やはり投げ出した旅シリーズ。


ちゃんと終わらせておいた方がいいでしょう。そんなわけで続きです。


弟と飲みに出かけ、近所のスナックで飲んで帰ってきて寝ます。翌日は親父も一緒に桂浜、朝市、高知城を回ります。

中学の時に一度来て弟やばぁちゃん、おばさんと回ったルートす。それでジ・エンド。

親父はもう1日くらい泊まって行くと思っていたようですが、一泊が限界です。


そしてまた車の旅が始まりますが、このまま一気に東京まで帰れるはずもなく、

一応予定では大阪あたりのビジホに泊まるつもりでしたが、それも面白くないので、有馬温泉に飛び込みで一泊する事にしました。


宿を電話で決めて行ってみると結構良い宿です。ただ、時間も遅いので食事は出ず、外に食べに行く事に。

有馬温泉駅近くのお好み焼屋に入りました。

そこで話を聞くとちょうど目の前の川にホタルが出る時期らしく、行って見ると所々に青白いホタルの光が舞っています。

点滅するように淡い光が消えたり、出たり・・。幻想的です。

狙ってきてもなかなかお目に掛かれないホタルに思い掛けず遭遇しラッキーな一夜でした。

ホテルに戻って露天風呂につかり、長い一日が終わったのでした。


翌日は一気に東京に帰るだけ、弟と交替で高速をかけ抜けて、長い長いドライブの旅は終わったのでした。

イヤー ホントに長かったわ。(^_^.) 終わり。


AD

みちのくトラック旅 その4

テーマ:

このままではいずれ立ち往生・・・。


仕方ないので予定通り、取引先会社に陣中見舞いを兼ねて向かいます。

当初は品物をあてにならない物流会社の代わりに届けようと言うところから始まった仙台行きですが、

災害支援などと言う事に一切興味のないうちの社長を納得させる為に、商談も兼ねると計画に入れたのが間違い。

社長の中では物資を届けるより商談がメインになっています。


先方も本社が被災して建物が立ち入り禁止になり、同じ敷地内にある別棟にPC移して仮営業している状態なので、

品物を届けたあと顔を出しますとは連絡してありますが、腰を落ち着けて商談などと言う話はしていません。

見積もり、資料等作っては来ましたが適当に近況伺いをして資料を渡したら、社長にも適当に報告しようと思っていました。


ところが昨夜の地震、先方の仮事務所に着いてみると自家発電で、どうにかPCは動いているようですが、

電気はついてない、電話は不通でてんやわんや。本当に商談どころではありません。

でもこんな時に東京の会社なのにトラック仕立てて来てくれた。しかも昨日の地震にも遭遇してまで。

これはインパクト強かったらしく、かなり喜んで貰えました。


それが証拠に、燃料の事伝えて出入りのスタンドとかないか聞くと、たまたまそこの社用トラックに給油に来ていた燃料車から

特別に給油してくれる事になります。

しかもタダ。本当に助かりました。


お礼を述べて次へと向かうダンセンです。次の取引先は、ニュースでも有名になってしまった名取。

ただし駅の近くなので津波の被害は免れたとの事。

それでも4号線を走っているとやはり沿道のいたるところで建物の崩壊や、ガラスが全面割れて営業していない店とかが散見します。

名取川を渡る時に見るとこんな上流なのに、川沿いに漂流物が溜まっているところがありました。


これから伺う会社の人は全員無事ではありましたが、津波があと300mまで来た人がいるようです。

時間もそろそろ1時半、この会社が今回の訪問先の最後です。短いようで長かった仙台滞在もあと少しになって行くのでした。   つづく

AD

みちのくトラック旅 その3

テーマ:

翌朝目覚めると軽い二日酔い・・・。


いくらピッチが早かったとは言え、中生3杯に梅酒2杯程度で頭が痛いとは、やはり疲れていたのでしょう。

部屋の中は明るくなっていますが、やはり停電のままで、洗面所の水の出も悪いので、歯を磨くのでやっと。

とてもシャワーは無理です。支度してフロントでチェックアウトし、(気持ち700円ほど割引してくれたようです)トラックに乗り込み出発しますが、当然信号も消えたままです。


