参考資料832 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「謎の“獣”は四匹」の続き
謎の“獣”は四匹
「そしてわたしは海辺の砂の上に立った。わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。これらの角には十の王冠があり、頭には神を冒瀆する名が記されていた。
 わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口はライオンの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。
 この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか」
 この獣にはまた、大言と冒瀆の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒瀆し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒瀆した。
 獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。
 耳ある者は、聞け。捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。
 わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。
 この獣は、先の獣がもっていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上に火を降らせた。
 さらに、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。
 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。
 この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるか考えるがよい。なぜなら、それは人間の数字だからだ。そして、数字は六百六十六である。

 ごらんのとおり、予言者ヨハネが語る“獣”は一匹ではなく二匹である。第一のものに対して、予言者は言う。《そしてわたしは海辺の砂の上に立った。わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。》第二のものについては、11節でふれている。《わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た》
 このイメージは、聖書のページをめくって、『黙示録』の七百年ほど前に書かれた予言者ダニエルの書にもどらなければ、何のことかとまどうばかりだ。ダニエルは四匹の獣にふれ、そのさまざまな特徴を述べた上で、四匹の獣のうち最初の一匹が地上に出現する時期を告げたのである。
 ダニエルの四匹の獣の特徴に通じて、はじめて『ヨハネ黙示録』の二匹の“獣”の意味と正体がはっきりと理解できるのだ。予言者たちの予言が複雑怪奇にからみ合っているという事実こそ、彼らが人知を超えた知識を持っていたことの強力な論拠である。
 右の引用で《四十二か月の間、活動する権威が与えられた》というくだりは、非常に重要である。予言に書かれた日数が、ヘブライ年一年分の日数と同数の年数に換算されることは、前にもふれた。つまり、一年は三百六十日だから、予言の“一年”は、一年分の日数と同じ三百六十年となる。
 同様にして、この規則は、予言に出てくる“月”という単語にも適用できる。
  一か月=三十日
  四十二か月=千二百六十日つまり“年”
 第一の“獣”が“四十二か月の間”権威を与えられると、古代の予言者が言う場合、じつは“獣”の存続にとって、千二百六十年という期間が非常に重要な意味をもつことを示している。実際、上記の期間は、獣の正体をずばりと暴くほどの重要性を持つのだ。
 したがって、以下の事実は非常に重要である。
 ユダヤ人のバビロン捕囚から、イスラム軍のエルサレム征服までの期間――― 千二百六十年。
 イスラム軍のエルサレム征服から、イギリス軍によるトルコ人の放逐までの期間――― 千二百六十年。
 キリスト誕生に始まる暦年法を編み出した六世紀ローマの神学者ディオニュシウスの計算では、紀元後の年代に四年の誤差が出た事実と、イエスの生年を俗信の西暦一年とする代わりに西暦七年ということを考慮に入れると、イスラム帝国のカリフ・ウマルの率いるイスラム軍がエルサレムを占領したのは、イエス誕生の666年後になる。これはただの偶然だろうか。
 またエルサレム神殿跡に立つ<岩のドーム>が、現存する最古のイスラム教モスクだという事実にも、なんらかの意味が隠されているのかもしれない。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>予言者たちの予言が複雑怪奇にからみ合っているという事実こそ、彼らが人知を超えた知識を持っていたことの強力な論拠である。

因みに、「ダニエル書」第11章にはこうある。

「この王は、その心のままに事をおこない、すべての神を越えて、自分を高くし、自分を大いにし、神々の神たる者にむかって、驚くべき事を語り、憤りのやむ時まで栄えるでしょう。これは定められた事が成就するからです。彼はその先祖の神々を顧みず、また婦人の好む者も、いかなる神をも顧みないでしょう。彼はすべてにまさって、自分を大いなる者とするからです。彼はこれらの者の代りに、要害の神をあがめ、金、銀、宝石、および宝物をもって、その先祖たちの知らなかった神をあがめ、異邦の神の助けによって、最も強固な城にむかって、事をなすでしょう。そして彼を認める者には、栄誉を増し与え、これに多くの人を治めさせ、賞与として土地を分け与えるでしょう。」
(36節~39節)

「彼に代って起る者は、卑しむべき者であって、彼には、王の尊厳が与えられず、彼は不意にきて、巧言をもって国を獲るでしょう。洪水のような軍勢は、彼の前に押し流されて敗られ、契約の君たる者もまた敗られるでしょう。」
(21節~22節)

「契約の君たる者もまた敗られるでしょう」は「ヨハネの黙示録」第13章の「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され」に当たるだろう。
因みに、「ダニエル書」ではその後「大いなる君ミカエル」(多分イエス・キリスト)が現れるので「契約たる君」はイエスではない。これはイスラム教のコーランからもうかがえる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.86.8D.E8.87.A8(マフディーが契約たる君だろう。)

「またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ。この宣言は警護者たちの命令によるもの、この決定は聖者たちの言葉によるもので、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである。」
「ダニエル書」第4章16節~17節

おまけ