ノムラ證券残酷物語(副題:人生で大切なことはみんなノムラで教わった) | ノムラ證券残酷物語

ノムラ證券残酷物語(副題:人生で大切なことはみんなノムラで教わった)

このブログは、2003年11月~2005年10月まで、若林史江さんと、弊社のスタッフみんなが協力して、友人の芳賀さんの運営するインターネットTV「あっとおどろく放送局」で放送していた「株でバンザイ」(旧番組名じゃぱねっと株だ!)で発行していたメルマガに、私Kプロデューサーが書いていたコラム「Kプロの独り言」のコーナーを改称して書き始めた、私の自伝(笑)です。最初は、無料メルマガだったので、番組のHPでも掲載されていますが、途中で有料メルマガに移行したので、後半部分は大勢の方が読めませんでしたので、改めてブログを立上げ公開したいと思います。


ちなみに、私の会社は、株式会社エムスリーという携帯周辺機器のシステム開発を主たる事業とするベンチャー企業ですが、まあ、様々なことをやっております。適当に読み流してください。それでは、これから出来るだけ毎日掲載するようにします。


Vol.1「N証券入社式直前」


私は1983年の卒業で、4月1日の入社式の前に、N証券に入社したらいったいどこに配属になるのだろうと気を揉んでいました。入社式をほぼ1週間前に控えた3月20日過ぎだったと思いますが、N証券から自宅に「都内の独身寮に布団一式やその他独身生活に必要な荷物を送れ」という内容の郵便が届きました。私は当時東京に親と同居していましたので、都内に配属になるのに自宅を離れて寮生活をするというこの大手証券の体質には、自宅の両親や姉も少しびっくりしていましたが、この大手証券は(私の記憶では)「結婚か、管理職=課長になるまでは、当時原則として総合職の全員は独身寮に入らなければならない」という入社前の人事部の言葉を思い出していました。


私が送った寮はこのN証券の最古の寮で大田区の久が原という場所にあり、閑静な住宅街に第一久が原寮と第二久が原寮が立つ、その第一久が原寮でした。


でもここでふと思ったのですが、私はこの久が原の寮から通える範囲の支店勤務なんだな?と考えますが、旭川に荷物を送れとか、仙台に、熊本にって、都心部や大阪地域の人以外は、荷物を送る場所の指定がされた時点で、配属先が判ってしまっているんだな?って思いました。まず、思ったのは、取りあえず大学を過ごした都内の支店勤務で良かったなって、何となくそう思いました。


当時他の大手証券では、自宅から通える範囲であれば、自宅から通勤しても良いはずで、この当時(今も)最大のN証券だけが、全員寮生活スタートという「軍隊式」社会人生活のスタートを義務付けられていました。私の高校時代の友人も同じ年別なN証券に入社しましたが、彼は自宅が下北沢(世田谷)で、配属が立川支店でしたが、自宅から通いながら社会人生活をスタートさせましたので、D証券もY証券も同じでありましたし、当時から別名ヘトヘト証券だけはこの点においても、強烈な体質をここから養うという意味でも、他の3社と異なりその本質があったのでしょうか。。。