夏も真っ盛りとなってきました。
この季節になるとマスコミの東京裁判史観キャンペーンも激しくなり
左翼が元気に動き出す季節でもあります。
「またか・・」とウンザリしますよね(笑)
そうなる前に、
本日は、広島について書いてみたいと思います。
「広島」そして「夏」となると
「原爆」のイメージがありますよね。
それは、日本人として当然忘れてはならない歴史です。
まず原爆は、何故日本に落とされたのでしょうか?
落としたのは、アメリカ
落とされたのは、日本ですよね。
アメリカは1942年から「マンハッタン計画」として
オッペンハイマー博士が中心となり原爆の開発が始まります。
本格的な日米戦争開始が1941年12月からですから
「マンハッタン計画」というのは、日米戦争中にスタートしたという事です。
1944年9月にはルーズベルトとチャーチルの間で交わされた
ハイド・パーク協定で、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更します。
1945年4月にルーズベルトが急死。トルーマンが大統領に就任します。
トルーマンは原爆の存在をこの時知り、
「マンハッタン計画」に20億ドルもの巨額の金が費やされていることを知ります。
この時点でアメリカ(トルーマン)は、どうしても原爆を日本に落としたかった。
何故なら、
①巨額の資金をつぎ込んでいる原爆の成果を国内に示す必要があった。
(人気のルーズベルトに対してトルーマンは人気が無く、成果が必要だった)
②戦後の戦略から、ソ連を原爆でけん制する為と威力を実証したかった。
(広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型の2種類を使った)
作戦実行には、もうひとつ条件があった。
原爆を落とすまでは、日本に絶対降伏をさせてはいけない事です。
「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから、原爆を落とされた」
というのは真っ赤なウソ(アメリカのプロパガンダ)に戦後の日本人は踊らされているだけです。
日本政府は1945年の春頃からソ連を仲介とした終戦工作を始めます。
(ソ連とは日ソ中立条約を締結していたからです。)
しかし、ソ連は逆に対日参戦を画策していました。
(チャーチル、ルーズベルト、スターリン)
さかのぼる事、1945年2月に
ルーズベルト(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ連)によるヤルタ会談が
行われ、ソ連は対日参戦し南樺太と千島列島を占領をする事が密約として交わさました。
当然、ソ連は日本の終戦工作など、元から受けるはずも無かったのです。
ソ連の参戦は、日本政府に降伏を迫る事を意味します。
だから、米英はヤルタ会談でソ連の参戦を促したのです。
おっと、ここでお気づきの人もいらっっしゃることでしょう!?
そうです。
アメリカは
「原爆を使わなくても早期に日本は降伏する」という人達と
「原爆を日本に落とすまでは、日本に克服をさせるな」という人達が居たのです。
歴史が辿ったのは、残念ながら後者です。
アメリカはソ連に対日参戦を促しておきながら、ソ連の参戦=日本の降伏に繋がることから、ソ連の参戦より早く、原爆を日本に投下する準備を始めます。
7月16日
アメリカはニューメキシコ州で初の原爆実験に成功します。
7月17日ポツダム会談
トルーマンはスターリンからソ連の対日参戦は8月15日前後という事を聞き出します。
そして、原爆の完成がトルーマンの耳に入ります。
7月24日
トルーマンは8月10日(ソ連参戦)までに原爆を投下するように指示します。
7月25日
トルーマンは日本への原爆投下命令を出します。
7月26日
「ポツダム宣言」を発表(日本への降伏条件を提示する)
*7月24日の時点で、日本がポツダム宣言を受諾するしないに関わらず、原爆投下は決定されていたのです。
しかもこの「ポツダム宣言」には、3つの細工がしてありました。
1つ目は、「天皇の地位の保持」をあえて明記しなかった事です。
日本の降伏条件はただひとつ「国体の護持」です。
これは、当時の日本では当たり前の感覚でした。
知日派の元駐日大使ジョセフ・ グルーは
「日本人が一番大切にしているのは天皇である。『無条件降伏』要求では日本人は最後の一人まで戦うだろう。天皇の地位さえ保障すれば、日本は必ず降伏を受け入れる」と米政府に進言します。
そしてポツダム宣言の草案には
この 「天皇の地位の保持」が明記されていました(12条)
しかし、トルーマンは日本を降伏させない為に
この「天皇の地位の保持」を削除してしまいます。
2つ目は、共同署名国から「ソ連」を削除した事です。
日本がソ連へ終戦の仲介を期待させ続ける為でありました。
3つ目は、宣言をホワイトハウス、国務省からではなく
宣伝機関の戦時情報局から発表させた事です。
トルーマンは、わざわざ公式の外交文書でなく宣伝文書の様な形で発表したのは
日本政府に黙殺させやすくする為でした。
8月6日
広島にウラン型原子爆弾を投下
8月8日
ソ連が15日前後としていた対日参戦を慌てて開始
8月9日
長崎にプルトニウム型原子爆弾投下
8月12日
「天皇の地位を保障する」とアメリカからの回答
(草案に戻しただけ)
トルーマンは原爆投下の報告会見で
「今までに一番嬉しいことだ」と発言した。
約20万人以上もの死者を出す、
史上最悪の一般人に対する無差別殺戮をした張本人の発言である。
広島と長崎が選ばれたのは、軍都だったからではありません。
①直径3マイル以上の都市であり
②爆風で破壊できる地形を持ち
③空爆を実施していない都市であったからです
新潟、京都、広島、長崎、小倉が投下候補地でした。
我々、日本人はこの歴史事実をきっちり認識すべきです。
事実を歴史として教えない教育が、平和教育であるはずが無い。
まったく馬鹿げた話である。
アメリカに対して怒りがこみ上げるのは当然ですが
日本人の歴史認識、教育現場が変わらない限り、
「反米」も「平和」も日本人に語る資格は無い様に思いますね。
特に広島の教育現場はヒドイのですが・・・
それは次回に書こうと思います。
「平和教育は正しい歴史教育から」
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