でもこんな時トラックは楽で、視点は高いし、乗用車の様にノーズはないので見通しが利きます。

ダンセンはこの手のトラックに15年乗って、住宅地を走り回ってましたから、運転にストレスは感じないのですが、気がかりな事がひとつ。


燃料です。


来る時は高速でも現地でももう燃料不足は解消されていたので、まったく心配せずに、カラカラになるまで、

入れないで大丈夫とタカをくくっていたので、もうエンプティー寸前。いつランプが点いてもおかしくありません。

ところがどこの給油所も停電では機械が動かないので臨時休業しています。刻一刻と迫る燃料切れ、やってないスタンド。

とうとう倉庫に到着してしまい、1トン近い荷物を手下ろししながらも燃料の事で頭は一杯です。


【実はこの荷物、集荷の時はパレット(フォークリフトで運ぶ為の台座)に乗っていたのですが、

無駄にオプションがいいレンタトラックで、パワーゲート付きだったため、パレットのまま積めなかったのでした。

パレットに積んであれば、納地でもフォークで下してもらえたのですが、自分でパレット敷いて、その上に積むと言う2度手間をさせられたのでした。】


で、納品も済んで、倉庫の人にやってそうなスタンドを聞くと近くに宇佐美があると教えてくれます。

ところが教えられた道が間違っていて、なおかつレンタカーのナビのデータが古くて、

新興地のその辺りの道路データも入っておらず、またしてもスタンド難民として彷徨うハメになるダンセンなのでした。つづく


AD

みちのくトラック旅 その2

テーマ:

ホテルのフロントで教えられたその居酒屋はどう見ても民家。



都会で「隠れ家」と呼ばれる店には、看板もなく、入り口さえよく判らず、中の様子も窺えないところがたまにありますが、

ここはでかい店名の看板が立っているのにどう見ても民家。ホテルで教えられなかったらまず入る気が起きない感じですが、

ここくらいしかこの時間に食事の出来るところがないようなので、思い切ってドアを開けます。



すると中は意外と広くて、56人座れるカウンターに、3グループくらい座れる座敷席。

通路の奥には個室もありそうで、ちゃんと居酒屋な雰囲気です。

座敷席には会社毎の3グループが陣取って、すでに出来上がっている感じで、おだを上げ、カウンターの端っこに一人座ったおじさんも

半分白川夜船状態です。カウンターの中では、女将さんらしきふくよかな女性とアルバイトらし若い女の子、

奥の厨房には杉本哲太みたいなマスターも見え、割と雰囲気は良さそうなので安心し、ダンセンもカウンター席真ん中に座ります。



とりあえず生を注文すると○○ホテルからですか?聞くのでそうだと答えるとドリンク一杯サービスするとの事。

そう言えばフロントでサービス券を貰ったけど置いてきてしまったので、諦めていたのでした。

ちょっと得した気分で、まずは腹ごしらえとごはん物を頼み、牛タンの塩焼きを頼み、結構美味かったのでビールも進み、

カウンターの中の女将さんや女の子との会話も楽しく、自家製だと言う梅酒も頼み、すっかり良い気分になって、頭痛もいつの間にかなくなったのでした。



ここまで来るともう少し飲みたくなり、来る途中、トラックの中から見つけたスナックに行こうとしたところ、

女将さんが、実は近くに実家がやってるスナックがあるから、良かったらそこに行ってくれと言い出します。

別にどこでも良かったので、居酒屋分の会計を済ませて行って見る事にしました。



歩いて2分ほどの店は、田舎のカラオケスナック風で、中は意外と広いのに、ちょうど客が帰ったばかりのようで、他に客がいません。

カウンターの中と外に熟女が2人いて、ママとキャストのようです。居酒屋で勧められて来たと言ってカウンターに座ると

今日やっと牛乳が入ったと言うので、久々にカルーアミルクを注文してみました。



で、どこから?東京から。ここには仕事?そうトラックで今日来たみたいなたわいない話をしていると

突然地鳴りのような音がして、ガタガタ揺れ始めます。その内、ガガガガガっと小刻みな縦ゆれが来て、ママの後ろのボトルが一斉に跳ね始めます。

尋常じゃない揺れ方でびっくり!こんな余震がまだ来るのかと思っていると、

ママは手際よく、下に置いてあった竿で、キープボトルの棚を押さえます。

慣れてるなぁと思ったのもつかの間、店中の電気やモニターが消え始め停電になってしまいました。



不意に訪れた静寂と暗闇に、ろうそくで明りを灯しながら、ママが言うには、これは余震ではない。

本ちゃん並だとおっしゃいます。さすがダンセン。雨男が進化してもはや地震男にグレードアップです。

しかしさすがに電気がこなければ営業は続けられないので、こぼれたカルーア代はいいのでホテルにお戻りくださいと言われてしまいます。

外に出ると周りは真っ暗で、信号も消え、懐中電灯をもった人が歩き回り、闇夜に報道のへリが飛んでいるようです。

外にいた人に聞くと震度は6強、津波警報もでたとの事で、避難する人もいたようです。

ホテルに帰ってもやはり真っ暗、しょうがないので、今日は寝ることに。はたして明日には停電は直っているのか?

