ひかりの輪における秩序と混沌

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今、団体のツイッターが荒れている。荒れる要因としては「事実誤認」としての削除要請や、コメントの削除やブロックなどなど。

下記記事は、ひかりの輪からのコメント削除要請に対する反論。削除要請の対象のコメントは、さくらねこさんのこのコメントなのかな、と想像するしかない。

『さくらねこ2015年6月5日 19:18 ひかりの輪のスタッフです。いまスタッフは17人です。今までたくさんのスタッフが労働に耐えかねてやめていきました。今のスタッフのうち85歳以上が3人います。私は簡単な介護で月10万もらっています。事件被害者のことを毎日考えて時々罪悪感が極まって死にたくなることがあります。うつ病で5年間治療中ですが、今の仕事を一段落させ、家に帰って仕事を探そうとも思いますが、社会に適応できるのか不安です。家族や親戚は「やり直せるよ」と言ってくれますが、仕事ができないと賠償もできない、そんな私が我欲のために楽になるわけにはいきません。賠償だけするならば生きていることを許されるでしょうか。。何がなんだか混乱し出したら、パニックになります。お医者さんはPTSDの一歩手前だとおっしゃいますが、私は加害者です。PTSDと呼ぶなんてとんでもない、これは罪の果報であって、罰であり、苦しむべきだという思考が出てきます。ですから、行動が規制されるスタッフであるほうが良いのではないかと思ってしまいます。家に帰ったら仕事ができなくて、お金も稼げないし逆に親のお金を使って楽をしてしまいます。苦しいけど、こんな私の選択肢は、「死」もしくは「スタッフ」なのではないかと思ってしまうのです。』

その上で、下記記事を読んでもらいたい。

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from; out of
2015年6月12日金曜日
ひかりの輪へ
http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/06/blog-post_12.html?m=1

お返事が長くなってしまったので、ブログに掲載させていただきます。

ひかりの輪広報さま

はじめまして。メンションありがとうございます。
私の方から六点お返事させていただきます。

一点目、メンションがどのツイートに対するものなのかわかりません。他のフォロワーさんに聞いても、みなさんやはりどのツイに対するメンションなのか表示されないみたいなので、私のスマホやPCのバグではないと思います。
内容から察するに、私のブログにコメントいただいた、さくらねこさんの文章を削除せよということか、そのコメントのスクショを貼ったツイを削除せよということかと思いますが、具体的にどの箇所についてなのか教えていただけると助かります。

以降さくらねこさんのコメントについてという前提でお話させていただきます。

二点目、私のブログは、私自身が納得できる意見や、なるべくありのままの情報を載せることをコンセプトとしています。同時に、私の乏しい知恵や知識だけでなく、様々なご意見や、様々な情報を提供していただくことも大切だと思っておりますので、コメントも承認制にせず、オープンにしています。
「ひかりの輪のスタッフとするコメントを掲載されていますが 」の点において、掲載しているのは、感覚としては私自身のみの意思で掲載したのではなく、コメント主のさくらねこさんが、私のブログを見つけ、読んでくださり、ご自分のご体験とご意見を自主的に書いていただいたもので、つまり、さくらねこさんから”掲載”されたものです。もちろん、貴重な読者様のひとりであり、コメントまで掲載してくださったということで、私はそのコメントを大切に置かせていただいております。なので、掲載に関しての責任は、さくらねこさんだけでなく、私にもあるのはもちろんのことですが、その言葉の使い方に違和感を覚えました。そして、折角、お辛い体験をたくさん書いてくださったので、大切にしたい、守りたいと思います。なので、削除しようという気にはなりません。

三点目、「匿名情報であり」について、ほとんどすべてのブログやツイッターがそうでありますように、匿名を使って真実を書くのか、嘘を書くのかは、コメント主の良識に任せるしかありません。しかし、私はそれでも、コメントをオープンにして、匿名でも本名でも、何か情報やご意見が寄せられるのは一向に構わない、と思っています。すべての事象について、真実はいつも一つとは限りません。さくらねこさんが、さくらねこさんとして、このように感じ、このように描写したことは、嘘でも本当でも、大切に記録させていただきたいと思います。

