「土方歳三最期の地碑」も一同で訪ねました。
宮川様と井上様が般若心経を唱えて下さりました。
歳三さん、何より喜んだのではないでしょうか。
そして、碧血碑へ
碧血碑迄への道の途中から見える函館の町。
建碑当時明治8年の古写真を見ると、木はほぼ全て伐採されていて、
禿げ山に碧血碑がぽつんと見えますから、当時は函館の町が一望できる場所を選んで立てられたのではないでしょうか。
会津の近藤勇さんの墓所と一緒ですね。
そして道すがら、石田散薬の原料・牛革草が繁茂していたんです。
ちょうどピンクの花がかわいらしく咲いていました。
宮川様が、
「これは歳三さんのご縁でここに自生したんじゃないの」
と。
一同手を合わせました。
そして、会場の称名寺へ。
今回、会場に展示される各家が持ち寄った展示史料は
*「井上松五郎の御上洛日記」
*「沖田総司 書簡」
*「永倉新八」
*「石田散薬チラシ」
*「袖章」(複製)
袖章以外、皆本物の原史料。
井上松五郎さんといえば、源三郎、総司、歳三たちが悩みを相談したりしていた頼れる兄貴的な大切な存在でした。その御上洛日記の原本。
しかも、最後の「近藤が天狗になり…」っていう相談の部分が展示されました
私もこんなに近くで見せていただくの、初めてです
本番のトークでは、「その近藤が天狗に…のくだり、本当はこうなんですよ。」って井上様よりお話があり、そしてそれをまた間近に見れる、という幸せ
沖田さんの書簡は原本を間近で見せて頂くの初めてですし
宮川家への暑中お見舞いなのですが、末尾の署名が「沖田総二」とレアバージョン
(昔の人は現代のように常用漢字などないですから、音優先で割と自由に漢字を使っていました)
見慣れた「沖田総司」の筆跡。でも「総二」
「永倉新八」の書籍は永倉さんが晩年に語り遺した内容で、法要の際に親類縁者、縁の家々に贈られたもので、土方家にも伝わっていますが、
それにしても、杉村家に伝わる 由緒正しい 「永倉新八」を見ることが出来るなんて…
松五郎さんも総二さんも新八さんも…皆史料に寄せて魂も集まってきてここで再会しているんじゃないかな…と思わせるような展示内容で感激しました。
(当日資料の写真撮影は禁止でしたので、写真はありません。ごめんなさい)
称名寺は、かつて新選組の最後の屯所が置かれたお寺で、現在でも新選組隊士の慰霊碑が境内に建っています。
そして、新選組ファンミーティング、はじまりました。
その参へ続く