以上の過酷な心情を通過されていた。お母様は「真のお父様の無能化工作の第二のシナリオ」を見据えたサタンに動かされており、亨進様は真のご父母様を思う心情を利用されていた。サタンはまず、真のお父様の後継として、最もリーダーシップのある顕進様に標的を合わせ、分断作戦を決行したのだ。

この時、徳川家康同様にサタンとの条件の奪い合いだった。家康は自覚がなく行動しているが、真のお父様は天一国創建と真の家庭の一体化をかけた、壮絶なサタンとの霊的決戦を繰り広げていたのだ。すでにサタンは主要な幹部たちを手中におさめ、情報戦にも勝利して、ほとんどの食口に「顕進様は真のお父様に反逆している」というイメージが広がっていた。

真のお父様がわずかでも怒りや憎しみを持てば、その時点で顕進様、亨進様、真のお母様の命を、サタンに渡さざるを得ない条件を握られたことだろう。

真のお父様は孤立無援だった。この状態は西南戦争で追い詰められ自害した西郷隆盛と、まったく同じ境地であった。まだ、西郷隆盛の摂理上の使命と行動は明らかにしていないので、霊性日本史で明らかにしてから、あらためて真のお父様との相似点を説明しよう。

2011年初頭(これもズレがあるかもしれない)に、真のお父様が通過している過酷な闘いを象徴する徳川家康と西郷隆盛の名を上げた。真のお父様はサタンが攻勢をかけてくる第二のシナリオも、すでに脳裏にあったのだ。

亨進様は2015年に入って世界会長を解任されたが、真のお母様と亨進様の闘いは、真のお父様聖和直後から始まっていたことが、亨進様の説教から分かる。

聖和直後に「私は誰ですか」と真のお母様から話しかけられた亨進様は、「あなたは勝利された真のお母様です。」と答えたという。それに対して、お母様は、「いいえ、私はメシヤです。私は神です。」と言ったと語っている。さらに最近のサンクチュアリ教会のブログで、真のお母様は「私は絶対権力を持っている」と言われたとなっている。

亨進様の純粋な宗教心と、真のお父様への愛と忠誠を見透かしたような問いかけで誘い出し、サタンは真のお母様を利用して、亨進様の真のお父様への絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情に火種を入れ、怒りの狼煙を上げさせた。

真のお母様も亨進様も、サタンの術中にまんまと嵌っていったのだ。

秀吉が織田家から権力を奪っていく経緯を見てみよう。

  *****

亡君の仇を討つという輝かしい実績を討ちたてた秀吉は、信長の後継を決定する重臣会議を牛耳るようになる。候補者は次男の信雄と三男の信孝にしぼられた。しかし、秀吉は直系相続を主張し、信忠の遺児である秀信を立てて推し切った。

会議の後、秀吉は三歳の秀信を膝に抱いて諸士の拝礼を受け、幼君への拝礼を自分にすりかえた。藤原鎌足、不比等のむこうをはる巧みさである。

  *****

織田も徳川も秀吉から見れば政敵である。秀吉は直径相続を主張し、自害した長男・信忠の遺児・秀信を立て、次男と三男を追い落とす。徳川家康は織田の三男・信雄とともに退けた。このことにより、秀吉は策謀により権力を手に入れた。

真のお母様は、聖和され今は地上に存在しない孝進様の御子息を抱き、自らの王権を主張し、顕進様と亨進様を追い落とす。見事なまでの計画のもとにすすめられた。

真のお父様は、訓読会で徳川家康と西郷隆盛の名を上げた時点で、それ以降に真の家庭に襲いかかるであろうサタンの策謀を完璧に見抜かれていた。

みなさんもご存知のとおり、徳川と豊臣は、この後に天下分け目の関ヶ原の決戦を迎える事になる。果たして真のお父様とサタンとは、天宙的決戦として激突するのだろうか。

次も読みたいと思った方は、クリックをお願いします。
 
↓ ↓ ↓

にほんブログ村