翻訳なんて... -5ページ目

「今年の漢字」に見る一般人と翻訳者の差

「密」が今年の漢字に選ばれたそうだ。これについて「至極妥当」というのが大方の反応のようだ。そりゃあ多数決で決めたんだからそうだろう。

しかし僕は思った。「は? なぜ?? なんで違和感を感じないの?」

密はたしかによく目にした。よく使われた。流行語ということならわかる。けど「今年の漢字」って「その年の世相を表す一文字」じゃないの?逆やん。むしろ「離」やん。たとえば百年後の人が見たら誤解するはずだ。

でもすぐに理解した。これが一般人と翻訳者の違いなんだと。

まず、言葉への感度。そして論理性。そして整合性をとろうとする姿勢。

いちいち解説するつもりはないが、これに違和感を覚えないようなら翻訳者の素質はないと言っていい。

それは「英語で説明しようとしたらどうなるか」を考えてみたらわかる。

「今年の漢字」とはどういうものか、という定義はたいてい入れるだろう。

で、標語をはじめあちこちで使われた「dense」が選ばれたと叙述するだろう。

違和感を感じていないなら、「世相を表す」と「よく使われた」のズレに気づかず、そこのつじつまを合わせずに訳すことになる。読者は首をかしげる。Why Japanese people? 状態になるにちがいない。

実際、翻訳を分かっていない人の訳というのは日英でも英日でもこうした整合性のとれていない(でも本人はそれに気づいていない)文章になりがちだ。

では、どう整合性をとればいいか。

たとえば定義を少しごまかす。あるいは "Japan's Kanji Character of the Year"とするだけで定義は入れない。上で「定義は<たいてい>入れる」と書いたのは、僕ならあえて入れないからだ。

次の授業で受講生に聞いてみようかな。でも、誰も違和感を感じてなかったらショックだから「僕は感じたんだけど」とまず言おうかな^^;

人生で一番大切なものは間違いなく犬です。

はい、即答できます。自分の犬です。愛犬です。

 

父親として最低?

 

いやいや「もの」って言ってるじゃん。

 

犬を物扱いするな?

 

いやいや「物」って言ってないじゃん。

 

もの、つまり人間以外。

 

人脈?能力?お金?

 

いやいや間違いなく犬です。

 

1億くれる?5億?10億?

 

いやいや無駄です。論外です。

 

100億?

 

......

 

いやいやジョークです。彼のいない人生などむなしい。

 

人間を含めたら?

 

それはちょっと難しいなあ汗

 

もっと真面目に書け?

 

いやいや真面目に忙しいんでご勘弁ください。

 

以前友人にもらった高崎ダルマに片目を入れてみました(白目がち?)。

今年は書籍翻訳を果たせたということで。

両目開眼は訳書がヒットした時、または通訳デビューした時かな。

みんなやってましたよね?

今回もはっきり言いましょう。僕は経験豊富です。日本いや世界の数々の......いえ、単なる妄想、とは少し違います。

青年期にこんな遊びをしていました。テレビをまばたきしないようにして観る。チャンネルは変えてもOK。そして「これは」という人が現れたところでまばたきをする。すると、そのお方と......というゲーム。意図せずまばたきしたならもう仕方ない、お相手はその時の人です。まあ、ほぼすべての男子(女子も?)が同じ遊びをしていたでしょうけどね。(ほかにはゴミを遠くから投げてゴミ箱に入ったら......とか)

だいたいこんなことをするのは深夜ですから、番組にはあまり期待できない。昔の話ですし、時間帯によっては放送終了している局もあります。ねらい目はCMです。十分心の準備をしてから目を開けると、おっと、さっそく素敵な候補者が。でもせっかくだから有名人がいいなあ。

目を見開いたまましばらく待つとメジャーな女優さん。ただ、タイプではない。目にはまだ余裕がある。ここはパスしてもう少し選ぼう。もっと好みの人が出てくるかもしれない。

ところがCMが終わり、さえない中年おやじのトークショーに。焦ってチャンネルを変えます。ここの局はテレビショッピングか。ちょっと厳しいなあ。やっとCMを見つけるも、違う。男性用整髪料とか今いらん。

とかやっているうちに、まぶたがピクつき始めます。後悔先に立たず。しまった。最初のボラギノールの人でよかった。目の乾きがマックスになると、もうどこで着地するかわかりません。もちろん女性とは限らない。あえなく新日本ハウスの吉幾三で力尽きたことも。人間かもわからない。カルビーのカールおじさんでジエンドしたこともあります。

あと、気をつけなきゃいけないのが複数人出ているCMです。ロックオンしたつもりが、目をつぶる直前に場面が替わって大滝秀治、なんてパターンも。

馬鹿な遊びを、とお思いでしょうか。とんでもない。こういう遊びを通して、たとえば株を売るタイミング、仕事のオファーへの対応、といった大人になってから必要になる社会的スキルが磨かれていく(?)のです。

今日、数十年ぶりにやってみました。BOSSのトミー・リー・ジョーンズでした。僕は何も学んでいないようです。

 

※ 教える立場になってから説教めいたことばかり書くようになった自分に気づき原点に帰ってみました。

Catch up with me if you can

ぜひ catch up してください。

そういう気持ちで翻訳を教えています。

出し惜しみはしない。

けどプロの僕がこれだけやっているのですから

それ以上やってもらわなきゃ困る。

ほんとにそんなにやってるの?

