こんにちは。美容家の志田さおりです。
ちょっと重い内容が続きましたね。
重い長文をお読み頂き、ありがとうございます。
でも、ブログで誰かに贈るメッセージを考えたら、
やっぱり最初にあなたの事を書かずにはいられませんでした。
5年が過ぎた今でも、
私がボランティアで施設をまわっていられるのも、
頑張って仕事が出来ているのも
あなたがいたからです。
昨日のブログの続きから
闘病生活で私は
6人部屋に3ヶ月入院していました。
大変な事もいっぱいありました。
特に私の病室は、重病の方ばかりで
3ヶ月間この部屋に残ったのは、
私たった1人でした。
亡くなられては、新しい患者さんが入り、、
その繰り返しでした。
辛い現実を目の当たりにする大部屋は、
しんどかったけど、
きっと個室で1人でいるよりも
良かったと今は思える。
私は、この病室で、
同室だった沢山の患者さんたちに
可愛がって頂きました。
可愛がられすぎて、
しんどい事もありました(笑)
毎朝5時になると、私のベッドの横へきて、
作った俳句を詠むおばあちゃん。
しかも、一個や二個じゃない。
永遠と訳のわからない内容の俳句を
朝の5時に聞かされる私、、、。
それは、私がどんなに熱があろうが、
辛い日だろうが、構わなかった、、(涙)
色んな患者さんがいる中で、
私のすぐ足元のベッドに入院された
平井さんという50代の女性がいました。
とてもとても優しくて、いつもいつも
私のベッドにやってきて、
「志田さん♡おはよう!
今日は、顔色いいよー!
早く元気になって、
あんなに可愛い子供さんたちの元に
戻らないとねっ」
優しい笑顔で毎日励ましてくれました。
そして、夕方になると、
必ず平井さんの旦那様が来て、
ずっとずっと平井さんのそばにいて、
夜はそのまま同じ布団で添い寝して
楽しそうに幸せそうに
会話をして帰られる毎日が続きました。
2人の仲のいい姿を見てるだけで、
温かい気持ちになれました。
平井さんは、末期ガンで、
色んな箇所へ転移されていました。
放射線治療で入退院を繰り返し
病室が変わっても、
変わらず私の元へ来て、
「志田さぁ~ん。今度はいつ子供さんたち
病院に来るの?お菓子を用意したのよー。
今日はね、うちの娘が東京からきてくれるの。
あとで紹介するわねっ」
その明るさと優しさは、ずっと変わらなかった。
末期ガンだなんて感じさせなかった。
そして3ヶ月が過ぎ、
今度は私が先に退院となった。
私の退院を自分の事以上に、喜んでくれた。
退院してからも、
平井さんに会いたくて
マッサージオイルを抱えて病院に行った。
久しぶりに会う平井さんは、
だんだん動けなくなり、
足はパンパンに浮腫んで痛々しかった。
ご家族が見守る中、
私は少しでもラクになったほしいという思いで、
足のマッサージを始めました。
元気になってほしい。
ただその想いで無我夢中でした。
1時間程過ぎた時、
「うわぁ~!!足の浮腫みがなくなってるよー!」
側で見守るご家族からの歓声でした。
自分でも驚くほど、
さっきまでのゾウの足のような浮腫みが消え、
歩けるようになりました。
嬉しくて涙が溢れてきて、あの日、
病室でみんなで泣いたのを思い出します。
それからというもの、私は、
週に何度かできる限り病院に行って、
平井さんのマッサージをし続けました。
いつものように
「また、今度の土曜日に来ますからねー!!」
そう、笑顔で病室を後にした日が
最期となりました。
数日後、看護師さんから私に連絡が入りました。
「志田さん。本当は、この事を伝えるのは看護師としていけない事なのだけど、、。
それでも、どうしても志田さんに伝えなきゃと思って。、、、」
その電話で、
平井さんがお亡くなりになられた事を知りました。
悲しすぎて、ショックすぎて、辛すぎて
涙が止まらなくなりました。
そして、その日から私は、病院に行く事も、
マッサージをする事もやめてしまいました。
私はあの苦しかった闘病生活で、
同じように病気で苦しみ
支えあってきた人たちは
私にとって家族と一緒でした。
その悲しみは、私の父が亡くなった時と
同じくらい深かった。
私はすっかり何もやる気にならなくなり、
マッサージする事が出来なくなりました。
そんな中で、私の家に送られてきた一台の
大きなピアノ。
つづく。
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