よろず話屋

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資本という資金、資本金によりつくられた組織、つまり株式会社による経済の姿。

それによって運営され需要と供給の市場原理による社会を目指すのが資本主義。

 

「日本は資本主義国だ!」

 

確かに株式会社と、この株式会社との取引をする会社は多数を占める。

しかし、日本には日本という国であり、政府があり、行政がある。

 

国は税金を徴収し、行政組織を運営し、国民へも再分配を行う。

電気代やガス代の補助を5月までで打ち切るという。

それではそれまでの間、補助を受けていたことは社会主義による行為である。

ガソリンなどの補助も同じである、社会主義だ。

高収入の人から高額な税金を取るのも社会主義的行為である。

資本主義で平等公平な国民の扱いならば、高収入だろうと低収入だろうと、一律の同率の納税を求めるだろう。

300万円の収入の人に1割の所得税を納税させるならば、3億円の収入の人に1割の所得税の納税を求めるのが公平で平等な納税となる、資本主義の世なら。

 

さらに資本主義とは需要と供給のバランスによる価格決定も含み、唯一の製品をつくって販売すればほしい人はそこでしか買えず、同業他社の競争は民主主義的プロセスにおいて優劣が決まるシステムだ。

 

このあたりがおさらいだ。

 

さて、現在において、ここまでの原理のままであろうか?

そうではない現実があるから、原理を語ると「それは違う!」ということになる。

原理から変化して応用の資本主義どころか社会主義と合体しているのだから。

 

残念ながらその現実を解説した内容を俺は見たことも聞いたこともない。

 

それぞれの立場にいる人の現実の一言を聞いたことはあるくらいだが、あくまでもそれも現実の一部であり、全体を正しく説明する言葉にはならない。

 

原理からはずれた現実の例をいくらかあげるなら、倒産しそうな会社は国が買い取り、立て直した後にまた株の上場を行い、その会社を国が売りに出す場合とか、すでに資本金ではない土地や工場や設備があり、それがある上で生産を行い利益を出すのだから、株の売買市場でいわれる株価などどうでもよいとか。

 

新しい資本主義などというものは、単純に社会主義というと何かから反発を受けるから資本主義と呼んでるだけに思える。

今更な感があるが・・・・。

ずいぶん前からVRVRとはいわれるが、それでは多くがVRを体験するわけではない。

PS4でも3~4万、PS5などは本体の金額並みのVR2を購入しなくてはいけない。

正直、PS4のVRなら去年の年末あたりに中古屋で1万円切る価格で扱ってたが、恐らくそれでもわざわざ買おうという人は少ないだろう。

ちらりとスペア的な感じで買おうか?と思いはしたが。

 

とりあえずVRもソフトともども積んでたが、とりあえずセットして使ってみた。

購入してアルトデウスを少しプレイして片づけていた。

アルトデウスでも、下を向くとふくらみが二つ見えるので、「ああ、俺は女キャラか。」くらいは思ったが。

 

おや、ちゃんとVRのレビューになってるよね。

 

今日はとりあえず簡単にVR体験できそうな「KIZUNA AI」をしてみた。

非VRでは曲も一通り聞いたがVRは初。

 

なるほど・・・・・そうなるのか。

 

VRだ。

 

非VR体験では思いもしないVR化だ。

VR用につくられている映像といえばいいか・・・。

 

ムービーのほうは画像が粗いが、それでも舞台などは完全にVRだ。

 

なるほど。

 

ま、これは見るしかないからな。

どうもこうも・・・・。

 

一応、いつかどっぷりVR体験しようとソフトもいくらか積んであるからな。

とりあえず「勇者のくせに生意気だVR」などはおもしろいらしいから外していない。

 

VRゴーグルがなくてもできる「No Mans Sky」もVRだし。

 

とりあえず勧めるとするなら、中古屋にあるならそれを購入して体験してみる価値はあるとはいえる。

 

ネット記事にあったが、PC用のVRゲームに「VRカノジョ」という、かつて話題になったゲームがあるらしい。

アダルトVRゲーム。

 

かつてビデオもアダルトビデオによりビデオデッキが普及したという伝説があるが、VRもそういう普及が普通であるように思う。

もちろん、普及はしていないと思うが。

 

男はそういうVRカノジョなどで引き込めばいいと思うが、女性向けには何がいいのかね?

