巨星墜つ。
巨星が人それぞれ違うが、時代とともに浸透した漫画文化と、これをさらに深化させたアニメ文化での巨星も今や世界的文化である。
昔でいう、夏目漱石がなくなったとか、芥川龍之介がなくなったとか、そんな感じだ。
TVでもネット上でも1日中報じられた。
自分が初めてしったのが、週刊少年ジャンプで見たあられちゃん。
そのときはあられちゃんとドクターマシリトのつくった18号か何かで、地球の殴り合いで地球をほかの星にぶつけて対決してた回だったと記憶してるが、当時の子供時代とは違いこちらも高齢化しつつあるわが身なので、いささか後につくられた記憶を語ってるのかもしれない。
とにかく、そのはちゃめちゃぶりがとてもおもしろかったのが第一印象。
その後はドラゴンボールがはじまり、国際的にしられるほど人気がありました。
後に、自分も少しかしこくなり、鳥山氏の圧倒的オリジナリティのキャラデザインなどに気づく。
それがとてもすごいことですよね。
まねて学ぶ領域をでなかった絵の領域でしかない自分でも思うこと。
ドラゴンクエストもまだまだ続くと思っていたので、漫画やアニメだけでなく、ゲームの世界でも喪失感がありますよね。
ドラクエ12までは可能でも、13以降をつくるならば「鳥山明風キャラデザイン」ということになるか、まったく別の作者によるドラクエのイメージの転向になるのだから。
いまでいうAIとやらで「鳥山明風キャラ」の構築は可能だろうが、果たしてそうするのか?受け入れられるのか?という人の心の領域にも影響している。
諸行無常の響きあり。
誰も彼も人ですからね。
時が過ぎ去るのは光陰矢のごとし。
誰も彼も。
愛知県って、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康などの生まれた付近だから、そういう独特な何かを持つ人たちが多いよなと前から感じている。