「参考資料483」の補足 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「私たちは近いものほど大きく見がちである。目の前の指1本は、富士山でもおおってしまう。学者でも同じことで、近い時代の人ほど、つい大きく評価してしまう。しかし古今の数学者をながめわたしたとき、理論的な数学の面と、実際的・物理的な面とが一体となっていて、しかもその仕事のスケールの大きい点で、アルキメデスはまず筆頭か、それに近い人物であろう。
 ニュートンとか、ガウスとかがその近くにいることになるであろう。
 アルキメデス(前287?~前212)はシチリア島のシラクサイの生まれで、名門の出であったという。プルタルコスの『対比列伝』には、ローマの将軍マルケルルスがシラクサイを攻撃する話のあたりに、アルキメデスの生い立ちとその悲劇的な死の話が出ている。
 それによるとアルキメデスは数多くの武器を作ってローマ軍を悩ましたが、けっきょくローマ軍は町に侵入し、その混乱のなかで彼は殺害されたという。なんでも彼は敵軍の侵入も知らないで、砂をまいてその上に図をえがき、一心に考えごとをしていたところへ、兵士がきて連行を求めたとか。アルキメデスはそれに向かって「じゃまをするな!」と言ったものだから、兵士は怒って殺したというのである。しかしマルケルルス将軍はその死を惜しんで、彼のために墓をたてたといわれている。
 アルキメデスが数学の理論の方面で残した第一の業績は、放物線と直線でかこまれた図形の面積や重心の計算であろう。計算といっても近似算などではなく、しかも今日の進んだ数学から見ても、論理的には何の苦情も言えないような、まったく完璧な形でそれらの面積計算や重心決定を処理している。
 ギリシア数学はこのアルキメデスの時代を頂点として、以後しだいに振るわなくなったが、いったん忘れられたアルキメデスの諸著作が、もう一度研究されはじめたルネサンスのころから、急激にこの方面の理論が進みはじめて17世紀の微分積分学につながったのであった。」
「玉川児童百科大辞典・数学」より

感想
>アルキメデスはまず筆頭か、それに近い人物であろう。ニュートンとか、ガウスとかがその近くにいることになるであろう。

世界三大数学者と言われている人達だね。個人的には、オイラー先生が入っていないのはどうかと思うが。そんな事言ったら切りがないけどね。例えば、夭折の天才のガロアやアーベル。異常性からはラマヌジャンとか。
補足:http://120.hp2.jp/?p=3752

>まったく完璧な形でそれらの面積計算や重心決定を処理している。

そういえば、中学校で三角形の重心を教わるが四角形の重心の位置は教わらないね。以前にネットで調べたので、サービスで教えると、四角形ABCDをまず三角形ABCと三角形ADCに分けてそれぞれの重心G,Gを定める。次に、三角形ABDと三角形CBDに分けてそれぞれの重心G,Gを定め、直線Gと直線Gの交点をGとすると、点Gが四角形ABCDの重心となる。(五角形以上も同様に求まる。)
これが何の役に立つのかと言うと、非常に役立つ。例えば、回転体の体積を求める時、普通は面倒臭く大きな立体から余分な立体を引いたりして求めるが、重心の位置が分かっていればパップス・ギュルダンの定理を使って一発で求める事が出来る。
http://arithmetic.archivs.org/sansugaku/sansugaku-10.html(平行四辺形や長方形は特殊だから重心の位置が簡単。)
http://okwave.jp/qa/q1024932.html

おまけ