 

そういう時代だろうと思う。

経済とは人が生活するためのすべての運動のことで、貨幣経済とは貨幣というお金により人々が生活する一つの姿のことである。

そこに主義的な社会主義とか資本主義などという流派があるのだ。

 

それでは今の日本はなんの流派かというと、かたや社会主義で、かたや資本主義という両派を組み合わせたものと、ときどきの人々や権力者の恣意的個人的な心情によるエゴが混ざっているものである。

 

日本では資本主義も社会主義もどちらか片方を主張すると必ずどちらにも強烈な反発を持つ人たちが猛烈に非難をはじめる。

 

が、日本は社会主義であり、資本主義である。

 

未だにこれすらわかってない阿呆が多い。

 

それでいて、そのときどきの信条でふらふらと動く感情も経済に組み込むからなおさら理解しにくいだろうし、だから余計に自分たちの国の現実も理解不能な人が多いのだろう。

 

貨幣経済とはお金による生産、流通、消費、蓄積などを行う経済体系のことだ。

情報や体験も”消費”するところでお金を支払う。

物やサービスの対価たるお金だ。

お金だけが動くものには、寄付や援助があるがこれも貨幣経済の一部だ。

為替は別種のお金を売買するものだから、これも貨幣経済である。

この貨幣経済がほとんどの人々が使われるのには理由がある、それは便利だからだ。

物と物を交換したりする物々交換などは、需要と供給の合致が難しいが、お金という価値観を統一した道具を使うことで需要と供給の合致を簡単にしている。

つまり、貨幣経済によりその優劣もわかりやすくなり、お金が多く持つ人が裕福であるという優劣をつけやすい。

優劣とはあくまでも貨幣経済を語る以上、貨幣を多く持つものが優秀であるというルールだ。

さらに、この貨幣の多寡は未来永劫その人のものではなく、時とともに貨幣を持つ人を移動していく。

今、お金持ちでも10年後には借金だらけになってるかもしれない。

貨幣経済とはそういう世界だ。

 

お金を持つことが目的ではなく、貨幣経済とは貨幣を流動させることが目的であり、この貨幣の総量を増大させることが裕福への道でもある。

 

貨幣の目的と総量が増大すると裕福になるということに「ん?」と疑問を持つ人が多いだろうか?

 

例えば日本円の総量が増え、それがすべて流動していればどうだろう?

増えた日本円の総量はどんどん増大していて、この日本円がひとところにとどまらずに動き続ける、流動しつづける。

 

もしもそんな状態が現実にあるなら、日本はとんでもない好景気だろう。

 

「何かアベノミクスとかで金融緩和がうんぬんとかいってても、今は物価があがって裕福とはいえないよ。」

 

そう、いいことをいう。

それは先にあげた未曽有の好景気の条件である、貨幣の流動が行われていないからだ。

日本円の総量が増えても、これが動かずにどこかにとどまっていれば、それは物やサービスもそれだけ動いていないのだから、現状の流動している貨幣という一部の日本円分の貨幣経済でしかない。

 

流動してるのは一部の日本円。

 

一つの指標ではGDPという数字でも大まかな規模は把握できるだろう。

GDPで一つの、のべ流動貨幣経済規模を把握しているのだ。

 

このGDPの金額が増えると、経済が成長したといえ、これが同じままならば決まった経済の規模の中での貨幣の分配が続き、減れば分配される金額も減少していく。

 

つまりGDPの一つの指標でたとえても、この規模が増大すると分配金額も増大、つまり裕福にむかうことになる。

 

一応いうと、このGDPも資本主義と社会主義の合算された貨幣経済だということ。

 

日本が社会主義であるという面を明確に述べる人がどれだけいるか知らないが、先のコロナ禍の医療やワクチンなどの無償化は社会主義の仕組みだ。

健康保険や年金などというものは、保険という言葉と体裁を保とうとしているが、正直実質的には社会主義であると僕は思うが、表だって社会主義のしろものというといろいろ反発も起きるから保険と呼んでいるだけだ。

 

もちろん、先に述べたように人のエゴも明快に経済に影響しているので、この保険も将来的に決まり事をかえる、法律などをかえていくならばその限りではない。

 

高額な所得に対する納税などは資本主義的思想であるが、そこには現実という現物、つまりないものはない、あるということはあるという、ごくごく当たり前の現実感による手口であるから、資本主義とは違う。

 

