参考資料513 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

別のもの
「 別のもの は、かつてノストラダムス『予言集』の信奉者たちによって主張されていた、1999年の人類滅亡を回避するために現われるとされた存在である。ただし、これは日本独特の解釈であり、海外では実証的な研究者はおろか、信奉者たちからさえもまったく支持されていない奇説にすぎず、なんら正当な根拠を持っていない。
 この説を最初に言い出したのは五島勉である。彼は『ノストラダムスの大予言II』(1979年)において「ブロワ城の問答」という資料を持ち出し、カトリーヌ・ド・メディシスから恐怖の大王による人類破滅について尋ねられたノストラダムスが、それを避けるための条件として、恐怖の大王の前に「別のもの」が現われたならば、破局は回避できるかもしれないと述べたと紹介した。
五島はこの語が百詩篇第1巻48番に登場するとして、その詩の2行目を「七〇〇〇年、別のものが王国を築いている(保っている)だろう」と訳した。

 『ブロワ城の問答』は架空の史料である。五島自身、2012年の飛鳥昭雄との対談『予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉』では、少なくとも「正式な資料」は存在しないことを認めている。 

 百詩篇第1巻48番に登場する autre は単なる一般名詞にすぎないので、海外のまともな論者の文献では、ことさらに特筆大書されることはない。それどころか、ピエール・ブランダムールの校訂では、Sept mil ans autre (七千年に別のものが) は、Sept mil ans outre (七千年をこえて) の誤植とされており、autre は校訂された原文から消えている。そして、この校訂は高田勇・伊藤進、ブリューノ・プテ=ジラール、リチャード・シーバースといったまともな仏文学者たちによって踏襲されている。
ピーター・ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベールなどのように、比較的評価の高い論者の中にも、ブランダムールの校訂を支持しない者がいるのは事実である。しかし、彼らにしても、人類滅亡を覆す特別な何か、といった理解はしておらず、天使年の周期(354年4か月)に従い、その支配する天体が別の天体に切り替わること(百詩篇第1巻48番参照) と理解している。

 むろん、「別のもの」 を信じることに拘泥しようとする論者は 「いや、『別のもの』 はノストラダムス予言の中でも特に難解だから、海外の論者が誰も気づけていなかっただけだ」 というようなことを言うかもしれない。だが、もともと 「別のもの」 の提唱者である五島は 「この謎の救いに充ちた“別のもの”をめぐって、いままで、いろんな解釈がみだれ飛んできた」 と述べていたのだから、そのような主張が通る余地はない。そして、その五島の主張が、現実の海外の研究動向とまったく対応していないことは、すでに述べたとおりである。

 なお、蛇足だが、五島の著書 『アザーズ』 (Others) は 「別のもの」 を複数形にすることで様々な 「別の」 何かを提示しているが、本来の原文 autre は単数形であり、ヘンリー・C・ロバーツ、エリカ・チータム、エドガー・レオニ、ピーター・ラメジャラーなど、(outre という校訂を採用しているシーバースを除けば) 英語圏の論者は立場を問わず、another と英訳している。そういう意味で 『アザーズ』 という書名は、ノストラダムス予言とは遠く隔たった何か 「別のもの」 を表していると判断せざるをえないだろう。」
ノストラダムスの大事典」より

感想
>『ブロワ城の問答』は架空の史料である。五島自身、2012年の飛鳥昭雄との対談『予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉』では、少なくとも「正式な資料」は存在しないことを認めている。 

「ノストラダムスの大予言Ⅱ」五島勉著でも「だいたい、この「問答」の、まとまった原本があるわけでもない。資料として使えるのは、王妃の友人たちのわずかな日記や手紙類だけである。彼女たちが切れ切れに書きとめ、その子孫が伝えてきたのを、比較的最近になって、欧米の研究家たちが、なんとかつなぎあわせたというだけ」と書いてある。
因みに、1997年の12月頃に学研の「ムー」という雑誌の投稿コーナーに50ページぐらいのレポートを投稿した事があるが、その時に、だから「ブロア城の問答」は信用できないと五島勉氏と180°違うキリストの再臨説を投稿した記憶がある。

>それどころか、ピエール・ブランダムールの校訂では、Sept mil ans autre (七千年に別のものが) は、Sept mil ans outre (七千年をこえて) の誤植とされており、

私は今までこの部分は深く考えた事がなかったのだが、確かに「七千年を越えて」の方が合うね。その理由は「Sept mil ans」は英語で言えば「Seven thousand years」(七千年)で例えば1999年のように「L'an mil neuf cens nonante neuf」(年 1999)すなわち七千年では「L'an sept mil」という年号指定形式とはなっていないからである。
その場合は、主語は(彼は)となるが「メシア」という意味だろう。(Sept mil ans outre tiendra sa monarchie :「tiendra」の前に「il」(彼)が省略されているという事。)
「別のもの」はあったとしてもシンクロニシティーレベルだろう。

>「この謎の救いに充ちた“別のもの”をめぐって、いままで、いろんな解釈がみだれ飛んできた」 と述べていたのだから、

これも作り話だったのか。

>なお、蛇足だが、五島の著書 『アザーズ』 (Others) は 「別のもの」 を複数形にすることで様々な 「別の」 何かを提示しているが、本来の原文 autre は単数形であり、ヘンリー・C・ロバーツ、エリカ・チータム、エドガー・レオニ、ピーター・ラメジャラーなど、(outre という校訂を採用しているシーバースを除けば) 英語圏の論者は立場を問わず、another と英訳している。そういう意味で 『アザーズ』 という書名は、ノストラダムス予言とは遠く隔たった何か 「別のもの」 を表していると判断せざるをえないだろう。

個人的には、1巻25番の詩の「autres」は「別のもの(達)」と解釈している。
一応昔訳したものを載せておくと、

失われ、とても長い世紀の隠れ場所が見つけられる
超人の牧者(牧師)は栄誉を讃えられるだろう
そういう訳でなんと月はその沢山の世紀を終える
別のものによって社会の動向は不名誉にされるだろう (原文はロバーツ本)

補足:2行目は「Sera pasteur demi dieu honore,」だが(原文によっては「Pasteur」と大文字)、
因みに、「pasteur」(牧人,牧者,羊飼い,牧師)、「le Bon Pasteur」(キリスト)(「le Bon」は英語で言う所の「the Good」)

「社会の動向」は「vents」。まぁ、あったとしてもシンクロニシティーレベルだろう。
私は「キリストの再臨」と解釈しているのだが、ちょっと「別のもの」説を押す資料も。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10559004196.html

補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11161009218.html#main(念のため、私はスピリチュアルなど信じていない。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10364616010.html(ただし、こういう可能性も0じゃないね。)

おまけ