6月20日(月) 晴れ
今回はちょっと日本を離れて
ガーナの農業について書きます。
私が隠岐の島で農業に勤しむのと同時に
カンジャガ村でも農業を始めました。
カンジャガ村での農業は私が隊員時代に
ネリカ米、カカオ、ランブータン、空芯菜、
バジル、マンゴーなどに挑戦しながらも、
ことごとく失敗し、
苦杯を舐めたまま帰国するに
至った事から始まります。
何故サバンナ気候という悪環境の中で
農業に挑戦したのかというと、
元々この村の住民の約8~9割は
農業で生計を立てている農業集落。
それなのに、栽培できる期間が雨季のみ
と限定されている(5~8月頃まで)上に、
「種をばら撒いてあとは神頼み」という
収益性の低い方法でやっている農家が
ほとんどでした。
その為、家庭の収入が少なく、
子供を学校に通わせるお金も捻出できない
という現状がありました。
(学校数自体も少ないですが)
そこで、効率的な農業を広めて農業による
収入を増やせば、子供達を
学校に通わせることが出来るのではないか?
という発想で、
素人ながらも今まで作っていない
農作物を育ててみて、
商売としての農業を広めようと思ったのです。
しかし、結果は惨敗に終わり、
収入向上計画も成果を出せずに帰国しました。
と、だいたいはここで終わるかもしれませんが、
ご存知の通り私は諦めない漢!!
負けっぱなしは悔しいですからね、
日本で自ら農業を学びつつ、
再びカンジャガ村での農業に
活かす機会を伺っていました。
海士町に来てから、
そんな話をダニエルとしていると、
何かを察したのかある日、
「アマチャ幼稚園の周りで農業を始めたい」
と言ってきました。
しかも、それは村長やアマチャ幼稚園の
PTAからの要望であると。
学校の周り以外も含め4~10エーカーの
(1エーカー=約1476坪=4047㎡
だいたいサッカーグラウンド1つ分)
土地を村長が用意してくれて、
農作業はPTAが行うという事でした。
(無償で)
「やっと自立に向けて歩き始めた!」
私は感動し、
「農業での収入は全て学校運営か
子供達の為に使う事」
という条件で即座にオーケーし、
種や肥料、耕運機の使用料などの経費は
全て私が出資して運営しています。
ただ、今期に関しては私が直接指導する
事が出来ないので、
村のやり方でやってもらっています。
育てる作物はメイズ
トウモロコシのアフリカ版です。
日本のトウモロコシに比べて甘味は全然ないですが、
食べるとそれなりにコーンな味です。
ガーナと日本で同時進行で行われる農業。
日本の我が農地は300坪(1000㎡)程度
ですが、日本の農家さん達が築き上げた
知恵と質が詰まった野菜畑。
ガーナの農地はその20倍以上もある
広大な土地ですが、まだまだ未発達な農法。
この2つがいずれ融合して、
カンジャガ村で美味しい野菜やお米、
栄養たっぷりのメイズやミレット(穀物)が
出来るようになる事が、
私が日本で農業を勉強する目的であり、
それが結果的に家庭の収入向上に
繋がって、学校に通える子供が増えたら、
こんなにうれしい事はありません。
いつになるかは分かりませんが、
海士町でも生産されているコシヒカリを
天水(畑)で育つように工夫して、
ガーナでコシヒカリが栽培できればなー
なんて素人発想で思っています。
専門家の方に言わせれば、
「そんなのとんでもない!」
って事なのかもしれませんが、
人間やってやれない事はないのです。
「ガーナ産コシヒカリ」
食べてみたくはありませんか?
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ほりぽんブログ まとめ
今回はちょっと日本を離れて
ガーナの農業について書きます。
私が隠岐の島で農業に勤しむのと同時に
カンジャガ村でも農業を始めました。
カンジャガ村での農業は私が隊員時代に
ネリカ米、カカオ、ランブータン、空芯菜、
バジル、マンゴーなどに挑戦しながらも、
ことごとく失敗し、
苦杯を舐めたまま帰国するに
至った事から始まります。
何故サバンナ気候という悪環境の中で
農業に挑戦したのかというと、
元々この村の住民の約8~9割は
農業で生計を立てている農業集落。
それなのに、栽培できる期間が雨季のみ
と限定されている(5~8月頃まで)上に、
「種をばら撒いてあとは神頼み」という
収益性の低い方法でやっている農家が
ほとんどでした。
その為、家庭の収入が少なく、
子供を学校に通わせるお金も捻出できない
という現状がありました。
(学校数自体も少ないですが)
そこで、効率的な農業を広めて農業による
収入を増やせば、子供達を
学校に通わせることが出来るのではないか?
という発想で、
素人ながらも今まで作っていない
農作物を育ててみて、
商売としての農業を広めようと思ったのです。
しかし、結果は惨敗に終わり、
収入向上計画も成果を出せずに帰国しました。
と、だいたいはここで終わるかもしれませんが、
ご存知の通り私は諦めない漢!!
負けっぱなしは悔しいですからね、
日本で自ら農業を学びつつ、
再びカンジャガ村での農業に
活かす機会を伺っていました。
海士町に来てから、
そんな話をダニエルとしていると、
何かを察したのかある日、
「アマチャ幼稚園の周りで農業を始めたい」
と言ってきました。
しかも、それは村長やアマチャ幼稚園の
PTAからの要望であると。
学校の周り以外も含め4~10エーカーの
(1エーカー=約1476坪=4047㎡
だいたいサッカーグラウンド1つ分)
土地を村長が用意してくれて、
農作業はPTAが行うという事でした。
(無償で)
「やっと自立に向けて歩き始めた!」
私は感動し、
「農業での収入は全て学校運営か
子供達の為に使う事」
という条件で即座にオーケーし、
種や肥料、耕運機の使用料などの経費は
全て私が出資して運営しています。
ただ、今期に関しては私が直接指導する
事が出来ないので、
村のやり方でやってもらっています。
育てる作物はメイズ
トウモロコシのアフリカ版です。
日本のトウモロコシに比べて甘味は全然ないですが、
食べるとそれなりにコーンな味です。
ガーナと日本で同時進行で行われる農業。
日本の我が農地は300坪(1000㎡)程度
ですが、日本の農家さん達が築き上げた
知恵と質が詰まった野菜畑。
ガーナの農地はその20倍以上もある
広大な土地ですが、まだまだ未発達な農法。
この2つがいずれ融合して、
カンジャガ村で美味しい野菜やお米、
栄養たっぷりのメイズやミレット(穀物)が
出来るようになる事が、
私が日本で農業を勉強する目的であり、
それが結果的に家庭の収入向上に
繋がって、学校に通える子供が増えたら、
こんなにうれしい事はありません。
いつになるかは分かりませんが、
海士町でも生産されているコシヒカリを
天水(畑)で育つように工夫して、
ガーナでコシヒカリが栽培できればなー
なんて素人発想で思っています。
専門家の方に言わせれば、
「そんなのとんでもない!」
って事なのかもしれませんが、
人間やってやれない事はないのです。
「ガーナ産コシヒカリ」
食べてみたくはありませんか?
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