つまり、お金に困らないレベルの人々に援助はいらないという社会主義としてもしごくまっとうな現実主義でしかない。

 

脳内だけの、言葉上の、原理的な公平だの平等だのというものではないが、そのレベルで求めるならみんなが豊かに、みんなが貧困にという平等と公平になり、裕福な生活に困らない人というジャンルの人々の存在自体が悪である。

 

とりあえず原理的な平等と公平な生活レベルとは、みんなが貧しい社会しか現実には存在しない、していない。

 

挙句に、そんな状況の経済にも人のエゴが生じて、横領した数少ない豊かな人と、それ以外の貧しい人々が現実である。

 

なんか疲れてきた…先も流そう・・・・それに俺も経済理論に詳しいわけでもないのでこの辺で終わっておく。

かつての日経平均株価の最高値は、1989年12月29日の終値で3万9098円68銭とのこと。

それからおよそ34年後の今、日経平均の株価は4万円をこえた。

 

おめでとう!

みんなうはうはだろ!

うらやましい!

なにせ日経平均株価が最高値。

日本は景気よく、多くが経済的裕福な状態にあるはずだ。

 

どうだい?

 

みなさんの現状は。

 

34年前も大して変わらないと思うけどね。

 

それがいいたいだけだが。

 

今も昔も株価がよくて懐が温まるのは、値上がり株を所有して値上がり株を売った人か、株価が上がる会社やその株を持つ銀行や証券会社やファンドやそこへ投資した人々だ。

 

このくらいはさすがに常識だろ?え?まだ知らないの?

嘘だろ?

嘘だといってくれ・・・・・。

 

確かに34年前と今ではいろいろなことが変わった。

 

給料の賃上げでも「給料上げてください。」といえば、「ならそれだけ稼いで来い!」というのが当たり前の34年前が、今では「販売価格上げるから給料もあげて対応する。」あるいは、「猫の手も借りたいから猫の手も高給で募集しないと社が成り立たない。」というところ。

 

まったく変わってる。

 

あるいは日本でつくってから輸出して売り上げをあげていたものも、日本企業が海外にいってそこで製品をつくり、そこで販売して売り上げて、日本企業だからその利益が日本という国内に計上されるだけ。

 

これも大きく変わってる。

 

あるいは34年前には経済的正義ともされた公平な自由競争も、国内では値段の低下によるデフレと、海外的にはやすい日本ということで日本製品は売れても安いので、外国のインフレ的資産膨張も大きな要因となる安い日本企業の買い取りも簡単になった。

そうして一つの経済指標であるGDPも中国に抜かれ、ドイツにも抜かれ、まだまだ抜かれていくだろう。

アメリカとの資産差なんて、1989年の株価最高値の時代とくらべて、何倍に広がっただろう。

それを失われた30年とも呼んでいたわけだが。

 

失われた?

 

多分、当時から今も誰かに騙されたまんまなんだろうね。

 

日銀がマイナス金利の解除をきめて、円安になったとかいうが、日銀がそう決めたのでどこかの何者からが買い支えていた手を離しただけに思える春分の日の今日この頃。

 

日清が謎肉だらけを売るらしい。

情報はアスキーから。

謎肉だけ売るらしい。

そういう手もありだと思う。

袋麺を3食入りで売ったり、どん兵衛のお揚げだけ売ったりとかしているが、まさに企業努力。

 

VR2は在庫が積みあがってすでに生産を停止しているという記事もあった気がするが、価格もあるがそれが必要というか、所有してもいいというところまでいかないのが正直なユーザー側の意見だろう。

コンパクトに綺麗に片づけれるという思考がきっといるだろう。

本当はワイアレスが理想だろう。

 

VR専門で頑張ってるところはそれだけだからそれなりになってるのか、そこも厳しいのかはわからないが。

アニメではVRゲームのものもいくつもあるが、いまだにそんな現実が世にはないところがVR普及の壁だろう。

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こんな日があったのか・・・・。
アメーバブログ生誕20年の今年だけに。
「ブログって何?」
といわれた時代から20年・・・・・。
20年は20年なんだよな。
そもそもそれなりにインターネットが一般的に普及したといわれるのも2004~2007年くらいだと思う。
インフラも2007年くらいでそこそこ地方で光通信のが用意できた頃だと思うが。
 
