遺してくれたメッセージ | ひつじですぅ

ひつじですぅ

茨城県県南地域を中心に司会、アナウンサー、コミュニケーションコーチング、各種スキルアップ研修、ISD個性学のインストラクターをしておりました。現在は新事業エステサロン経営。
乳がん闘病から10年を迎え、がんサバイバーとしても発信を再開します。

前回、乳がんの治療と再発予防に漢方療法を始めてから、基礎体温を上げるべくやってきたこと、いくつかをブログに書いた。

 


2017/1/9更新 「しつこい」と「あきらめない」、「もう」と「まだ」

 

その中に「牛乳を止めた」と話した。

これには、理由がある。

 

2015年1月。

ある新聞記者さんから取材のオファーがあった。

彼女は私より年上の年代。

 

それまで、311の活動やラジオのこと、舞台やドラマに出演したときなど、

たくさん密着取材をしていただいて、

優しい愛情のある、簡潔な表現の記事を書く、素敵な記者さんだなと尊敬していた。

記者さんであるとか、取材されている感じがせず、友人のような親近感があった。

 

私が乳がんの闘病をしていることを知って、

「ひつじさんの、病気に向き合う姿勢を記事にさせていただきたい」とおっしゃった。

 

彼女になら、書いていただきたいと素直に思った。

 

「食事を取りながらお話しさせてください。」とのことで

ランチオンミーティング。

私の話を一通りメモをした後で、彼女は、

 

「実は私も胃がんを患ったことがありまして。」

彼女自身が、がんの闘病経験者だった。

 

身近な病気になってしまったがんを、

ならないように予防することと、

なってしまったらそこでどう治療していくのかを

二人で話した。

 

彼女は「ねぇ、ひつじさん。乳がんを患ったひとは、牛乳は飲まないで。イギリスの女性のお医者さんが学会発表しています。著書も出しているから、調べてみて。」と言った。

 

私は「だいぶ前から豆乳にしているんです。最近は牛乳を飲むとおなかがゴロゴロするので(笑)でも、わざわざ飲まないようにします。乳製品はなかなか避けられませんもんね。」

 

記者さん「そう、じゃぁ、よかった。」

とほほ笑んだ。

 

2月になって、

記者さんからメールが来た。

 

「ひつじさん、ごめんなさい。体調を崩してしまい、仕事を休んでいます。今月中に記事にしたいと思っていたのですが、来月になりそうです」

 

という内容だった。

 

私は、「私はいつでも大丈夫です。お大事になさってください。」と返事をした。

 

3月が過ぎ、4月に入った。

共通の知人から電話があって、「今日、記者さんのお葬式に行ってきた」と聞いた。

始め、何のことかわからなかった。

 

知人は続けた。

「胃がんが転移していたらしい。発見されたときにはもう、手遅れだった。1月の、ひつじさんへの取材が、彼女の最後の取材になったそうだ。記事に、したかっただろうな。」

 

膝から崩れ落ちた。

せめて、お葬式にお伺いしたかった。

知人は「体調が本調子じゃないときに、葬式なんか出るもんじゃない」と、私には伏せていたと言った。

 

ヒトそれぞれ顔も体も細胞も違うのと同じように、がんも、一人ひとり違う。

だから、どんな治療が良いかなんて、どんな食べ物が良くて、なんて、一概には言えない。

 

けれど、私は彼女からもらったいくつかのメッセージを守っていきたいと思う。