「ハローさんに行く前の、本牧神社での絵馬に書かれてた言葉が、とっても素敵だったよ!」
 
大鳥中コミハの館長さんが、前回のブログにも書いた、本牧アートイベント「ギブ・ミー・チョコレート」に参加された際、そう教えてくれました。そして、その言葉も教えてくれました。
 
その瞬間、温かい温泉水が胸の中に、ひゅ~っ、、、。
 
「そうだ、その絵馬、もう使わないようだったら、もらえないかな。」と、その数日後、思い立ち、構成・演出の石神夏希さんに頼んでみました。
 
石神さんは、なんて表現したらいいんでしょう。私より、ずいぶん若く、賢く、笑った顔が大変
優しい、素敵な女性です。今回の企画全般も、彼女らしさが、彼女の良さが、あちこちに散りばめられてるなあキラキラ、と感じました。
 
私のお願いを快諾!してくれた石神さん。先日、ちょうど、私がランニングに出てる間に、その「絵馬」をお店にわざわざ持ってきて下さいました。(会えなくて、残念えーん
これが、イベントで使われた絵馬です。
ネタバレできないので、どのように使われたかは秘密にしておきます。
 
そして、この絵馬の裏は、、、。
この言葉は、コミハの館長さんから、聞いてはおりました。
そして、イベントの、次なる目的場所のヒントの言葉、ということもわかってもいます。
でも、でも、でも、こんな言葉を書いてもらえるなんて、、。
 
この絵馬を見た瞬間、まるでドラマのように、涙が込み上げてきました。慌てて、カウンター奥にある、荷物置き場に駆け込む私。拭いても、拭いても、拭いても、拭いても、涙が込み上げてきます。
 
今は、お陰様で、お店も5年目を迎え、楽しく仕事をさせて頂けるようになりました。
が、OPEN前後の5~6年間は本当に、色々なことがあって、大変でした。私ばかりが大変なわけではないし、震災や災害に遭われた人のほうが、もっと、もっと大変えーん
 
そうは思うものの、病気の治療を終えたばかりの主人と、まだまだ幼い息子を抱えながら、新しい仕事を立ち上げつつ、家庭と子供のことをするのは、精神的にも、肉体的にも、時間的にも、本当に大変だった。身体が3つ、欲しかった。
 
また、経験のない仕事の立ち上げ、というのも、全く先が見えず、、、。(しかも生活がかかっている!)
 
今でもイメージしてしまうのは、砂漠の中を、主人をおんぶし、息子を抱っこし、どちらにオアシスがあるかもわからず、放浪する自分の姿。飲み水も、もう、なく、、、。ひたすら、歯を食いしばって、歩き続ける、、、。主人は主人なりに、息子は息子なりに、自分の力で歩こう、と
頑張ってくれていたけれど、とにかく体力的に本当に厳しかったえーん
 
「おかあさーん!おかあさーん!」 
 
もう、声変わりして忘れてしまったはずの、息子の幼い声がなぜか耳元に。
あの時の、記憶の蓋が、ぱかっと開いてしまった、、、。
 
お客様が来られると困るから、もう泣き止まなくては、と思うものの、涙は溢れてくるばかり。
せめて、嗚咽の声は漏れないように、、、。
 
また、この絵馬の小ささが、私の胸を貫いてしまった。縦1.5センチ、横3センチ弱の小ささ。
口では、色々と欲な事をゆっているけれど、本当は、胸の奥には、本当に本当にささやかな願いしか、ずっとなかった。
 
「家族が元気で笑っていますように。」
 
結局、お客様が来られて、やっと顔を上げた私。時計を見ると、30分経っていました。
 
鏡を見て、顔をチェック。「マスカラは落ちてないよな。よし。」(←過去の反省)
目と鼻は赤いけれど、お化粧でも隠せない。「このおばさん、何か辛いのかな。」と思われても仕方ない。それでも、しっかり笑おう。
 
その記憶の蓋は、そのまま開きっぱなしで。ふとした瞬間に、涙が溢れて溢れて、、、。
翌日のお休みの日になっても、息子と主人のシャツにアイロンをかけていても、涙が溢れてくる、、、。今度は、加えて、助けてくれた、私と主人の両親、親戚達、保育園時代からの、全国に散らばってる沢山の友達、会社員時代の友達、ママ友、アルバイトさん達、そして、心優しいお客様達の顔が次々と、、、。
 
主人は、今は、見違えるほど、元気になり、私の前を歩いてくれています。
息子は、冗談ぽくしつつ、悪態をついてくるけれど、「僕のために、一生懸命、働いてくれてありがとう。」との言葉も出すように、、。(←たった1回ですが滝汗
 
「ああ、もうきりがないえーん。もう一度、ちゃんと、蓋をしよう、、、。」
私は、予定を少し変えて、ゆっくり眠ることにしました。
 
きっと、こういう事を繰り返し、いつか「ああ、あんな時代もあったな。」と笑って思える時がくるのでしょう。そして、その次の機会は、息子の結婚式であって欲しい、、、。
 
石神さんは、絵馬とともに「本牧で会ったほんとうの話」という冊子も、一緒に持ってきてくれていました。何人かのお話の中に、私が、何気に語った話も入っています。
 
「桜のつぼみがふくらむ頃、OPENします。」との表示だけして、つぼみを毎日見ながら、
OPEN準備をしたこと。暖かい春で、つぼみが、どんどんふくらんでいくので、慌てたこと。
 
近くにハロー坂があることと、「人やモノや情報が出会う場所になって欲しい」意味をかけて
「ハローカフェ」と命名した事。
 
3年経ったら、山の上に登れてるかな、と思っていたけど、経ってみたら、全然まだまだと
がっくりしたこと、などが書かれた最後に、、、。
 
「もう、いろんなことがありました。心臓の止まりそうなこともたくさんありましたけど、おかげさまで5年目を迎えています。」
 
何気に言ったらしい、この言葉。記憶にない滝汗。 だからこそ、本音だな滝汗
(こうやって、無意識に、いろんな事、言ってるんだなあ。気をつけよう滝汗
 
でも、まあ、本当に、
「これ以上でも、これ以下でもないなあ、ほんとえーん
 
たくさんの、本当にたくさんの方々のお蔭があって、今があります。
この感謝の気持ちが、時空を超え、その方々に、どうかどうか届きますようにえーん
そして、その方たちが、私を助けてくれたように、誰かにどこかで助けられ、
どうか少しでも、幸せでいて下さいますように。南無。南無。南無。