あれやこれやとネット環境やネット常識が生まれて変化して今に至っているが、本当に大きく変わった。
システムも人々も国際情勢も。
 
生まれた当初は「自由」な通信が目的のインターネットも、今や検閲や隔離の時代だものな。
 
国際情勢そのままに。
 

アニメでゲームの新作が出るとすると、おじさん世代ではガンダムかマクロスである。

ポケモンも有名だが、これはまだ若い世代のものだ。

 

よくよく考えてみると、PS1からでも気づくとマクロスのゲームをプレイしている。

PS1、PS2、PS3、そしてこのPS4用のマクロスゲーム。

PS1~3までは3D視点だが、PS4は縦・横・360度・3Dシューティングだ。

作品の幅もPS1、2は初代マクロスの「愛・おぼえてますか」までで、PS3で「いつわりの歌姫」まで。

このPS4は、愛・覚えていますかのリン・ミンメイからマクロスΔのワルキューレまでの歌姫(熱気バサラは男だが)まで登場する。

 

全マクロス作品を知ってるわけではないが、この作品でそれらの歌を聴くことができる。

 

正直、PS2のミュージックライブラリで初代・マクロスのOP聞けるだけでも大満足していたものだが・・・・。

 

とりあえずノーマル難度のHP未回復(オンラインランキングに反映されるらしい)でもちろん一条輝のVFー1でプレイ。

 

バルキリースタイルでなにかの装置を4つ破壊するらしい。

 

3回くらいしたが、とても4つも破壊できずにこの面からでれない。

どうやらローリングの回避とロックオンミサイルが重要らしい。

やはりマシンガンだけでクリアできる腕前なはずもないか・・・・・。

 

つまりそういうことらしい。

 

とりあえず難易度もイージーでHP回復にして再度プレイ。

 

ようやくこのゲームを進行する状態にこれたらしい。

 

ロックオンミサイルは爽快だ。

ローリング回避もカプコンの1942の宙返り回避のようでなつかしい。

そうして、PS4だけあって綺麗。

すすめていると歌が流れてきた。

当然、CD、DVDどころじゃなくBrRayなので、普通にまともな音源だ。

 

ストーリー進行のパートの各キャラの特定ボイスはないほうがいい気がするが、スキップすればいいのでよしとしよう。

なんかこういうスタイルのRPG系ゲームがあった気がする。

セリフのフルボイスをこのご時世で捨ててるところがなんだかマクロスゲームっぽい。

 

とりあえずシューティングは最近のシューティング系で、敵弾は遅い。

自機のダメージも弾よりも1発で破壊できない敵機体との衝突が多い気がする。

 

それと設定で多少のいんちき設定も可能なので、シューティングが苦手な人でもそこそこ楽しめると思う。

 

ボム的なマクロスからの支援攻撃を多用できるのだから。

 

そういうことで、PSシリーズでは初の3Dではないマクロスシューティングは、それなりに綺麗で爽快感を味わえるゲームであり、なおかつマクロスファンならもういうことはないだろう。

 

さて、これもミュージックライブラリがあればいいが、それはどうだろう?

そこまではまだわからないし、今の段階でそういうメニューはないな。

ないとしたら、それは残念なことだ。

 

札幌高裁で、同性婚は憲法制定時には想定していないが性的少数者への理解も広がり婚姻の自由は同性愛者にも及び、24条2項で個人の尊厳に立った婚姻制度を求めているにも関わらず、同性愛者が存在意義の喪失感を味わう事態が生じていて法の下の平等による法的効果を得られておらず14条1項に反し、憲法は同性婚も保証していて現行制度は違憲と判断した。

一方で否定的な意見もあり、国会が立法処置を怠っているとはいえないと賠償請求は棄却した。

 

*読売新聞より要約

 

とりあえず、札幌高裁においては個人の自由と尊厳と幸福に関する憲法において、違憲としたのだろう。

まさに性的少数者の個人の自由と尊厳と幸福に関すること。

 

とりあえず個人的には同性婚というものは何ですか?と聞きたい側だから、よくいわれる今は社会的に広く理解されているとか、同性婚も今の時代なら認められて当然とかいうが、個人的に一切理解できないし認めようもない。

 

何か似たような別のものを生み出すのなら、それならようやくこちらも理解はどうにか可能だが、いつまでも既存の婚姻とか結婚を同性で行うということはまったく意味不明。

 

