「あなたは今後、物書きとしてどのような方向に進みたいと考えていますか?」と訊かれたので、「作家です。オタクの世界を内側から描く純文学系の作家になりたいです」と正直に答えた。すると、相手は怒り出した。「あなたは作家ではないのですか。作家とは何ですか。あなたは私のことを作家ではないと思っているのですか」と言って。

文章だけで生活しているわけでもなく、著名な作品を書いたわけでもなく、コンスタントに作品を発表しているわけでもなく、何らかの文芸賞を獲ったわけでもない自分のことを、私は作家だと思ったことはない。しかし、作家を名乗るために必要な資格が法で定められているわけではないことくらい知っているし、先に「作家」を自称して結果を出していくというやり方があることも知っている。彼が自分のことを作家だと思いたいのならそう思えばいい、というのが私の考えだった。

ただし、それは私に噛み付いてこなければの話だ。自分のことを作家だと思っていない私に対して怒り出す彼に、私は違和感と異常性を感じた。彼は、私が「白木紅愛」であることを知らない。彼の知っている物書きとしての私は、著書の一冊もない駆け出しのライターで、著作権が自分に帰属しない2000文字程度のショートショートを月に数本書いているだけに過ぎない。そして、それは彼も同様だった。それでも彼は、自分が作家であることを私に認めさせようと、感情的な言葉を乱発する。

結局その場は私が引き下がる形で話を収めた。下手なことを言ってそれ以上怒らせたくなかったのだ。後に私は彼が大学で文芸サークルを主催していたことを知った。「作家」という肩書きに彼が固執するのは、そのとき出会った人々との間に起きたことと関係があるのだろうかと思ったが、私はその真相を知ることなく彼のもとを去った。

彼のあのときの言動は今思い出しても不快だが、彼のような人とじかに接することができて良かったとも思っている。彼のようになってはいけないと学んだからだ。姉に対しても天野さんに対しても、私は強いコンプレックスを持っている。姉のサイトの常連たちや天野さんの取り巻きたちを見返してやりたいという思いもある。でも、そのような思いに捕われていては、大切なことを見失い、肩書きばかりを求めるようになりかねない。それがどれほど愚かなことか彼の言動を通じて知ったから、あの日の不快な経験も無駄ではなかったと思っている。