不安な気分でベッドに入るダンセンなのでした。 つづく



みちのくトラック旅 その1

テーマ:

半年近くも音信不通・・・。


で、今更誰が読んでくれるかわからないけど細々と再開しました。仕事がとプレイべートが色々アレがコレで・・・。


まぁそんなわけで今も例のDQNな社長の下で働いているわけです。そして3.11の大震災。

ダンセンの主要取引先もほとんどが東北・仙台近郊にあり、仕入れ先で工場が流されてしまった所あり、販売先で1週間も連絡が取れなかった所もあり、

ガタガタ状態です。なんとか1週間後、連絡取れて見ると人的被害の出た所はなく不幸中の幸いでした。


で、震災から2週間後、販売先から企画販売を再開したいが、ブツが集まらない。なんとか1アイテム2~3万ピース集まる

すぐ食べられる食品はないかと言う連絡が来ました。ちょうど計画停電の真っ最中、生産量も落ちてるし、

関東でもそんな規模の在庫を持つところは少ないです。でも普段お世話になっているところなので、

何とか千葉の魚加工会社に渡りをつけ、15000ピース製造してもらえる事になりました。


ところが今度は物流がありません。最終的に集荷、配送も出来る様になりましたが、期日指定が出来ません。

そこは企画販売のため、納品日が厳密です。それならばとダンセンがトラック仕立てて持って行く事にしました。

容量を計算して2トンアルミバンで問題ないことを確認し、レンタトラックも手配し、社長も15000ピースなら

人2人で宿泊で行ってもペイすると許可が出ます。

その段階では帰りの軽油の手配がつくか、東北道は通れるのかさえわかっていない状況で、東北に物資が足りず、

持って行けさえすれば売れるのは確実のはずだったのですが、さすが日本。納品日の4月8日に近づくと物流も回復しはじめます。


そして最悪な事に、いざ注文を取ってみたら予測の3分の1にも満たない結果になってしまいました。

メーカーには無理を言って15000個作らせたので買い取るしかありません。でも先方も7000までしか引き取れないと言い出し、

8000個が宙に浮いてしまう事に。とりあえず、7000個を引き取って持って行かないとならないので、

7日にトラックを借りて千葉まで行きますが、残った8000個の処分いかんかでは赤字になると判った段階で、人2人で行く事を社長が許すはずもありません。

(ホントは交代運転で2人で行った方が安全ですが、千葉で15000個積んで一旦東京の事務所に8000個置きに戻ってから

仙台に行けないか?と本気で言い出すほど運転を舐めてる社長です。※当然1人で。

最初は宿泊代までケチり、夜出て夜通し走り、朝納品して帰って来させるつもりでいたようです)


一旦事務所に出てから11時にレンタトラックを借りて出発です。仕入れ先は千葉の香取にあり、そこまでは東関道で約2時間。

途中食事休憩も含めて1時過ぎにつき、荷受して(フォークリフト用パレット3つ分を手積み)2時頃出発し、355で霞ヶ浦の脇を走り、

岩間ICから常磐道、海沿いを避けて友部JCTから北関東自動車道を走ります。少し遠回りですが、常磐道は開業部分も

速度規制が入っていると聞いたので安全策です。それから栃木都賀JCTから東北道に入り一路仙台へ。

途中SAで15分程度の休憩は取りますが、ほとんどノンストップで走ります。


(レンタトラックはETC付きでナビ付き。あまり意味はないですが、パワーゲートも付いています。

でもそれより助かったのは排気ブレーキが付いていた事。これで高速の減速がかなり楽でした。)

それでも福島に入る頃には日が傾き暗くなって来ます。ただでさえ暗い東北道、更に電力不足か回りも暗くて、

しかも地震の傷跡を補修したところが段差になり、バウンドして危険です。暗くて判りづらい段差に注意しつつ、スピードも維持し、

やっと仙台を過ぎ、大和ICを降りた時には8時を回っていました。


そこから予約してあったホテルにチェックインしたのが9時近く、10時間近く走った事になり、

特に後半の福島の段差には神経を使ったのか頭が痛くなってしまいました。とりあえず、シャワーを浴び、

フロントで食事の出来る店を聞き、食事に出ます。

やっとついた安堵感と一杯やれる開放感で気分も緩んでいたダンセンですが、その後にあんな事が待っていようとは・・・。

つくづくツキのないダンセンなのでした。     つづく

せいぞんかくにん

テーマ:

