目の前のこと「本当だろうか?」と疑ってみると | ドリーム・トレーナーの挑戦日記
仁誠塾ブログ
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6月読書No.16(13年No.107)
さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる/徳間書店

たしか…10年ほど前に読んだような表紙
しかし…めくるとほとんど忘れていたけれど
やっぱり
色んな影響を受けていたことに気づかされる

これまでに3000冊を超える著書に目を通してきたけれど
「どの著書の影響を受けましたか?」
「どの著者の影響を受けましたか?」
その質問に即答するのは難しい

参考になる著書は?
読んだ方がいい著書は?

と、聞かれること多いけれど
一応答えるけれど、それはその人によって違うもので
その人に合わせて伝えるだけで

本当に理解した方がいいってものは
すぐには勧められないことが多い

いい本って確かにたくさんあり
ほとんどの本には、何らかのヒントがある
でも、即採用するか?
というとそうでもなく

ただ、自分の価値観の確認だったり
なるほどぉ~と
自分を比べたり、否定したりと

案外、自分を正当化できる本を探したりもしてしまう

偏らない

それを一番意識して本を選んでいる
偏ってきたなぁ~と手帳や目標などをチェックして感じると
反対側に振る本を読んでみる

ソコで揺さぶられるけれど
ソコをじっと我慢しながら
掘り下げていくと、何か落ちてきたりする

それが
潜在意識に隠されていた自分の本心
なのかもしれない

目標に
夢に

トコトンこだわってやってみて気づくことがある
それが目的ではないんだと
やらないと
その目的には中々気づかない

上手くいかない
それは、目標を達成したとしても、そう思うときがある
なんでだろう?
と思っていると、その過程に問題を感じていたりすることが多い

本も大切だけど
自分を見直すことの大切さ
この1年特に感じている

人に伝えることで
見直せることも多い

自分1人で考えていると
どこか、過去の自分の何かを正当化しようとしている気がして
そこに疑いをもち始めると

本を探し
まずは、自分を否定してみると
否定すると見えてくるモノがあるので
ソコをじっくりと考えて、スッと入れ替えたりする

そんなときに本が役に立ってきた

これからも色んな著書を読んでいくんだろうし
知れば知るほど、知らないことが増えていき
興味が湧いてくる

歴史、神話、もっとその先にある宇宙の根源やその他
人を突き詰めていっても、結局ソコへ行き着いてしまう
経済を勉強しても、結局は…

いつ資本主義が始まったのか?
何のために始まったのか?

ソコを勉強するだけで
1000年くらいからの歴史を勉強するだけで

今の経済に疑問をもったら
明治時代以前の日本歴史を勉強するだけで
これからが見えてきそう

昨日の朝
資格について考えていていた
資格は、「本当に人の可能性を広げるのか?」
もしかしたら
「可能性を狭めているのではないか?」
なんて考えながら

看護師の歴史
柔道整復師の歴史、整復の歴史
理学療法の歴史

などなど色々と
すべてが明治以降にできたもので
医師以外の資格は
1950年以降に出来た資格

柔道整復師や鍼灸師に限っては
国家資格になったの1993年
それまでは知事認定の資格だった

そう言えば、病院で理学療法士をしていたとき
鍼灸師の先生らに聞いたことがあった
私が国家資格を取得したのが1991年?だったかな

理学療法士は1966年第一回国家試験
私が生まれた年

100年に一度の危機

なんて、リーマンショックのときにメディアで言っていた
いまの国民皆保険にしても
まだ、発足して52年
介護保険に至っては、つい最近って感じで20年も経っていない

そんな中で出来てきた資格
必要性に駆られてできた資格なのか?
その精神は

推古天皇(聖徳太子の伯父)のころからあったと聞く
必要性はあったけれど
制度化されたのは
つい最近

2000年前後に大きな規制緩和などがあり
学校数が飛躍的に増えて
資格者が飛躍的に増加して
整骨院にいたっては飛躍的に店舗が増えている

そんな中で

資格

というものをもう一度考えてみた

いま、私自身は
資格を活用することはない
自己紹介のときに
元理学療法士で、元スポーツトレーナーです
という時くらいだろうか?

名刺にも記載はない

何で勝負してるのか?

当然、仕事で勝負している
どんな仕事で?
と問われても、ひと言で答えられる相手とそうでない相手
いるけれど

自分がめざしている目的のため
その目的に少しでも近づくために
やっているんだと

断言はできる

そこに資格はないし
それを超えたものがあるような気がする

資格で細分化され
全体を見れなくなってしまった

東洋医学と西洋医学の違い
みたいなもの

どっちが大切か
という問題ではなく

病気を創らない

病気になってから対処する
との違い

くらいだろうか

反って複雑化してしまった社会
病気も複雑化しているけれど
腰痛や色んな症状に対して疾患名がつき
病気が創られているけれど

案外
病いってシンプルなもの
そんな気がする

野生の動物は…病院にはいかない
マサイ族のムラには病院はない?

日本は?鹿児島を見るだけでも
病院か
クリニックか
整骨院か
デイサービスか
幼稚園か保育園か
美容室か
コンビニか
ファミレスか
車のディーラーか
電気屋さんか

どこを見渡しても
ココから見える風景も
それらが、立ち並んでいる

本当に必要なんだろうか?
本当に適正な数なんだろうか?

必要なもの
もう少し見極めていきたい

そんなことを今朝は考えながら
6月の振り返りと
7月の目標設定を済ませた

これが月末の一番のお仕事
これが終わると、もう気持ちは7月へと向かう
スタートしっかりと切れるよう
今月末は日曜日
こんな月の次の月は多くの人がスタートが遅れてしまう

そのスタートの遅れは…
5年後あたりに影響が…くるのかもしれない