今日は私の友達、はーちゃんの7回目の命日です
はーちゃんとは、高校が一緒でした
でも、高校1年の時、一緒のクラスになっただけ…
特別、仲良しって程でもなく、学校ですれ違うと「元気~」とあいさつする程度の友達…
そんなはーちゃんが、私の生涯忘れられない友達になってしましました
はーちゃんと再会したのは、高校卒業して、社会人になった22才の時…
私は、短大を卒業して、鹿児島市立病院で栄養士として働いていました
そこへ、はーちゃんが入院してきました
はーちゃんは、職場の健診で、胸に影がみえます…ということでの入院でした
それから、はーちゃんの長い長い入院生活がはじまります(何度も、入退院を繰り返すことになります)
何度か手術もしました
無菌室にも入りました
食事も無菌処理をして…生物禁止の無菌食のこともありました
放射線治療もして、髪の毛がぱらぱら落ちて…20代の女の子にとっては、とってもつらかったと思います
そんな状況でも、泣きごとを言わず、ガムテープをわっかのように、まるめて、枕元の髪の毛をとりながら
「これでかつらが作れるよ~」って笑っていたはーちゃん…
そんな、はーちゃんも調子のいい時期もあり、バイトができるまでに回復した時期もありました
そこのバイト先で知り合った男性と結婚して…
かわいい、つーちゃんという女の子も生まれました
大きな手術や放射線治療もしていたので心配していましたが、とっても安産で親孝行な元気な赤ちゃんでした
お産も、私が働いていた病院でしました
はーちゃんには、胸と胸の間に、手術のあとが一直線にありました
「普通分娩で産まれてくれてよかったよ~これで、帝王切開だったら、あたし、胸からお腹まで一直線に手術のあとがつながって大変なことになるとこだったよ~」なんて、明るく話してくれてたはーちゃん…
子供を出産してからも、はーちゃんの入退院は続き…
胸水がたまって心配したこともありました
息が絶え絶えって状態でとっても苦しそうな日もありました
入院はいつも、私の職場だったので、仕事が終わってから、7階のはーちゃんの病棟まで、駆けあがり、できるかぎり、、はーちゃんの顔を見に行くようにはしていました
お見舞いにいってるはずが、いつのまにか、はーちゃんに私のほうが癒されてました
プライベートな相談も、はーちゃんは親身になってのってくれて、病気のはーちゃんから、逆に元気をもらって…
ということもしばしばでした(20代後半から30代最初は、私もいろいろと悩みも多くて…)
いろいろなおしゃべりをして、はーちゃんに話を聞いてもらって、すっきりして帰宅する…そんな毎日でした
はーちゃんにもらった年賀状や手紙に混じって、今でも大切にとってあるのが…
小さいメモ紙に…
「チョコレート食べてお仕事で疲れた体を癒してね…甘いものは疲れがとれるよ~」って書いてあるメモ…
そのメモ紙にチョコレートをつつんで、私が帰る間際に渡してくれたんです
なんでそんなメモをとっていたんだろう…って自分でも不思議なんですが、多分、それくらい、うれしくて、それくらい、はーちゃんの状態が悪かったからかも…
そうこう、しているうちに、私も結婚して奄美に来てしまったので、今までのように、ちょくちょくはーちゃんのお見舞いに行けなくなりました
結婚してからも、後輩の栄養士から、メールなどで、「はーちゃんがまた、入院してきました」とか、「食欲がなくて…」とか、「低血糖を起こしてしまって…」とかいろんな様子は聞いていました
また、別な友達からは、「みみが結婚したら、面会にきてくれる人がなかなかいなくてさびしいっていってたよ…」
と聞いたこともありました
30代になり、友達もどんどん、結婚して、それぞれの家庭、子育て、仕事が忙しい時期で、今までお見舞いにきてくれていた人も病院にちょくちょくは、顔をだせなくなっていたみたいです
そういうことを聞くと、とても、つらくて…とんでいきたい気分でした
はーちゃんと最後に会ったのは、結婚した年の12月25日クリスマスの日でした
私は、2月のひーちゃんの出産のために、鹿児島に帰省していたのですが、偶然、鹿児島三越(今はもうなくなってしまいましたが…)から、ケンターキーへ渡る横断歩道で、はーちゃんに会ったんです
はーちゃんは、私の大きなおなか(ひーちゃん)をさすって…
「一人といわずに、たくさん、つーちゃんのお友達を産んでね~元気に生まれておいでね~」とやさしく、お腹をなでてくれました
そして、私が横断歩道を渡りきるまで、手を振って…ふりかえったら、まだニコニコ笑って私をみていくれていました…
あの笑顔が今でも目に焼き付いています
年が明けて、2月8日に、ひーちゃんが生まれました
そして、ひーちゃんの1ケ月健診が終わった日…
はーちゃんが亡くなったと友達から電話がありました
産後、間もない、私のことを気遣って、友人たちは、最初私に知らせるのをためらったそうです
でも、連絡してくれました
教えてくれてありがとう…
最初冗談かと思いました
信じられませんでした
どうして…なんで…うそだ…現実として受け止められませんでした
5才になったばかりのつーちゃんを残して32才で、はーちゃんは天国に逝ってしまいました
私も、自分が母親になって、はーちゃんの無念さを感じます
つーちゃんの成長をそばで見守っていたかっただろうな…って
つーちゃんが生まれてからも、入院生活が続いたので、一緒にいられたのは半分もなかったもんね…
もっともっと、つーちゃんにママらしいこと、してあげたかったよね…
はーちゃんは、私にいろんなことを教えてくれたね…
命の大切さ…子供といっしょにいられることのありがたさ…
育児に疲れてもうイヤ!って思ってしまう時、いつも、はーちゃんのことを思いだしているよ…
はーちゃんは、つーちゃんと一緒にいたくても一緒にいれなかったんだもんね…
子供のそばで成長を見守っていられるって、奇跡的なことなんだよね…
あたりまえのことじゃないんだよね…
いろんなことに気づかせてくれてありがとう
はーちゃんが言ったように、私、つーちゃんのお友達を3人も産んじゃったよ…
はーちゃんに、子供達を抱っこしてもらいたかったな…
3月9日は、はーちゃんに感謝する日って勝手に決めてるよ(サンキューって覚えてるんだよ…)
5才だった、つーちゃんももう、春から、中学生ですね…
早いね…
いつか、つーちゃんに会って、
「つーちゃんのママは病気でつらくても弱音をはかない強い人で、いつも、おばちゃんは励まされていたんだよ…いつも、まわりを明るくしてくれていたんだよ…」ってはーちゃんの話しをしてあげたいな…
つーちゃんも、はーちゃんに似て、あったかくて、明るい、やさしい女の子に育っているんだろうな…
はーちゃん、たくさんの優しさをサンキュー
ずっとずっと忘れないよ…
ありがとう