今年の春に、鳥取県の大山 (だいせん) にある、大神山神社の奥宮に行きました。
大山の神様に、5合目付近の元谷まで来い、と言われてその場所まで行った話はすでに書きました。
その時に、 「夏に来れたら、山を登りに来ます」 と言っていたのですが、今年の夏はいろいろと大変で行くことが出来ませんでした。
10月の末になって、 ”今、行っておかないと、大山は雪が深いから、来年の初夏まで登れないのでは・・・” ということに気づきました。
半年以上も先延ばしするのは嫌だな、と思うと、猛烈に行きたくなり・・・先日、行ってきました。
この登山ではいろんな学びがあって、もちろん行って良かったのですが・・・なんというか、もう、本当にしんどかったです。
隠し部屋に上がる階段 (傾斜が驚くほど急な階段です) を、ずっとのぼっているような、そんな登山でした。
ぜーぜー言いつつ、登って、登って、やっと6合目、またそこから、ひーひー悲鳴をあげつつ登って、やっと7合目、という感じでした。
「普通の山なら頂上に着いている頃なのに、まだ7合目?」 とつい、グチがもれ、本気で引き返そうかと思いました。
登ることが出来ても降りれないかもしれない、と不安が大きかったからです。 (運動不足のため)
それでも何とか頑張って、結局、3時間かかって山頂に着きました。
登っている途中、7合目付近だったと思いますが、もうしんどくてしんどくて、ただ無心にひたすら歩いていました。
ふと ”人生って山登りみたいなものだな、つらい登りを頑張れば、いつか山頂に着く。ひーひー言いつつ山を登るように、人生も進んでいくんだな~” と思いました。
でも、マジでつらいな、この登山・・・とも思いました。
すると、大山の神様が 「つらく苦しい時、人は足元しか見ていない。 (しんどいしんどいと、その原因しか見ていない) ちょっと顔を上げて周りを見渡すと、そこには思いもかけない素敵なものがころがっていたりする」 と教えてくれました。
ハッとして顔を上げ、周囲を見渡すと・・・そこは飛行機に乗っているような高さの、雄大な景色が広がっています。
真っ白い雲が眼下にあって、その絶景に、晴れ晴れとした、すがすがしい気持ちになりました。
足元だけ見て、ひーひー言っている時には全然気づかなかったけれど、風も心地よく吹いていたのです。
”本当だ~、足元だけ見ていたら、この景色のありがたみに気づかずに終わってたに違いない” と思いました。
人生もそうなのだ、と神様は言います。
「なるほど~」 と納得しましたが、苦しくて余裕のない私は、また下を向いて、ひーひー言いながら歩きました。
もうダメかもー、と思った時に 「山のエネルギーを取り込め」 と言われました。
言われた通り、両足を踏ん張って立って、両足の裏から、息を吸うとともに山のエネルギーを吸い込みました。
そのままエネルギーは体をまっすぐに通って、頭のてっぺんから空へと通り抜けていきます。
下山して、元谷まで戻ってきた時に、向かって左側の山脈を見たら、山の合間から、大きな半透明の仏様が、空へ立ち昇っていくのが見えました。
うわぁ、誰だろう? と思いましたが、パッと見ただけでは、それが菩薩なのか、如来なのか、未熟な私にはわかりませんでした。
春に来た時に、弥山の方 (向かって右側の山脈) は大山の神様であることは明白にわかったのですが、反対側からも声が一回だけ聞こえました。
その時、太陽が非常に近かったので 「まさか太陽?」 「でも、太陽がしゃべるわけないしなー」 と、謎のまま帰ったのです。
あの声は太陽ではなく、太陽の化身とされる大日如来だったのでは? と考えているのですが、これは半透明の仏様が出現した場所まで行ってみないことにはわかりません。
左側の登山コースは、中・上級者コースらしいので、装備を固めなくてはならず、体力もつけておかねば登れそうもない感じです。
となると、残念ながら今年はもう無理で・・・出来れば来年の夏に、挑戦したいと思います。
紅葉が美しいな~、と思って登り始めたら・・・。
行者谷コースはこんな階段がずーーーっと続きます。
足元ばかりを見るのをやめ、顔を上げて見渡し、手に入れた景色です。
山頂の山小屋です。
丸印の所に、菩薩だか如来だかの仏様が出現して、空へと立ち昇っていました。
大山の神様に、5合目付近の元谷まで来い、と言われてその場所まで行った話はすでに書きました。
その時に、 「夏に来れたら、山を登りに来ます」 と言っていたのですが、今年の夏はいろいろと大変で行くことが出来ませんでした。
10月の末になって、 ”今、行っておかないと、大山は雪が深いから、来年の初夏まで登れないのでは・・・” ということに気づきました。
