Vol.74 「仕手筋とノムラ(3)」 | ノムラ證券残酷物語

Vol.74 「仕手筋とノムラ(3)」

筆者のノムラでの在籍時代、最も身近にいた仕手筋はK産業だっただろうか。1980年代初頭から、アマノ、蛇の目、飛島建設、そして最後は国際航業などを手がけて、最終的には逮捕されて終わったが、一時期は兜町で一斉を風靡した超大物仕手筋のK氏だっただろうか。虎ノ門支店とは直接のコンタクトは無かったと思うが、噂では虎ノ門の永遠のライバル支店であった銀座支店が、新興の仕手筋として売り出してきた当時の彼と共に、当時アマノをY原支店長が銀座支店全員参加でアマノを買いまくっていた。


新興の仕手筋が、あの当時のノムラの大支店とグルで買い上げたのだから、実際にかなりの影響力があった。虎ノ門は、当時日本曹達を買い占めていたが、独立独歩で単一支店の全ての客を動員しても、最終的には限界があった。日本曹達は350円位から約750円まで買い上げて見たが、最終的には虎ノ門は息切れをして買占めは無残は結果に終わった。


逆にアマノは銀座の単一支店での買い上げではなく、新興の仕手筋の資金力と他の動員力がありギリギリの水準で踏ん張っていた。値段的にも400円前後から1200円前後まで爆騰して、何度も何度も売買していた銀座の顧客もそれでもある程度は儲かっていただろう。虎ノ門は実際に350円から750円までの狭い値幅で、最初あっという間に600円前後まで買いあがったので、ほとんどの客は700円前後の高いところで最終的には全て引っかかっていたので、客は600円台に下落した株価にもう限界であった。


銀座支店のアマノの方は、紆余曲折はあったものの、それでも株価は順調に値上がりしていたので、客もそれなりに何度か儲けていた比較的元気だった。それでも最終的には両方の支店が、これ以上買えない。誰も買えない。全てのポジションはアマノであり、そして日本曹達になっていたので、アップアップになり、前代未聞の首都圏クロスという手口でこの相場は終焉した。最終的には銀座と虎ノ門のほとんどの顧客が犠牲になり、この2つの大仕手相場は終わった。今にして思うと、その結末は常軌を逸していたと思うが、それでも新興仕手筋のK氏は一躍この業界で有名になり、その後の蛇の目、飛島建設、国際航業など華々しい一時代があった。(続く)