無になる!
昨夜は、友人と宮地嶽神社に朔日(ついたち)参りに出かけました。
台風のあと、風が秋の香りを運んでくれるようになって、いつもの朔日参り以上に清々しい気持ちになりました。
宮地嶽神社には奥の宮が八社あって、お参りを繰り返すうち、お願いごとも感謝もなくなってきて、無心に近づいていくんですね。
きっと、この 「無になる」 というのが、私たちがお参りする意味なんでしょうね。
先日、致知出版から 『日本のこころの教育』 という本を出版していらっしゃる境野 勝悟(かつのり)先生に、久しぶりにお会いしました。
ちなみに、『日本のこころの教育』、まだ読んでいらっしゃらない方は、今すぐ注文なさることをオススメします
日本人に生まれただけでは、本当の日本人ではない。 この本を読んで、本当の日本人になれるって、私は思うんですよね
今、西武ライオンズで活躍している菊池 雄星クンの母校・花巻東高校は、岩手県下屈指の進学校で、文武両道、さらには徳育にも力を入れています。
その花巻東高校の校訓に、「報恩」 という言葉が入っているのを知り、感激した境野先生が、特別に花巻東高校の生徒たちに講演したのですが、その講演録が、一冊の本になりました。
次代を担う若者たちに対する境野先生の愛が溢れていて、さらに高校生にもわかるようなシンプルな言葉で表現されていて、この先、何十年も、何百年も読み継がれてほしい名著です
その境野先生は、神奈川名門・栄光学園の国語の先生を18年間務められた後、若い世代や経営者たちに東洋思想を伝えてくださっています。
でも…実は、栄光学園は、カトリックの中高一貫校。
歴代の校長先生は欧米人が務めていて、教員の何分の一かは神父さんなんです。
当時、禅を学んでいた境野先生は、キリスト教の考え方につていけなくて、とても悩みながらお仕事なさっていたそうです。
毎日つらくて、仕事帰りに鎌倉の円覚寺で座禅を組みましたが、それでも悩みは消えなくて、ある時、禅宗の高僧に、その悩みを打ち明けました。
その時の禅宗の僧侶の言葉に、私は胸が熱くなりました
僧侶は、境野先生を慰めたのではなく、一喝したのだそうです。
「禅は宗教ではない。
禅とは、無になることである。
あなたが禅を信じるなら、なぜキリスト教徒になりきらない。
朝、校門をくぐる時に、キリスト教徒になりきりなさい。
そして、夕方校門を出る時に、キリスト教を置いてくればいい。」
禅を学んでもいない私が何か言えた義理ではないのですが、でも、この言葉で、禅の本質が少しだけ掴めそうな気がしました。
慌ただしい日常の中で、月に一度の朔日参りの時ぐらい、「無」 に近づけたらいいですね
そういえば、昨夜は、満月で、しかもブルームーンだったんですね。
ブルームーンというのは、ひと月に満月が2度ある、とても稀なことなんです。
前回は、確か2010年3月でしたよね。
あの時は、知覧の特攻記念館の前で、素敵な仲間200人とブルームーンに照らされて、自分たちの原点を見つめなおしました。
そして2012年8月。
今回のブルームーンは、どんな意味があるのかな。
2度目の満月は、ふだん以上に満月のパワーが強いと言われています。
満月の気は前後24時間続くそうですよ。
昼間は月は見えませんが、満月のパワーは私たちまで届いています。
見えない満月に向かって、願い事をしてみるのもいいかもしれませんね
では、今日も笑顔で素敵な一日をお過ごしくださいね