ダンセンは社会の片隅で細々と生存しております。


この間、絶滅危惧種の認定を目黒区から受けました。


世界広しと言えどダンセンの血族はすでに5頭を切り、


日本ではダンセンと言えば私ひとり・・・。


日中は暗く湿気た所でうずくまり(石とかひっくり返すと・・・)


夜はタバコと電子音と金属の玉がぶつかりあう鉄火場を漂いながら、


時折アンニョンとか、ニイハオとかサワディカップとか・・・。


オパーイの谷間で冒険しながら、アルコールの露天風呂でケツ見酒・・・。


おーい!オレは生きてるぞー!!と女体の中心で愛を叫びたい今日この頃。


実はまゆゆが好きです。(^_^.)

ほんかくてきって

テーマ:

最近流れている舘ひろしのCM。


ドラムを叩く舘を見た若者2人が「何?あのオヤジ 本格的じゃん」と驚く。


すると舘、「そこのヤングメン(ヤングメンというのもなんだけど)!本格的ってなんだ?俺は本格だ!」って決めゼリフ。


そこでキリンビールの本格誕生みたいなナレーションがかぶったら、新しいビールが出来たのかな・・って思うでしょ? 


んで、商品のクローズアップで、青い缶に「本格(辛口麦)」って大書されてたらビールだって思うよね?ね?

でも良く見るとリキュールってちっちゃく書かれてるんだ(*´Д`)=з


本格的で充分じゃん。ってか充分本格的でもない。

別ヴァージョンじゃ、したり顔の浅野温子が出て来て「昔は嵐を呼ぶ男って呼ばれてたのよ」って、

そう呼ばれてたのは舘のボスだろう(-_-メ さらに叩く姿がうそ臭いし・・ 。


見事に商品を表してるCMではあるか。

突っ込みどころ満載のCMだけど、あれで騙されて買う人も多いんだろうな。


ホント、タチ悪いよ。┐( ̄ヘ ̄)┌

24じかんてれびにおもうこと

テーマ:

今年も日テレの24時間テレビが終わった。


好きな人には大変申し訳ないが、どうも好きになれない。

夜中部分のバラエティは特に害もなくバカバカしいだけで、

各局でやる1日がかりの特番と大差ないが、

基本コンセプトの「感動」と「身障者」が鼻につくんだ。


なんでこの日だけ身障者を引っ張り出してきて舞台に

上げるんだ?

確かに収益寄付で車椅子やバスを贈ったり有意義なのも

判るけど、

どうも視聴率の食い物にしている気がしてならない。


パラリンピックすらほとんど話題にしないくせに、

ダウンの子等を踊らせて何しようというのだろう。

ごめん、ほとんどかいつまんでしか見てないから

違ってたら勘弁) 


そして最大はあの「マラソン」。 

毎年誰かを一晩中走らせるけどもういいんじゃない?

そろそろネタが尽きてきて危険なゾーンに入って

来てるような・・。


普段走った事もないようなタレント走らせて、

「最後」の時間に間に合うように適当に車で移動させて

いるうちは良かったけど、

携帯やネット、電子ツールで一般人にバレた事が

リアルタイムで知れ渡るようになってからは、

かなり走者に無理を強いてるよね。


しかも皆が驚くような人選をとおじいちゃん走らせ、

体力勝負の芸人には異常な距離を走らせ、

今回はオカマを走らせて来年はどうするつもりだろう?

こども店長でも走らすか?(^_^.) 


いつか人死が出るような気がしてならないのは俺だけ?

