※先週のことですひらめき電球


8/8(土)14:00~16:00



演題:「食卓で変わる、子どもが変わる」


講師:西日本新聞社 安武信吾氏

~我逢人~


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★サマーシリーズ第6戦


■8月8日(土)


「食育講演会in直川~食卓の向こう側の西日本新聞社・安武信吾の巻」


(大分県佐伯市直川公民館)

日時:8月8日(土)午後2時~4時

場所:大分県 佐伯市直川「佐伯市直川公民館」

参加:無料

問い合わせ:
佐伯市役所企画課「総合政策係」
TEL:0972-22-3486
FAX:0972-22-3124
s-shibata@city.saiki.lg.jp


【講師陣よりのメッセージ】

「食卓の向こう側」取材班の趣旨に賛同して活動する講師陣&取材班による、夏の連続講演会「サマーシリーズ」10連戦。

大分県佐伯市では、全く無名の講師陣ばかりですが、ワークショップの要素を取り入れながら、参加型で行いますので、退屈することはないと思います。
問題点を指摘するだけではなく、子どもがつくる“弁当の日”、“みそ汁の日”、生ゴミリサイクル、低体温を解消する食生活チェックシートなど、具体的な解決策も提案していきますので、ほかの地域の方も奮ってご参加ください。


■安武信吾プロフィール
安武信吾に関してはこのホームページをご参照ください。
http://www.islands.ne.jp/ochiima/tenkitoshoku/vol01.pdf



【以降の日程】

★サマーシリーズ第7戦


■8月21日(金)「食育講演会in鶴見~PTA会長の“弁当の日”の比良松道一・九大助教の巻」(大分県佐伯市鶴見公民館)


★サマーシリーズ第8戦


■8月22日(土)「食育講演会in蒲江~PTA会長の“弁当の日”の比良松道一・九大助教の巻」(大分県佐伯市蒲江公民館)


★サマーシリーズ第9戦


■8月28日(金)「食育講演会in米水津~“みそ汁の日”の福田泰三教諭の巻」(大分県佐伯市米水津公民館)


★サマーシリーズ最終戦


■8月29日(土)「食育講演会in佐伯~“みそ汁の日”の福田泰三教諭の巻」(大分県佐伯市「三余館」)


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↓会場の様子☆


↓始まるまでのスライドショーがまた楽しかったにっこり




前日の夜(8/7)に、宝来家の染ちゃんのところへ行くことがあり、


そこで市役所の柴田さんや古田さん、


そして、村松一也さん もいて、


「明日講演会があっど~行け行け!ガッハッハー」と。


アップいい具合に酔っぱらっちょるね~笑



柴田さんからも詳細を渡され、「来て来て~」とのこと。


違う予定があったけれどキャンセルして(講演会も無料ということもあり☆)、

母と一緒に参加させてもらいましたにっこり





会場で配布された朝日新聞さんの記事のコピー。

母は隣で静かに涙をぬぐっていました。



安武さんは今回初めて知った方。



※あの時宝来家さんにもいらした方だったんだ。

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※配布された記事を紹介させてもらいます。



2009年6月14日14時20分
「遺された妻のブログ、書き込み続ける娘との日々」
http://www.asahi.com/national/update/0614/SEB200906140002.html

小さな手のひらで豆腐が揺れる。柄がピンクの包丁を、そっと下ろした。

小学1年生の安武はなちゃん(6)は福岡市のマンション12階の台所で、みそ汁をつくっている。

踏み台の上から父信吾さん(45)に聞いた。

「なべに入れていいと?」。

1年4カ月前の5歳の誕生日に始めた朝の日課だ。

母千恵さんから教わった。

「みそをこした後のかすも入れてね」

「野菜は根も食べると体が強くなるよ」。

食材を丸ごと使う技も母譲りだ。

母は08年7月11日、33歳で生涯を終えた。

その78日前、幼い一人娘への文章をブログにつづった。

〈心の準備はしている。

ムスメには、できることは何でも自分でさせようと思っています。

一人でも強くたくましく生きていけるように。〉

  ■

千恵さんは福岡教育大大学院で声楽を学んでいた。

コンサートの後援を頼みに訪ねた西日本新聞の支局で、記者の信吾さんと出会った。

千恵さん23歳、信吾さん34歳だった。

北九州市で小学校の教員をしていた25歳の夏、乳がんで左乳房を切除した。

抗がん剤の副作用で抜けた髪が伸びた翌01年夏、信吾さんと結ばれた。

03年2月、女の子を授かった。

誰からも愛されてほしくて、「はな」と名づけた。

なぜか右のおっぱいを娘が吸わなくなり、病院に行った。

肺に2センチ弱のがんが見つかった。

一度は消えたが、骨と肝臓にも転移していた。

    ■

信吾さんにパソコンを買ってもらった。

06年冬、ブログ「早寝早起き玄米生活」を始めた。

治療しながら食事や生活に気を使う日々をつづった。

〈ムスメは、お風呂で私の傷口をさわりながら言った。

「ママ~、おっぱい、ちょきんって切られたの?