四点目、「総括作業が実際にはひかりの輪の発足後の2008年であるのに、発足前とされていること」とありますが、ひかりの輪の発足についてや、その歩みについて、私は存じ上げません。本か何かに書かれていたかもしれませんが、覚えておりませんでした。なぜなら、私がひかりの輪という団体について、上祐さんの本や、資料、昨今のツイッターなどを踏まえた上で感じたのは、大変欺瞞的なことをされているという印象でいるからです。なので、そちら側が何かを書かれたり、主張されたりしても、丸ごと信じることは、私にはできかねます。
ちなみに、信じてはおりませんが、否定をしようとも思っておりません。それぞれの幸せを、歩んでいただきたいと思うばかりです。

五点目、「発言者が精神疾患とされている~信頼性がなく」とありますが、精神疾患の方=信頼性がない、という考えは大変に安易であると思います。藤倉さんの言葉を借りますが、「精神疾患を抱えた人の語る内容の信頼性を一律に否定する行為は、精神疾患に対する無理解と差別以外の何ものでもありません。」…と、私もそう思います。ひかりの輪がマンション内で要介護者の介護をされているということは、コメント以外でも何かで知った覚えがあります。私は福祉関係の仕事に従事しておりますので、ひかりの輪のそういった精神疾患への無理解、差別的発言は大変に、大変に遺憾に思い、涙が出てきます。どうか、医療、介護、福祉について、学びを深められてください。

六点目、「団体の誤解を招くので削除を要請します」とありますが、さくらねこさんのコメントが貴団体の誤解を招いたとして、具体的な問題性がわからないため、私には知ったことではありません。なので、そのような理由でも削除しようとは思いません。

最後に、さくらねこさんに該当する方が、 ひかりの輪にいないことを、私は心底望みます。あまりに気の毒な境遇だからです。もしみえたならば、ひかりの輪の方は、要介護者のケアはもちろんのこと、さくらねこさんのような方たちのケアも大切にしていただくことを望みます。
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残念ながら、さくらねこさんが誰なのかは私には察しが付く。つまり、ひかりの輪に現実にいらっしゃる方である。それはそれで、団体はこの現状をどうしていくのかを検討しなければならない問題であるが、今回は趣旨からずれるのでまたの機会にしたい。

団体のSNS活動はmixiから始まった。ひかりの輪がSNSで布教活動しているなどという批判から、「意見交換の場」なるコミュニティを作り、当初は代表自らが管理人をしていたのだが、荒れて荒れて仕方がなかった。混沌としたカオスの世界である。そこでコミュニティに参加できる人間を選別していくとともに、手に負えなくなったのか、他の人に管理人を任せて、自分はコニュニティに意見を載せることはなくなった。それで自然と消滅していった。

その一方で、代表自身の日記は荒れることなく、理路整然としていて非常に読みやすい。何故かというと、非難や中傷の類いのコメントはすべて削除していたからである。秩序だったロゴスの世界である。

これが普通の団体であれば問題ないかもしれない。しかし、すでにひかりの輪は一元思想は説いていた。「万物恩恵・万物感謝、万物仏・万物尊重、万物一体・万物愛す」という三悟心経の元になる考えを説いていたのである。

言っていることと、実際の行動とが矛盾していないか、という疑問は当然に湧き上がってきた。

宣伝したいだけならプログですればいい。SNSを使うのであれば、それは時には「荒れる」ことも当然に覚悟しておかねばならないだろう。

「荒れる」には荒れるだけの意味がある。その意味を悟らないかぎりは同じことの繰り返しになるだけだろう。「すべては心の現れ」なのだから、現象を読み解くには、他人を見るのではなく、自分の心を見つめなければ何も解決はしていかないだろう。

ロゴスとカオス、秩序と混沌とで区別し、そこに価値的判断をしてやしないか。物事の創造は「混沌」の中から生まれだす。混沌とはエネルギーそのものだからだ。

そのエネルギーを排除するのではなく、コントロールしていかねばならないのだ。排除すればどのようになるのか。衰退していくだけ。その姿がさくらねこさんに象徴される団体の現在の姿であろう。

混沌を受け入れ、そのそのエネルギーに巻き込まれながら新しいものが創造されていくのである。その点を見誤ってはならない。

また、住民との関係においても一番の象徴が、これ。「ひかりの輪が宗教学者にからむ」http://togetter.com/li/829856

うまく無難にやろうとして、結局墓穴にはまっていく。

自分達の視点を主張するのはいい。だけど無理に押し付けようとするのじゃなく、多様性に富んだ物事の視点がある、という認識と寛容性、つまり一元の世界観を培わない限り、衝突して疲弊するだけだろうな。その結果は引きこもりか。

傲慢か、引きこもりかの二者択一ではなく、もっと柔軟さを兼ね備えてもらいたいものだ。


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