このごろ、下肢装具がはずれたであるとか、身体の動きに関することが我ながら報告するこが多くなっています。もちろん、このことは大変ありがたいことなのですが・・・
しかし、私の目標・・・というか、一連のリハビリの目的は、高次脳機能障害、失語症の克服することによって、自分のイメージ通りの、大きな意味での、”仕事”をしたいということです。
失語症を克服して、日本語、いや場合によっては英語も駆使して十分にコミュニケーションができるようになりたいのはもちろん、もっと本質的に、”頭の中の動き”のスピード、キャパシティを取り戻すようにすることが、私のリハビリの目的です。
しかし、考えてみれば、それでは今の私は、近い将来、右片麻痺や高次脳機能障害を克服するときが来るまでは、つまりリハビリ期間の間中は、いわゆる「準備期間」とでも呼べる、人生の「本番」とは異なる時間なのでしょうか?
その答えはおいておくとして、今いえる事は、私は今の時間は最高に充実しているということです。
私には、私に与えられた仕事上のミッションがあります。
そして、それとは別に私は自分でかかげた仕事上の目標があり、さらに私はリハビリでの目標があります。
その目標に向かって、1日24時間フルに打ち込める環境を与えられたことが、最高の幸運であると実感しています。
さて今日は、高次脳機能障害の、”頭の動き”に関して報告します。
じつは最後にみなさんに、”頭の働き”の実情を報告したのは、2014年の3月でした。(今から、1年半ほど前です。)
あのときは、エンジニアとしてあるプロジェクトに参加し、ボロボロでした。(まわりの皆様のおかげで、プロジェクトそのものは無事終わりました。)
当時のブログのリンクを下に記しておきます。
・高次脳機能障害(失語症)の症状 -予定を変更して私の高次脳機能障害について核心から語ります-
・高次脳機能障害の核心(ただし、私の場合・・・)
・高次脳機能障害・失語症のつらい話を書こうとしたら、なぜか、都市伝説のおわりのような・・・???
・落ち込み、そして悩みました。。。
・高次脳機能障害でシステム構築に従事した思いで? -この障害は、頭のバッファが極端に小さい-
じつは、このとき、つまり私が脳出血発症後の2年7ヶ月後の時に、自分ではっきりと「私の脳は高次脳機能障害に冒されている」と自覚を持ったのでした。
ただし、高次脳機能障害に冒されていることで、私は何もできなくなったということまでは決して思わなかったのも事実でした。
「思考の速度と、量(同時に考える量)では追いついていないけれど、十分に時間さえ与えてもらえれば、思考の深さはいけそうだ」と、当時は考えていました。
そこで、2014年の春過ぎ、今から1年半ほど前からは、あまり無理に頭を酷使するシチュエーションを自分から求めずに今日まで過ごしてきました。
なにしろ、脳出血発症後4ヶ月ぐらいは、漢字は書けず、簡単な足し算すらもできなかったのが(『暗い過去 (頭脳崩壊!もう、バカになって残りの人生を過ごさなければ。。。)』参照)、今は、片言の英語を用いて外国で生活し、多少英語を交えた日本語で、コンピュータの暗号化方式等を外国人に説明したりするのですから・・・
今の私の”頭のはたらき”具合は・・・
件の1年半年前の、エンジニアとしてプロジェクトに参加していた時期と比べると、日本語能力は断然に向上しています。
あのときは、お客様などになにか話しをするときに、丁度今の私の英語と同じレベルなのか、いちいちまず頭の中で(日本語の)文を作ってから、実際に話しをするような感じでした。
今は日本語でしたら、ほとんどいいたい事は話すこができる自信があるため、事前に文を作っておく必用がなく話せます。(ただ、適切な日本語となれば、まだまだですが・・・)
それから、先輩によく電話で話しているときに、
「(脳出血の発病以前のように)話し方がしっかりしている。元に戻ったようだ。」
と今年の初夏にいわれました。
もっとも、このことは他の人にもいわれることなので、もしかしたら、社交礼儀が多分に入っているのかもしれません。
ところで、このごろの私の環境と、高次脳機能障害との関係ですが・・・
すごく良いと思います。
私は、期待できると思います。
私の高時高機能障害で大変困っていることは、記憶障害です。
それも、外国語の記憶障害です。
とにかく、外国語・・・という以前に外来語が覚えられない。
私が滞在しているフィリピンは、今はアメリカとの関係が特に強く、アジアではシンガポールと並んで英語が広く普及している國です。かつてはアメリカの植民地であった國なのです。
しかし、フィリピンは、約50年間アメリカの植民地であったのですが、その前の約300年はスペインの植民地であったのです。
そのため、フィリピン国内の地名、特に道路の名前はスペイン語からきていて、私はそれを覚える事ができないでいます。
私の住んでいるところはレガスピ・ヴィレッジ(Legaspi village)で、目の前の通りがパランカ通り(C. Palanca St.)というのが、もうすぐ住んで1ヶ月になるのに未だに覚えられない!!
まあ、それほど真剣に覚える努力をしなかったのですが、それでもこの2つは何度も使った事がある言葉なので、脳出血以前の私であればいくらなんでも覚えていそうな地名なのです。
しかし、私は地図を見て、道を覚え、電車等の公共交通機関と徒歩でいろいろな場所にいくのが大好きです。
そして当然、そのときキーとなる地名、道路名、駅名などを覚えるのが大好きなのです。
この週末は、電車に乗って、私が住んでいるマカティを離れ、マニラ湾を見に行ってきました。
その他、言葉も英語にフィリピン語(タガログ語)と、私の記憶障害、失語症の弱点を突いてくるですが、これがそんなに嫌いではない努力、いや、むしろ、今の自分が必用としている楽しい努力を強いてくるのです。
外国語は下手なりに、通じるとそれなりに楽しくなります!
フィリピンにきて1ヶ月。とりあえず、私に与えられた仕事上のミッションを中心にはじめの1ヶ月を過ごしてきましたが、これからそろそろ、”自分の課題”に取り組んで行きたいと思います。