こんにちは。亀井弘喜です。
僕自身のことを書いてみます。
僕は実家が仙台です。鹿児島とはまた違う東北の空気が懐かしく感じられる大好きな街です。
先日は仙台にあるタイ古式マッサージ屋さんに行きました。僕自身もタイ古式マッサージを受けるのが好きで、とくにこのお店は2回目だったのですがタイ人の男性がオーナーで、雰囲気や技術やスタッフさんの人柄も含めてファンになっているのです。
お客さん用のタイパンツが欲しいなと思っていたら本場タイのタイパンツがお店に売っていたので、買ってきました。生地がサラサラしていてとても履きやすいものです。
で本題ですが僕がタイ古式マッサージ、そしてヨガとどんな風に出会い、どんな風にはまっていったかを書いていこうと思います。
僕は小さい頃から、どうやら「人の顔色を気にして生きるいい子ちゃん」タイプだったようです。当時、父親が「勉強しろ。テストで良い点をとって良い高校に行くんだ。それが幸せなんだ」と兄を指導しているのを見て、素直な僕は「じゃあ勉強するか」と思って勉強したのです。
実際、いわゆる偏差値の高い高校・大学に進みました。すると、就職活動というものがやってきます。
就職活動ではモノサシとして「企業ブランド」と「年収」というものがあります。小さい頃からの感覚に従った僕は「よりブランドがあって」「より年収が高い」企業を受けていました。
それで内定を取り、馬車馬のように働いたのです。
外資系のコンサルティング会社だったこともあって、働くことに制限はなく、むしろ歓迎されるような職場でした。
そこで馬車馬のように働き、うつ病だと診断されたのです。
実家に逃げ帰ると、父親からは「お前がうつ病でも何も問題はない。いつでも帰ってこい。笑って毎日暮らせ。」との愛溢れる言葉をかけられたのでした。
そうして人の転職をサポートする事業を行っている会社に転職。そこでは以前よりも「人のために
」働くことができました。
そんな順調な毎日を送っていた折、母親が脳のガンで発覚から2ヶ月も持たずに死んでしまったのです。
当時の僕には受け止めきれない出来事でした。日常に戻れなくなった感じがしたのです。
そんなときある尊敬する友人の講演を聞く機会がありました。
講演の中でその友人は言いました。
「僕はヨガと出会って人生が変わったのです」
(その2へ続く)