従来の異性間での婚姻と同性婚が同等ではなく、同性間の婚姻と同等にあたるものがあるとすれば、それは養子制度や、今はないまさに同性婚と同等の他人との兄弟などの肉親関係になる法的制度だろう。

 

同性婚を法的に保護することになるならば、同じように他人と兄弟という肉親になる法的保護制度がいる。

 

それが同性婚だと思うが。

 

基本的に同性婚を求める人たちは、法的保護を既存の婚姻関係と同等のものを求めているから欲しているのだろうが、とても既存の婚姻と同等とは思わない。

同性婚でも女性同士の同性婚だけ、他人の精子の提供により出産も可能だが、男同士の同性婚では養子を迎えることだけが子を持つ方法で、同性婚でもそれこそ差別意識が存在している。

女性が精子の提供で子をもつことは否定的意見は小さかろうが、男同士の婚姻で養子を迎えるとすると、これは大きな反発を受けるだろう。

 

そんなものだと思う。

 

婚姻関係の財産相続と保証人の確保が主な目的だろうから、同性間の恋愛の最終形態としての、それらへの法的保護の立法はあってもいいが、これは現行の婚姻制度とは別のものでつくられることを前提にしている。

 

既存の婚姻でも、確かに子を持たない夫婦もあり、離婚すれば他人となるが、子をもうけた場合は離婚した後もその子の父と母という関係であることは揺らがない。

そういうところも含めて、既存の異性間の婚姻と同意成婚が同等であると同性愛者らはいうのだろうか?

 

憲法とか、立法とか、そんな適当に行わないでもらいたい。

そんなレベルでつくられると迷惑だ。

 

どうする?赤の他人でも兄弟になれて、相続とか保証人も可能にする法律つくるのか?

毎日昼食をコンビニで買うが、ここ1年くらい前から”ほぼ”領収書(レシート)をコンビニ店員がくれなくなった。

こちらから求めれば当然くれるわけだが。

コンビニといっても、セブンイレブンはすべてかどうかは知らないが、支払いはセルフで領収書もでてきて、これを客が取るか取らないかを自分で選択できるから問題ない。

 

STU48というアイドルグループが「この花は誰のもの?」という歌を歌ったが、この歌詞について、今の人間らが生きている時代に完全に”所有権を無視”した内容にかみつきたくなったものだ。

 

所有権。

 

人権だなんだというが、所有権はその人権の中でも最たる人権の権利の一つ。

女性が「自分が子を産むか産まないか決める権利」とか「自分の体を他人にどう触らせるか触らせないかは、自分が決めることだ!この体は自分のものだから!」

というのも所有権ありきの話だ。

 

国といい、ほかの国との間に国境線を引き、あるいは海に浮かぶ島々の領有権を主張する。

 

これはそれぞれの国々の所有権を確立させるためのものだ。

 

国でなければ王が支配するその国の人民は、王の所有物たりえただろう。

ゆえに王以外の命で人民をみだりに害すれば、王の財産を奪う大罪という理屈になる。

あるいは労働力などのために奴隷制度をもうけ、金銀で奴隷を売り買いし、その奴隷らは人でありながら商品ともなりえた。

 

これらはすべて昔の事実だが、人である以上思想上は昔と同じように人をものとして見て扱う人も当然今の時代にいるだろう。

 

勝手に自分の所有物としてその人を認識するという‥‥やばい人種ども。

 

なんの話?といえば、所有権の話だ。

 

国が発行するお金により、我々は所有する金額に応じて必要なものを購入する。

我々はそういう経済の社会で生きている。

経済も完全に所有権の世界であり、民主主義という人民個人個人の持つお金と、人民個人個人が欲する品々の購入とお金を欲する人々個人個人らの品々を売る行為で売買が成立する。

 

この経済とは、今の日本では貨幣経済であり、日本の円によって売り買いされて、外国のお金や商品がお金の移動とともに移動する。

 

コンビニで昼食を買うということは、俺がお金を支払い、コンビニの商品を入手する。

そうしてこの売買が成立した証として、領収書が俺に渡される。

 

この領収書は俺のものなのだ。

 

最初から。

 

そうしてこの紙切れを俺が「いらない。」と所有権を放棄した後に、この紙切れをコンビニに置いておくとコンビニのものとなり、コンビニがゴミとして処理することになる。

 

”当たり前のこと”だ。

 

