参考資料571 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ダニエル=ノストラダムス、恐怖の二重構造
「ただし、もうダメだというときイエスが「再臨」、信ずる人々を一瞬に救う。
 残りは大戦や汚染で死ぬか、「地のちりに埋もれる」(=地中に葬られることだ、とダンスタンは解釈)。だからイエスを信じなさい、というのが、いかにも敬虔なクリスチャンの予言研究者らしい彼の結論なのだが・・・・。
 私はこのダンスタン説を認めない。“終わりの日”までに、「見返る」人や「身変える」人、また救いの「日の出の天使」はきっと出現するだろうが、「イエスの再臨」があるとは思わない。「終わりの日に、地のちりに埋もれている人々もいる」イコール「地中に葬られた死者たち」。これも欧米キリスト教徒の土葬の習慣から連想された古い狭い考え方だと思う。
 未来の世界全体を見ていたワイドなダニエルが、こんな狭い考えにとらわれるはずはないので、これは明らかに“終わりの日”の汚染(核のゴミなど)による惨害を言ったものなのだ。
 この意味からも、ダンスタンの解く1992~93年、“終わりの日”はまだ来ない。「96年にそれが来る」というスタッカートの逆算説も、警告としては聞くべきだが、そのとき中東大戦・汚染のピークが必ず起こる、という完全な根拠はない。
 それよりも、私はやはりノストラダムスの「1999年7の月、恐怖の大王」を重く受けとる。これがダニエルの、「憎むべきものの翼に乗ってくる荒らすもの」による、“終わりの日”でもあるのでは、と思っている。
 しかし、もしそうでない場合には、両者のどっちかが間違ったのではなく、この二大予言者の究極の予知が、より恐ろしいダブル構造になっているのだと考える。
 つまり、まず1999年7の月、原子炉衛星の墜落や汚染災害が空から襲い、中東でも大戦が―――第三次大戦といえるような惨禍がはじまって、宇宙兵器・毒ガス・ミサイル類が使われる。
 地球はこれで荒廃し、多くの犠牲者も出るため、戦争はいったん止む。しかし戦った民族間の怨念はいっそう深まり、2017年5月、第四次世界大戦がはじまる。
 これは超大国が介入し、1290日つづく。しかし前々からの「日の出の天使」の必死の工作が功を奏して停戦、45日後かろうじて新世界への歩みがはじまる、と解くのである。
 もちろんこれは最悪の仮説で、大戦も破滅も汚染のピークも、ダブルはおろか一回でも半回でも来てほしくない。が、右のように解いてはじめて、わかってくる部分もある。
 早い話、ノストラダムスは、「1999年7の月、恐怖の大王が降る」と、明らかに上空から襲ってくる超汚染や宇宙兵器的なものを予知した。
 しかしダニエルは、これと同じかこれより後と思われる時期の予言に、「戦車と騎兵と船で中東を襲う北の王」と、えらくクラシックな表現を残した。
 これはなぜか。ダニエルは宇宙兵器を予知できなかったのか。いや、これは1999年からの中東大戦で、大国の宇宙型のハイテク兵器は破壊され尽くし(実際、偵察衛星などはミサイル一発で落とせる)、その十七年後、「北の王」も「戦車と騎兵と船」ぐらいしか持っていないからではないのか。
 この末期症状もふくめて、ダニエルは「これが終わりの日だ」と考えた。「鉄と陶土」の、兵器と半導体の、機械文明がこうして終わる、と。
 そしてそれに先立つ宇宙兵器の大戦のほうは、前述のように「終わりに近い日、数個の星が角に射たれて落ちます」と―――ここでノストラダムスの「恐怖の大王」と同じものを予知したのではなかったか。」
「ユダヤ深層予言」五島勉著より

感想
>「終わりの日に、地のちりに埋もれている人々もいる」イコール「地中に葬られた死者たち」。これも欧米キリスト教徒の土葬の習慣から連想された古い狭い考え方だと思う。
 未来の世界全体を見ていたワイドなダニエルが、こんな狭い考えにとらわれるはずはないので、これは明らかに“終わりの日”の汚染(核のゴミなど)による惨害を言ったものなのだ。

これは小惑星衝突による粉塵に埋もれる事だろう。
因みに、10巻74番の詩に、
Au revolu du grand nombre septiesme,
Apparoistra au temps ieux d'Hecatombe,
Non esloingne du grand age milliesme,
Que les entrez sortiront de leur tombe.  (原文はロバーツ本)
大きな7番目の数が満了すると
その時に大量の不合格者の両目が明らかになるだろう
偉大な千番目の年からそれほど離れていない
なんと入っている者が彼らの墓から出て来るだろう  (15年以上前の自分の訳)

昔、1997年末に40日の断食をする直前に50ページの論文を書いた事があるがその時にこの詩を解釈した事がある。その時確か4行目は比喩と解釈したと思ったが、あれから知識も増えたので補足する。
まず、「イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使にも等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」(「ルカによる福音書」第20章34節~36節)

つまり死人とは文字通りの死人ではない。

次に、「また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」(「ヨハネの黙示録」第20章4節~6節)

やはり比喩だろう。

最後に、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力があるように、アァメン。」(「ヨハネの黙示録」第1章4節~6節)

普通の人は死人という事だろう。

補足 12/16 18:20
2行目の「hécatombe」には「大量の落第〔生〕,不合格生」の他に「大殺戮,大量屠殺」もある(こっちが1で向こうが2)ので、また、「ieux」はノストラダムスはよく「i」と「y」の入れ替えなどをやると思い「yeux」(目,両目)で訳したが「eux」(彼ら)で訳すと、

大きな7番目の数が満了すると
その時に大殺戮(の彼ら)が明らかになるだろう
偉大な千番目の年からそれほど離れていない
なんと入っている者が彼らの墓から出て来るだろう

となり、大きな7番目の数は1巻48番の詩の7000年、つまり千年王国成就の年と考えられる。その時にキリストの大殺戮がある事は知っている人なら誰でも知っている事だろう。(全然意識していなかったが、タイトルの通り「恐怖の二重構造」になってしまったね。)

おまけ