ひかりの輪設立の時には、お寺のような団体にしたいと上祐も言っていた。来るものは拒まず、去るものは追わず。そんな団体の夢を語っていたし私も大いに希望を託していった。

それで現実はどうであったのか。なかなか団体内部のことは会員まで下りて来ることがないので実態が把握できていないが、アレフ代表派の頃はスタッフは100名以上いた。

それが、ひかりの輪立ち上げには60数名まで減り、今では20人弱といったところか。

辞めた人の表向きの理由は人それぞれであろうが、本音で共通しているのはもはや団体ついていけないということだろう。

オウム、アレフを逆境の中でも生き抜いて人達が、ひかりの輪では耐えられなくなって去っていったのだ。

代表の嫌味を言われ自尊心を傷つけられながらもきちんと自己主張できた人はまだマシかもしれない。

きちんと反論できない人は、夜逃げするかのように逃げていった。

そこまで人を追い込んでしまう団体とはどのような存在なのだろう。

もちろん、修行上の上では精神的に追い詰めてエゴを崩壊させるという手段が存在しているのは知っている。でもそれは修行上の話であって、その人の状態を見極めながら適切なアドバイスをしてくことが重要になる。潰してしまったならグルとしての資質は皆無だと自覚すべきであろう。

私も検査忌避や諸々の事情で、元大阪支部長をとことん追い詰めていった時がある。彼女の気性も知っているので相当なショックであったに違いない。それでも心の中では「どうか踏み留まって欲しい」という願いは忘れたことがなかった。

霊的な指導者であるとか、代表であるとか会員であろうとか関係なく、法則が身についてくると、全ての存在、全ての事象に意味があるという考えになってくる。精神を病んでいようが、貧乏人であろうが関係なく、全ての人が等しく価値を有していると思えるし、全ての事象で自分はどのように選択するのかという問いかけになってくる。

縁があって、その人が目の前にいる。それを救いたいとか導きたいとか上からの目線ではなく、それはどういう意味なのか、どう接すればいいのであろうかという自分自身への問いかけでなければならないのだ。そういう癖ができた時には、全ての人が学びの対象となり、全ての事象への対応が修行へと転化する。

団体に関して言うならば、相手の状態や気持ちを無視して自己主張しているだけに過ぎず、単なるイジメやパワハラにしか過ぎなかったということであろう。

中には追い出された人もいたらしい。アレフからひかりの輪に移行し、事件はオウムがやったのだという現実を受け入れるには相当なショックを伴う。今までの生活を捨て人生の全てをオウムに捧げようとした人達であるのだから、外部の人間には計り知れないほどの衝撃であるのだろう。そのショックが大きければ大きいほど、その後にやってくる挫折感というのも想像できないものがある。

身動きも取れなくなって空虚感の中で漂う。いわゆる欝状態である。そんな人達に働けるかどうかを迫り、もしくは働けないことで罪悪感を抱かせ居場所を無くならせる。そのようにして、出て行くように仕向けたか、実際に出て行けと命じたかのどちらかであろう。

大阪では昔、老人さんも多かったのであるが、働ける人達は働きに出ていた。仕事を二つ掛け持ちしながら働いていた人もいた。過労からかその人がインフルエンザにかかり入院せざるを得ないまでに拗らせた。

その時、団体は見舞いの言葉もそこそこに「いつになったら退院できる?」などと退院を急かすような言葉を投げかけたらしい。繰り返しておくが、その人は二つも仕事をしながらそのほとんどをお布施してきた人である。当然ながら私有財産はないので団体が入院費を出さねばならないのであるが、入院している時くらいは養生させてあげるのが宗教者以前に人間として当然のことであろうとも思うのだが、団体はそれを許さなかった。おそらくはそういう自己への問いかけすらもなかったであろう。

今残っている人達も、倒れたら最後ということは理解していると思う。病状にもよるが、長引くような病気であるなら間違いなく切り捨てるであろう。せいぜい家族に引き取らせるか、それが不可能であれば生活保護申請ぐらいはするかもしれない。そんなものであろうな。

宗教であろうと智慧の学び場であろうと構わないが、これが人の幸せを説く団体のやり方である。

どう考えても、今のうちに解散して新しい人生をやり直すほうが、人々の幸せに繋がると思う。