半年近くも音信不通・・・。
で、今更誰が読んでくれるかわからないけど細々と再開しました。仕事がとプレイべートが色々アレがコレで・・・。
まぁそんなわけで今も例のDQNな社長の下で働いているわけです。そして3.11の大震災。
ダンセンの主要取引先もほとんどが東北・仙台近郊にあり、仕入れ先で工場が流されてしまった所あり、販売先で1週間も連絡が取れなかった所もあり、
ガタガタ状態です。なんとか1週間後、連絡取れて見ると人的被害の出た所はなく不幸中の幸いでした。
で、震災から2週間後、販売先から企画販売を再開したいが、ブツが集まらない。なんとか1アイテム2~3万ピース集まる
すぐ食べられる食品はないかと言う連絡が来ました。ちょうど計画停電の真っ最中、生産量も落ちてるし、
関東でもそんな規模の在庫を持つところは少ないです。でも普段お世話になっているところなので、
何とか千葉の魚加工会社に渡りをつけ、15000ピース製造してもらえる事になりました。
ところが今度は物流がありません。最終的に集荷、配送も出来る様になりましたが、期日指定が出来ません。
そこは企画販売のため、納品日が厳密です。それならばとダンセンがトラック仕立てて持って行く事にしました。
容量を計算して2トンアルミバンで問題ないことを確認し、レンタトラックも手配し、社長も15000ピースなら
人2人で宿泊で行ってもペイすると許可が出ます。
その段階では帰りの軽油の手配がつくか、東北道は通れるのかさえわかっていない状況で、東北に物資が足りず、
持って行けさえすれば売れるのは確実のはずだったのですが、さすが日本。納品日の4月8日に近づくと物流も回復しはじめます。
そして最悪な事に、いざ注文を取ってみたら予測の3分の1にも満たない結果になってしまいました。
メーカーには無理を言って15000個作らせたので買い取るしかありません。でも先方も7000までしか引き取れないと言い出し、
8000個が宙に浮いてしまう事に。とりあえず、7000個を引き取って持って行かないとならないので、
7日にトラックを借りて千葉まで行きますが、残った8000個の処分いかんかでは赤字になると判った段階で、人2人で行く事を社長が許すはずもありません。
(ホントは交代運転で2人で行った方が安全ですが、千葉で15000個積んで一旦東京の事務所に8000個置きに戻ってから
仙台に行けないか?と本気で言い出すほど運転を舐めてる社長です。※当然1人で。
最初は宿泊代までケチり、夜出て夜通し走り、朝納品して帰って来させるつもりでいたようです)
一旦事務所に出てから11時にレンタトラックを借りて出発です。仕入れ先は千葉の香取にあり、そこまでは東関道で約2時間。
途中食事休憩も含めて1時過ぎにつき、荷受して(フォークリフト用パレット3つ分を手積み)2時頃出発し、355で霞ヶ浦の脇を走り、
岩間ICから常磐道、海沿いを避けて友部JCTから北関東自動車道を走ります。少し遠回りですが、常磐道は開業部分も
速度規制が入っていると聞いたので安全策です。それから栃木都賀JCTから東北道に入り一路仙台へ。
途中SAで15分程度の休憩は取りますが、ほとんどノンストップで走ります。
(レンタトラックはETC付きでナビ付き。あまり意味はないですが、パワーゲートも付いています。
でもそれより助かったのは排気ブレーキが付いていた事。これで高速の減速がかなり楽でした。)
それでも福島に入る頃には日が傾き暗くなって来ます。ただでさえ暗い東北道、更に電力不足か回りも暗くて、
しかも地震の傷跡を補修したところが段差になり、バウンドして危険です。暗くて判りづらい段差に注意しつつ、スピードも維持し、
やっと仙台を過ぎ、大和ICを降りた時には8時を回っていました。
そこから予約してあったホテルにチェックインしたのが9時近く、10時間近く走った事になり、
特に後半の福島の段差には神経を使ったのか頭が痛くなってしまいました。とりあえず、シャワーを浴び、
フロントで食事の出来る店を聞き、食事に出ます。
やっとついた安堵感と一杯やれる開放感で気分も緩んでいたダンセンですが、その後にあんな事が待っていようとは・・・。
つくづくツキのないダンセンなのでした。 つづく