普段ニュースや天気予報では、熱中症には気をつけて、

けして無理をしないように、なんて言ってるくせに、

もはや歌と励ましの「暴力」でもってかなり無理強い

しているよね。


今回のはるな愛なんて、確かかなり早い時期に膝痛を

訴えていたような・・。

最後の方なんて泣きながら走ってた。

画面ではもう止めたいと言っていたようにも見えるけど

けしてリタイアはさせてもらえないんだろうな。


温暖化のせいか、異常高温が毎年のように襲ってるのに。

そのうち誰か画面の中で倒れる。

ましてや節操のないテレビ業界、他でも若手や落ち目の

芸人を駅伝みたいに走らせてたから、そっちで起きるかも。


再度書くけど、好きな人、感動する人には申し訳ない。

でもダンセンはあの「強制感動イベント」はどうしても

好きになれないんだよ。

なんごくかぞくたび その4

テーマ:

通信簿にはいつも落ち着きがないと書かれていた。


他にも集中力がない、持続力がないとも書かれていたっけ。三つ子の魂百まで・・

やはりそれは今でも変らない。

遺伝だねと片付けようか。なにせシリーズで書き出して投げ出す繰り返し。

これでは

いかん!何が原因か。それは判ってる。長いんだ。簡潔に。リズム良く短めに。そんな訳でその4からは飛ばします。



電話で親父と家の場所を確認し、いざ駐車しようとしましたが軽が停めらる程度のスペースしかなく、四苦八苦していると

親父が出て来て誘導します。右だの左だの身振り手振りで誘導されてやっと納めた頃には、なし崩しに再会は済み、

気まずい再会どころではありません。


グダグダで家に上がりこむと高知らしく、カツオのタタキが用意してあり、ビールが冷蔵庫に冷やしてあります。

まずはお疲れとビールで乾杯になりました。ところで親父は80はゆうに超えてるはずなのに、やたら元気で、

コップだ、ポン酢だ、いや醤油がいいかとその都度立ち上がって台所に向かいます。足腰弱いとかは縁が無いようです。


頭はさすがに白髪ですが、ふさふさでどう見ても70くらいにしか見えず、むしろお袋に方が年寄りに見える始末。

どうやら年齢不詳は父方の特徴のようです。途中から親父は焼酎に切りかえ、一人で飲んでいます。


色々昔話をしましたが、親父が出て行った時、たぶん2~3才だったはずの弟が、結構覚えているのにびっくりし、

親父は僕らが幼児の時、まとわりついて来た事を再三繰り返して、なついていた事ばかり強調したいようです。


そんな会話をしながら飲んでいる親子をさすがにお袋は面白くないようで、

自分達を捨てて出て行った親父を僕らがなじると思っていたのに、普通に会話しているので、これが親子の血なのかと、

苦労して女手1つで僕らを育てたお袋は納得いかないのでしょう。


けど、捨てられたとか、思慕の念とか、そんな感情が湧くほど一緒に住んだ時間もないし、物心もつききってないし、

単に昔馴染みの爺さんくらいにしかダンセンも弟も感情が湧かないのが本音です。


あらかたタタキも食べつくし、ダンセンと弟で缶ビール10本くらいあけたところで、そろそろお開きにし、風呂に入って2階に上がります。

さすがに男一人で住んでいるので(家主のおばさんはボケて養護ホームに入っているらしい)掃除なんかしてないらしく

ボロボロですが、布団だけは干しておくように言ってあったので、何とか寝れる状態です。

ただ、まだ時間も早いのでお袋と親父を残して弟と近所に飲み屋を探して出かけるのでした。     つづく

なんごくかぞくたび その3

テーマ:

南国土佐に入ったのはやはり夕方だった。


東京を出てから11時間(書き始めてから何日だと言うのは置いといて・・(^_^.))ほぼ半日のロングドライブ。

ほぼ日本を半分走って来た訳で、ダンセン達より、良く母親が後部座席でもったなと・・。

確かにほとんど寝ていて荷物と化していましたが、74歳にはさぞ堪えたでしょう。早く親父の家に着けて休ませたいところです。


ところで肝心の親父の家(厳密には伯母さんの家)は若草町というところにあり、30年以上前に1回来ただけなので、

ほとんど覚えていないのに等しいのですが、夏、僕らの寝た布団を2階の窓から干したのですが、

広げて干せる屋根があった事だけは覚えています。


広げた布団の上にもう一度寝転んだ時のお日様の匂い・・・。その前には畑だったかなんだったか広い空き地があった気がします。

ところが30年も経てば、空き地は住宅で密集し、面影もへったくれもありません。確かにナビは場所を指すのですが、

路地になっていて車で探し難い状態です。たぶんあそこじゃないかと言う家があったので親父に電話すると、

窓から見える人影が電話を取り上げたのが見えたのでした。


ビンゴ!良く見れば例の2階のひさし屋根もかなり古びていますが確かにあります。いよいよ親父との再会・・・。

どんなジジイになっているのか。その時の本当の気持ちは「ちょっとうっとおしい」やはりそんな感情しか湧かないダンセンだったのでした。