最近、この俺のものが、他人の好き勝手されることにほぼ毎日、負の感情を与えられる。

くれないからくれるまでの3秒くらい、毎日自分の時間も削られて。

 

電子マネーなどはまた別だ。

スマフォなどで決済し、その購入商品などは電磁記録として、いつ、どこで、何を、いくらで、何個買ったか。

 

そういう情報が残るからな。

 

これにはレシートはいらん。

 

紙なんて・・・・・という世界だ。

 

領収書は”知らない他人とのお金と商品のやりとりのあかし”である。

 

互いに知らない人での”お金のやりとり”。

 

最近の日本人はよほどお金の教育がなってないんだろうな。

巨星墜つ。

巨星が人それぞれ違うが、時代とともに浸透した漫画文化と、これをさらに深化させたアニメ文化での巨星も今や世界的文化である。

昔でいう、夏目漱石がなくなったとか、芥川龍之介がなくなったとか、そんな感じだ。

 

TVでもネット上でも1日中報じられた。

 

自分が初めてしったのが、週刊少年ジャンプで見たあられちゃん。

そのときはあられちゃんとドクターマシリトのつくった18号か何かで、地球の殴り合いで地球をほかの星にぶつけて対決してた回だったと記憶してるが、当時の子供時代とは違いこちらも高齢化しつつあるわが身なので、いささか後につくられた記憶を語ってるのかもしれない。

 

とにかく、そのはちゃめちゃぶりがとてもおもしろかったのが第一印象。

 

その後はドラゴンボールがはじまり、国際的にしられるほど人気がありました。

 

後に、自分も少しかしこくなり、鳥山氏の圧倒的オリジナリティのキャラデザインなどに気づく。

 

それがとてもすごいことですよね。

まねて学ぶ領域をでなかった絵の領域でしかない自分でも思うこと。

 

ドラゴンクエストもまだまだ続くと思っていたので、漫画やアニメだけでなく、ゲームの世界でも喪失感がありますよね。

ドラクエ12までは可能でも、13以降をつくるならば「鳥山明風キャラデザイン」ということになるか、まったく別の作者によるドラクエのイメージの転向になるのだから。

いまでいうAIとやらで「鳥山明風キャラ」の構築は可能だろうが、果たしてそうするのか?受け入れられるのか?という人の心の領域にも影響している。

 

諸行無常の響きあり。

 

誰も彼も人ですからね。

時が過ぎ去るのは光陰矢のごとし。

誰も彼も。

 

愛知県って、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康などの生まれた付近だから、そういう独特な何かを持つ人たちが多いよなと前から感じている。

BSではじまったらしい、雪山とスキーの旅番組。

場所はカナダのウイスラー&ブラッコム。

 

おお、聞いたことはある。

 

ウイスラーやまとブラッコムやまを合わせたリゾート地らしい。

 

だが検索してみるとウイスラーもブラッコムも”きちんと”別々のものとして分かれて客を呼んでいる。

 

ぜひうちの店にもきてくれ!という、客商売上では当たり前のことだから。

 

そうか、そうだったのか。

 

来週も同じ場所で第二弾の現地紹介するらしい。

 

今年の日本の暖冬により、冬山好きの人の多くフラストレーションがたまってるだろう。

 

この番組ではスキー滑走だが、感覚的には他人のゲームプレイ見るような楽しみがある。

 

他人がグラディウスしてて、バリアもつけれずに1面で死んでいる様をみるのも、すいすいと超人的に敵や弾をよけてモアイ面も簡単に越えていく様を見るのも楽しいものだ。

 

スキー板のなめらかでスムーズな動きをみるだけで、素直に気持ちいいものだ。

 

速い切り替えしのリズムで板の反発で雪面とスキー板が離れる自然な動きも気持ちいいものだ。

 

もう、見てるだけで十分。

 

外で食事する様を見ていると、個人的には何を好き好んでそんな寒いところで・・・・などと思うが、軟弱なボーダーゆえにそれも自然な心情であろう。

 

いいないいな、見てるだけで十分だ。

 

俺は。

 

20年前くらいなら多くの日本人もいっていたカナダのウイスラー&ブラッコム。

 

いったことのある人たちも、いいないいなと思うだろうね。

 

いったこともない俺もおもうのだから。

 

正直、カナダでなくても日本の北のスキー場でも俺の中では十分に豪勢でリッチなんだけれど。