「良いレッテル」「悪いレッテル」 | 子どもへ伝える大切なもの

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「レッテルを貼る」


レッテルとは、オランダ語で商品などに貼り付ける札(ふだ)のことである。
ラベルまたはレーベルが転じて、人や物事に対する類型化された評価のこと。

また「レッテル貼り」とは、
人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、
その類型の名前で呼ぶことである。


wikiより

人はレッテルをすぐ貼りたがります。


「君は本当に駄目な人間だね」
「あなたは時間にルーズだから、嫌いなのよ」



レッテルというのは広告商品のキャッチコピーようで
その人(商品)を知らない他人でも、大体どんなモノか理解が出来ます。


「あの人は時間にルーズなんだ」
「あの人は嘘つきらしい」


こういう表面的な言葉で物事を把握してしまう事は恐ろしい事です。
しかし、残念ながら我々の住む世界はそのレッテルが独り歩きしてしまいます。

それは「レッテル思考」と言って、それを鵜呑みにする人が多い土壌があるからです。
深く確認もしないで、人・物事に対する評価・判断を決めてしまうのです。

僕もブログを書いている以上、一番気をつけなくてはいけない事だと思っています。



問題はこの土壌を逆手にとって悪利用する人達がいることです。
典型的なのはマスコミが流す意図的なレッテル貼りに国民が感化されてしまう事です。


「日本語が読めない総理」
「自民党のような古い政治」→当然、古い政治は必ずしも悪では無い
「抵抗勢力」

知らない間にイメージが刷り込まれていくのです。
これでは良い判断は生まれてくるはずもありません。

また、レッテル貼りをレッテル貼りで応戦するほど愚の骨頂はありません。
良識ある国民はちゃんと見ています。
良識ある国民はレッテルの貼り合いには正直うんざりなのです。



しかし「レッテルを貼る」という事は、この世の中で絶大な力があるのは否定できません。
だからこそ、良い事にこの「レッテル貼り」を使う必要があります。


それはいろんな世界で有効なのですが
相手に「良いレッテル」を貼ってあげるのです。




例えば
「君はいつも頑張り屋さんだね」とレッテルを貼ると
私はみんなからそう思われていると、もっと頑張るようになります。



遅刻が多いA社員に上司が、きちんと出勤してきたら
「A君、最近君は遅刻しなくなったね、見直したよ」
上司からそう思われていると、もう遅刻できなくなります。



お店で
「○○様、いつも当店を御贔屓にしてくださり有り難うございます」
客は店からそう思われているともっとお得意様になりたくなる。



学校で教師が
「君の英語の発音は綺麗だね、隠れて勉強しているのかい?」と言われると
期待は裏切れないので、予習、復習を家でしてしまう。


「先生の教え方は分かりやすくて授業がおもしろいです」と生徒が言うと
教師はもっと分かりやすくおもしろい授業に心がけます。



異性の男性から
「○○さんは、いつもお綺麗ですね」と言われると
その男性の前では手を抜けなくなる(笑)


後輩の女性から
「○○さんは、いつもオシャレですね」と言われると
その後輩の前では、とてもじゃ無いがスウェット姿は見せられない(笑)




こんな風に良い事に使えば、レッテル貼りも悪くはありません。
注:通用しない人のいますが(笑)



これは日本人特有の相互信頼関係があってはじめて成立する事だと思います。
相手の期待や信頼を裏切れない、日本人特有の性格があります。

ののしり合ったり、駄目だ駄目だでは、余程の反骨精神がある人は別ですが
人は思うようには動いてくれません。


相手に良いレッテルを貼ってあげる。

ぜひ身近な人から実践してみてはいかがでしょうか
?(-^□^-)



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