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RIZINのメイウェザー選手VS朝倉未来選手を観ました。
残念ながら朝倉選手は負けましたが、メイウェザー選手の強さが光る良い試合でした。
しかし、それらの試合を台無しにする事が起きました。
試合前の花束贈呈の際、ごぼうの党党首の奥野卓志なる者が、メイウェザー選手に花束を投げ捨てるという蛮行を行いました。
僕はこのブログでも「たとえ敵とて礼節を尽くせ」と何度も言って来ましたが、この奥野なる者は、社会的信用を全て失ったと言っても過言ではないでしょう。
たった一回、礼を欠いただけでですよ。
それほど礼儀と言うのは大切なものなのです。
ネットのコメントでも「日本の恥さらし」と酷評されています。
僕も同感です。
貴様に日本人を名乗る資格は無い。
いい大人がやっていい事と悪い事の区別もつかぬか。
日本人は特に礼儀を重んじる民族なので、礼に欠く者を嫌います。
それはなぜか?
この狭い島国では、人々がいつまでも憎しみ合っては、皆んなが不幸になってしまいます。
なので敵対する相手と対峙する時にも、後々も恨みを持たぬ証として礼に始まり礼に終わるのです。
逆に礼儀を欠く「騙し討ち」などをすると、長い間人々が恨み憎しみ合う事になるので、日本人は経験上、潜在的に礼儀を重んずるのです。
戦いの中での礼は「あなたと戦える事に感謝します」と言う意味があります。
なぜなら、対戦相手がいるお陰で、自らを表現できるからです。
狭い土地で礼儀を欠く人は、自らを破滅させる事になります。
今回のような蛮行を働く者が政治家ですと。
日本の政治家は、花束を拾うアメリカ人のメイウェザー選手に礼儀を学ぶがよい。
お客様は鍵を紛失。
連休を利用しての旅行でシッカリ2ロック。
お客様「夜分に申し訳ありません」
当店のお客様は本当に礼儀正しい方ばかり。
僕はお客様には勿論、作業前には鍵に対しても頭を下げます。
鍵などの物に対して頭を下げるのは滑稽に見えますが、一礼する事で緊張や雑念をはらえます。
よって自分が持つポテンシャルを最大限に発揮できる。
最高度の防犯性を誇る貴殿なれど無破壊突破せしめます。
ムカついた時、挫折した時、路頭に迷った時、その対象物に対して、心を無にして姿勢を正し一礼して見て下さい。
そのフラットな心になった時に、ひらめきが生まれるのです。
礼には心と体を一体化する効果もあります。
ただヘラヘラと頭を下げるのでは無く、無心で一礼するだけです。
ちなみに中国や朝鮮での礼には「忠誠を誓う」意味があります。
頭を下げる事は「敗北」「隷属」を意味します。
しかし日本では勝利した者こそ先に頭を下げます。
日本では「感謝」と「自戒」を意味します。
これは広大な土地で暮らす民族と、狭い土地で暮らす民族の文化の違いです。
人の数だけ正義があります。
時にはぶつかる事があるのは当然です。
夫婦喧嘩、離婚問題、隣人とのトラブル。
もし両者が礼儀を修得した者同士なら、たとえ喧嘩をしても、お互いは成長し合うでしょう。
礼儀と言うのは千年の恨みを一瞬で消滅させる力があるのです。
恨みを持つのでは無く「やるべき事をやる」それを示唆してくれます。
毎日の挨拶も礼儀のひとつ。
挨拶が出来ない人は幸せにはなれません。
子供達は是非、この奥野氏のような大人にはならないようにして欲しく願います。
礼儀とは「作法」では無く、人々を繋ぐ行いなのであります。