2017年冬季特別号 その3(2017/02/22)
今度は、カルカースの「私を守ってくれ」との要請に応じて、アキレウスが答えます。
θαρσήσας μάλα εἰπὲ θεοπρόπιον ὅ τι οἶσθα:
οὐ μὰ γὰρ Ἀπόλλωνα Διῒ φίλον, ᾧ τε σὺ Κάλχαν
εὐχόμενος Δαναοῖσι θεοπροπίας ἀναφαίνεις,
οὔ τις ἐμεῦ ζῶντος καὶ ἐπὶ χθονὶ δερκομένοιο
σοὶ κοίλῃς παρὰ νηυσί βαρείας χεῖρας ἐποίσει
συμπάντων Δαναῶν, οὐδ᾽ ἢν Ἀγαμέμνονα εἴπῃς,
ὃς νῦν πολλὸν ἄριστος Ἀχαιῶν εὔχεται εἶναι. (1-85~91)
安心してそなたが知る限りの神意を存分に語るがよい
ゼウスに愛されしアポローンにかけて(カルカースよ、そなたはその神に
祈りつつダナオイ人達に神意を明かすのだが)
決して誰も私が生きている限り、そして地上で目を見開いている限りは
そなたに空ろな船の傍らで重い手を下ろすことはない
全アカイア人の中で、たとえそなたの言うのがアガメムノーンのことであろうとも
その男は今アカイア人達の中で遙かに抜きんでていると高言しているのだが
85行目のμάλαはεἰπὲにかかり「大いに、存分に」のニュアンスです。
86、7行目で、アキレウスは巧みにカルカースを安心させようとしています。「カルカースよ、そなたはその神に祈りつつダナオイ人達に神意を明かすのだが ᾧ τε σὺ Κάλχαν/εὐχόμενος Δαναοῖσι θεοπροπίας ἀναφαίνεις」と補足しています。もともと、怒り故に矢を降り注いでいるのはアポローン自身でした。それに加え占い師カルカースがその職能遂行にあたって祈りを捧げる神です。そのアポローンに誓うのですから最も重い誓いに違いありません。
88行目のζῶντος(生きている限り)、δερκομένοιο(目を見開いている限り)はいずれも独立属格です。ζῶντοςとἐπὶ χθονὶ δερκομένοιοとは殆ど畳語ですが、この念を押すような畳語法によって固い意志が伝わってきます。
91行目のεὔχεταιについて、Leafは「我々が言うところの自慢するといった(強い)意味はない does not imply any boastfulness in our sense of the word」としています。これに対してKirkは「疑わしい自慢 a doubious boast」であると註しています。確かにホメーロスのεὔχεταιの用例では他の多くの場合前者の指摘が当たっているのですが、ここでアキレウスの口から発せられたεὔχεταιは後者のいうとおり、むしろ強い意味であってそこに皮肉を込めたととるのがよさそうです。
先のアキレウスの発言(59~64)では、アキレウスは全軍を慮る指導者として現れ、アガメムノーンに対しても何ら含むところはうかがえませんでした。しかしここに至ってアポローンの怒りの原因がアガメムノーンにあると感知したのでしょう。「その男は今アカイア人達の中で遙かに抜きんでていると高言しているのだが ὃς νῦν πολλὸν ἄριστος Ἀχαιῶν εὔχεται εἶναι」はアガメムノーンに対抗する意思を表明しています。両者の衝突が間近に迫っている緊張が感じられます。