半年以上も先延ばしするのは嫌だな、と思うと、猛烈に行きたくなり・・・先日、行ってきました。
この登山ではいろんな学びがあって、もちろん行って良かったのですが・・・なんというか、もう、本当にしんどかったです。
隠し部屋に上がる階段 (傾斜が驚くほど急な階段です) を、ずっとのぼっているような、そんな登山でした。
ぜーぜー言いつつ、登って、登って、やっと6合目、またそこから、ひーひー悲鳴をあげつつ登って、やっと7合目、という感じでした。
「普通の山なら頂上に着いている頃なのに、まだ7合目?」 とつい、グチがもれ、本気で引き返そうかと思いました。
登ることが出来ても降りれないかもしれない、と不安が大きかったからです。 (運動不足のため)
それでも何とか頑張って、結局、3時間かかって山頂に着きました。
登っている途中、7合目付近だったと思いますが、もうしんどくてしんどくて、ただ無心にひたすら歩いていました。
ふと ”人生って山登りみたいなものだな、つらい登りを頑張れば、いつか山頂に着く。ひーひー言いつつ山を登るように、人生も進んでいくんだな~” と思いました。
でも、マジでつらいな、この登山・・・とも思いました。
すると、大山の神様が 「つらく苦しい時、人は足元しか見ていない。 (しんどいしんどいと、その原因しか見ていない) ちょっと顔を上げて周りを見渡すと、そこには思いもかけない素敵なものがころがっていたりする」 と教えてくれました。
ハッとして顔を上げ、周囲を見渡すと・・・そこは飛行機に乗っているような高さの、雄大な景色が広がっています。
真っ白い雲が眼下にあって、その絶景に、晴れ晴れとした、すがすがしい気持ちになりました。
足元だけ見て、ひーひー言っている時には全然気づかなかったけれど、風も心地よく吹いていたのです。
”本当だ~、足元だけ見ていたら、この景色のありがたみに気づかずに終わってたに違いない” と思いました。
人生もそうなのだ、と神様は言います。
貧乏で苦しい、貧乏だ貧乏だお金がない、とそればかりにフォーカスすると不幸のようですが、夫婦仲は良くて愛情はたくさん持っている・・・とか、
夫とうまくいっていない、なんであんな夫なのだろう、ああついていないわ不幸だわと言ってても、子供が天使のようにいい子で安らぎをくれる・・・など、
苦しくつらい事だけにフォーカスするのをやめて、顔を上げて見渡せば、そこにはキラリと光る素敵なものがあるのだと思います。
「なるほど~」 と納得しましたが、苦しくて余裕のない私は、また下を向いて、ひーひー言いながら歩きました。
もうダメかもー、と思った時に 「山のエネルギーを取り込め」 と言われました。
言われた通り、両足を踏ん張って立って、両足の裏から、息を吸うとともに山のエネルギーを吸い込みました。
そのままエネルギーは体をまっすぐに通って、頭のてっぺんから空へと通り抜けていきます。
これを3回やったら、だるくて仕方なかった足がスッキリして、また元気に歩けるようになりました。
山頂では、高波動でエネルギーの高い神様の「気」をたくさん浴び、大きな修行のハンコをいただきました。
頑張って登って良かったです。
下山して、元谷まで戻ってきた時に、向かって左側の山脈を見たら、山の合間から、大きな半透明の仏様が、空へ立ち昇っていくのが見えました。
うわぁ、誰だろう? と思いましたが、パッと見ただけでは、それが菩薩なのか、如来なのか、未熟な私にはわかりませんでした。
春に来た時に、弥山の方 (向かって右側の山脈) は大山の神様であることは明白にわかったのですが、反対側からも声が一回だけ聞こえました。
その時、太陽が非常に近かったので 「まさか太陽?」 「でも、太陽がしゃべるわけないしなー」 と、謎のまま帰ったのです。
あの声は太陽ではなく、太陽の化身とされる大日如来だったのでは? と考えているのですが、これは半透明の仏様が出現した場所まで行ってみないことにはわかりません。
左側の登山コースは、中・上級者コースらしいので、装備を固めなくてはならず、体力もつけておかねば登れそうもない感じです。
となると、残念ながら今年はもう無理で・・・出来れば来年の夏に、挑戦したいと思います。
この奥宮には大黒様がお祀りされていました。
春に行った時にもこの看板を読んでいるのに、目に入ってなかったんですね~。
神社の境内にある登山口の道しるべです。
頂上まで遠くないじゃん♪って気になります。
紅葉が美しいな~、と思って登り始めたら・・・。
行者谷コースはこんな階段がずーーーっと続きます。
足元ばかりを見るのをやめ、顔を上げて見渡し、手に入れた景色です。
山頂の山小屋です。
丸印の所に、菩薩だか如来だかの仏様が出現して、空へと立ち昇っていました。