「翻訳のプロ」が少しわかった3時間
テーマ:翻訳「一緒に講演会に参加しませんか?」。ブログとFacebookで交流のあるとら猫さん
から、そんなメッセージが届いた。正直返事に戸惑った。講演なんて「勉強してます」って雰囲気に酔えるだけで時間の無駄、書籍を読んだ方がよっぽど効率的だ。人脈づくり?バカ言え、翻訳は実力一本の世界ぞ!そう信じて疑わなかったからだ。しかし異色翻訳者のトラ猫さんにはぜひともお会いしておきたい。そして内容にも興味があった。「スティーブ・ジョブズ翻訳の裏側」。講演者は井口耕二さん。以前、このブログの記事を取り上げていただいたことがある。それを境に弊ブログのアクセス数は数ランク上がったものだ。まあ、今考えるとあちらから来た方々にこちらの低俗な内容を見られるというのはかなり恥ずかしいことだが・・・
参加するからには課題をもって臨むことにした。「超一流と自分の違いは何なのか」。その答えを見つけてくること。準備として『スティーブ・ジョブズ』の原文と訳文を照らし合わせて読んでおこうと考えた。が、仕事がそれを許さなかった。ようやく読めたのは会場のある渋谷へ向かう電車の中。急ピッチで仕上げたってことは、ボロボロだったりして。そんな意地悪い気持ちも多少交えて読んだ訳文には(ノンフィクションの翻訳書にありがちな)「つっかえ感」がなくスムーズに読めた。そして原文を数ページ読んで感じたのは、僕が普段やっているようなニュース・産業翻訳の1.5倍ほど、訳すのに時間がかかりそうだということだった。
主催はJATという翻訳団体で、参加費は非会員で千円。こういう団体を胡散臭く感じていた僕も、その良心的な料金設定をありがたく思った。講演の時間は2時から5時までだった。長すぎる!夜仕事入ってるし・・・そう思っていたが、あっという間に終わった。例によって睡眠不足だったものの、眠気を感じなかった。井口さんは『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』という本も担当されたそうで、訳されているうちにジョブズの術を身に着けられたのだろうか。
課題も半分はクリアできた。特にインパクトがあったのは仕事場の写真だ。L字型テーブルに30インチモニターを左右に2台配置。その間に24インチほどのモニターが縦置きされていた。そして長時間の作業を考えてこだわり抜いたイス。肘掛けは自ら微調整されたという。タイヤ交換の時間をコンマゼロ1秒でも減らそうと工夫する、F1のピットストップ。そんなイメージが浮かんだ。要するに、作業の効率化をとことん考え、それを実践しておられる。いま手間や費用がかかったとしても、「カイゼン」の効果は永続する。それを頭で分かっていても忙しさにかまけてやらないのが僕、実行に移せるのが本物のプロではないか。頭に電撃を食らったように感じた。ジョブズが「実の両親に捨てられたのか」と幼なじみに問われた時のように。あと、井口さんはシンプルな支援ソフトを使われていて、僕にとって依然として用途の少ないTRADOSより有用に感じた。それが何だったのか聞くのを忘れてしまったが、リサーチして是非導入したい。
簡単に言えば、「道具」へのこだわり、結果的には道具そのものが超一流との違いの一つ。ほかにはないだろうか。僕の「1.5倍」という感覚は合っていたようだ。つまり、和訳で普段平均300~400 words/hourの僕が訳せば200~250 words/hourでしか進められないということだ。井口さんはどうか。実労働1日10時間、90日で22万ワードを訳されたという。別件もこなされていたということで、実質60日として時速を計算すると22万ワード÷(10x60)時間で367 words/hour。Q&Aコーナーで非会員にもかかわらずおこがましくも聞いてみた。体感スピードとしても、確かにそんなもんだったとおっしゃる。この差は「道具」だけでは説明できない。僕が思ったのは、井口さんは暗記力が高く、原文を数文まとめて頭に入れてタンでも吐き出すかのように「ペッ」と訳文をアウトプットできるのではないかということだった。が、それはご本人に否定された。暗記力は低く(といってもご謙遜で僕よりは高いに違いないが)、むしろ文脈を意識して訳せば1文単位でさえないとのことだった。そうなると、翻訳自体のルーチンは自分と似ている気がする。というわけで、「道具」以外の違いの解明は宿題として残った。
そして人脈。井口さんでさえ、人脈がなければこの仕事は得られなかったとのことだった。そうか、今より上へ行こうとすれば、必要なのは「実力+人脈それに運」。考え方を変える必要があるようだ。唯一対抗できると思ったのは仕事時間だが、その濃さにはカルピスの原液とドリンクバーのカルピスほどの差がある。やはりこの「眠たくなるまで働き続ける」というスタイルは効率性という面で問題があるかもしれない。現に年中、頭に霞がかかってるし。
そんなわけで超一流との差を痛感した3時間だったが、帰りの山手線で僕が感じていたのは絶望でなく希望だった。だって改善の余地が山ほどあるということは・・・そして、「道具」は誰にでも揃えられる。帰宅後、いつになく高いテンションで仕事に取り掛かる。いつもよりいい訳ができたような気がした。
でも30インチ導入するとエアコンの風が遮断される気が・・・