はっきり言いましょう。

こんなに規則正しいわけじゃない。

でも、ほんとはこれ以上にやっています。

引かれそうなのでこれぐらいで勘弁しておきましたが。


地域支援のため^^に何度かおいしくいただいたGo To 定食
(雪国観光センター魚野の里、作業場から車で5分)

ところが不思議なもので

新潟のマンションから東京の自宅に帰ってくると

仕事・勉強時間は減ります。

(本当に追い詰められた時を除く)

可処分時間はこっちのが多いはずなのに。

We live in an age of constant distractions.

ということでしょうなあ。

というわけで通訳翻訳WEB

英語キャリア制覇チャレンジコラム第9回

「東京・湯沢デュアルライフその後」

をお楽しみください!

息子が東大を目指しています

志望校について僕は一切口出ししていない。彼が自分で選んだ道だ。大学でこれを学びたい、というのは特にないようだ。とにかく頂点を、最高学府を目指したいだけ。それでいいじゃないか。学歴で人生が保証されるわけじゃない。でもいいじゃないか。てっぺんに向かって挑むその姿勢を、誰が止められよう。

 

いや、普通の親は止めるのかもしれない。親同様、決して優秀な頭脳の持ち主ではない。ガリ勉くんでもなく、ダンス部で髪を染めていたむしろチャラい部類(見た目は父とだいぶ違う)。他の国立大より受験科目が多いだけに、途中で目標を下方修正すれば大きなロスになる。客観視してうまいこといさめるのが、正しい親なのかもしれない。

 

しかし僕は、そのチャレンジ精神に感心した。半年後にどんな結果になるかは分からないが、精一杯やってほしい。高校受験の時もそうだったが、大事なのは過程だと思っている。

 

というか、僕は思う。落ちたほうがいいと。浪人したほうがいいんじゃないかと。

 

今年新しい学校に入学した子供たちは本当に気の毒だ。新しい友達をどのタイミングで、どうやって作ればいいのだろうか。人はなぜ偏差値の高い高校や大学を目指すのだろう。質の高い授業・講義や進学・就職のためかもしれないが、実は「ハイレベルな学生に揉まれること」に価値があり、それが大きな財産になると思っている。

 

これを「人脈をつくれること」と言う人もいるが、僕はその考え方が大嫌い。そんなことを言うのに限って何の実力もないもんだから人脈を築いたところで生かせっこないと考えている。たしかに人脈は大事だが、それは目的ではなく結果なのだ。

 

それてしまったが、来春ノーマルに戻れるかは、甚だあやしい。ならば、1年(で済む?)浪人して満を持して入学した方が、ストレートで入るよりもベターなのでは。そもそも浪人にデメリットって、あるのだろうか。年齢関係なく普通に対等だったし(ちょっと大人びて見えたけど)、就職で不利なようにも見えなかった。

 

そこで大学時代の仲間たちに聞いてみた。シンプルに受験勉強が1年プラスになるのが心身つらい、2浪すると就職でハンデになりかねない、定年制を前提にすると生涯賃金が減る、浪人すれば合格できるという保証はない、などなど。あるにはあるが、卒業から20年以上経った今もなお親身に意見してくれる友人が、今の状況下でできるだろうか。やはり、浪人は大いにアリだと思う。

 

ただし予備校の学費は抑えたい。次男の高校受験とかぶるし。浪人したら、越後湯沢に翻訳作業場として持っているリゾートマンションに置き去りにして、ひと月ほどこもってもらうのもいいかも。自炊能力は僕より高いし。何かあればすぐ駆け付けるとして、ひとりで集中して勉強。僕がそう使っているように、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」ってやつ?疲れたら大浴場や隣の温泉で体をいやし、誰も来ないサウナで英文でも復唱するといい。えっ、めっちゃ楽しそうじゃない??

 

そう、だから僕は「浪人してもいい」などと本人には決して言わないし、妻にも言わない。(なので内緒でお願いします。)今からそんな気持ちで勉強して1浪やそこらで受かるような学校ではないから。逆に「浪人はさせない」と言ってある。志望校に口出ししない、と書いたが、彼の第一志望だった私立高校に入学した時点で「大学は(私立はお金がかかるので)国立で」と言ってある。つまり「東大に落ちたら高卒で働く」というDo or Die企画になっている。

 

予備校からたまに呼び出しを受けるが、余計な講座を押し売られるのが目に見えているので、いつもすっぽかしている。これはその時の会話である。

 

 

といっても、普段の関係から半分ギャグだと分かっているはずなので、ご心配なく。さすがにそう信じ込ませるところまでプレッシャーをかけるつもりはないし、その必要もない。思えば、どうしても入りたいという高校を自分で見つけてきた中3の今頃から、彼に勉強しろと発破をかけたことはない。目標に真っすぐ向かうその姿勢は、大いに見習いたい。

 

人が「愚息」と言うところを、我が子への称賛を臆面もなく書けるのはなぜだろう。なぜブログのネタにできるのだろう。きっと完全に別人格として見ているからだろう。僕は自分の夢を息子に託していない。今なお僕には僕の夢がある。こちらの視線に気づかないほど机の前で集中している姿を見て思うのは「頑張れ!」より「負けるか!」かもしれない。

 

もちろん応援はするが、僕にできることといえば英語の質問に答える以外では、予備校代を稼ぎながら、仕事と勉強に打ち込む背中を見せることぐらいだろうか。最近ドアを開け放しにしている。時には背中越しに、クリックベイトにつられて開いたグラビア写真も見せているかもしれないけど。あとは、ただ見守るだけだ。心の中で「落ちても全然ええんやで」とつぶやき、たまにGo To Eatに誘って邪魔しながら。