おっぱい、買ってあげるね」〉

迷ったけれど産んでよかったと思った。


〈ムスメは、病を得た私を癒(いや)すために、この世に来てくれた。〉

患者やその家族に訴えた。

〈生き方を変え、考えを変え、運命を変えていく。それしか病気を克服する手段はない。〉

病状は安定し、07年秋には舞台で歌う機会に恵まれた。

だが、肝臓のがんは肥大していく。

08年6月、はなちゃんに「ママ、目が黄緑色だよ」と言われた。

肝機能が低下して黄疸(おうだん)が出た体に、もう抗がん剤は使えなかった。

親子3人の最後の会話は、すぐに終わった。

「誰だかわかるか」

「信吾さん……はなちゃん」

7月12日、信吾さんは6月13日で止まった妻のブログを更新した。

〈11日、安らかに眠りました。〉

    ■

千恵さんのブログへのアクセスは千件を超える日もあった。

信吾さんはそこに日常を書き込むようになった。

妻は社会とつながり、力をもらっていたと知った。

娘が心の支えだ。

「千恵がはなで、はなが千恵。あの子がおらんと生きていけない」

はなちゃんは母の言葉を忘れない。

「最後に話したとき、『人の悪口を言ったらダメ。やさしい女の子になってね』って」。

教わった洗濯物のたたみ方は上手になった。

ピアノの練習も約束したから毎日続けている。

「ママみたいに歌う人になりたいの」

そして、今朝も小さな手で朝ご飯をつくる。(金子元希)


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講演会の内容は、


・学生たちの食の現状
・.輸入農産物と食品の裏側
・食と病
・体温を上げるために-病気にならないための食と暮らし
・食育に取り組む先進事例の紹介


そして、安武さんのパートナーさん(奥さん)の話。



「早寝早起き玄米生活 ~がんとムスメと、時々、旦那」
http://plaza.rakuten.co.jp/cmbird7/


※上記サイトより「2008年2月16日 あなたはこの子たちを残して死ねますか?」 から紹介させて頂きます。



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私は、がんになった後に、ムスメを授かりました。

だから、この子を残して、死ななければなりません。


がんになってもならなくても、死ぬ順番は、私が先に決まっています。



逆になったら、いけない。



だとすると、心残りがないように、死ななければなりません。


彼女は、私がいなくなった後、

生きる上で必須科目となる、家事はできるだろうか。



今ムスメに手伝わせている家事は、


洗濯干し、洗濯たたみ、風呂洗い、靴並べ、掃除、保育園の準備、タンスの整理、自分の服の管理等。



ついつい、わかっていても、危ないから、自分がした方が早いから、、、云々と理由をつけて、

一番大事な料理は最期になってしまいますね・・・


彼女の手伝いの中に、配膳と料理部門を増やすことが、今後の私の課題。


私は、旦那のことは、心配していません。


だって、彼は、自分のことは自分でできるようになっていますから。


普段は私がしますが、料理、掃除、服の管理、全てできるはずです。


彼が作るみそ汁は、私のなんかよりもはるかに美味しい。

彼が念を込めて磨ぎ、圧力鍋で炊いたご飯は、ほかほかで美味しい。

彼が気合いを入れて作った料理は、手抜きでズボラ~な私の料理よりも、美味しい。


キレイ好きなため、掃除は、私なんかよりも上手。


春夏秋冬、服と下着類は全て気に入ったものを自分で購入し、管理。

普段しないのは、洗濯とアイロンかけと茶碗洗いくらいでは?

それも、必要に迫られたらできるはず。



世の中のお父様方、

全て、奥さん任せにしていませんか?

奥さんも、全てやってあげていませんか?


もし彼らが、台所のどこにやかんがあるかも知らないし、

お茶も煎れることができないんです、という場合。

彼らが突然一人になった時、どうしましょう。


私の場合は、ムスメ一人に負担をかけるわけにはいかないのです。

彼にも頑張ってもらわないと。


何にもできない彼やムスメだったら、心残りがありすぎて、おちおち天国に行けないっちゅーはなしです。


毎晩化けて出なくちゃなりません。


だから、厳しいと揶揄されようとも、彼と彼女が自分の足で生きていけるようになるまで、

心を鬼にして、躾をするまでです。(私も彼らから躾られていますけれども)



そして、日々祈るのです。

旦那とムスメが、

朝、「行ってきます」と言って出かけた後、


「ただいま~」と、元気に帰ってくることを。


がん友や、大切な人々が、毎日元気でいることを。


それぞれの家族が、できるかぎり長く、幸せであることを。


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1日で、80,000アクセス(6月14日、午後8時現在)あったとのこと。





それから、糀屋さんの甘酒のことも、たくさん伝えてくれていました。


※ありがとうございますにっこりシャボン玉





母は”一緒に行こう!”って誘うと、


最初「面倒くさい」と言っていたのだけど、


帰りの車の中で「良かったな~。ありがとう。」とポツッと言ってました。



家に帰ってからも、(母の)友達に電話していて、


「さっき福岡から来たし(人)の講演会に行ってきたんよ。


また寿子がなんかいいよってから、よだきぃな~っち思っちょったんやけど、


いい話が聞けたんよ~。」


と。




母と娘の時間も頂きました。



※実生活での実践にはまだまだまだ~なワタシ。


自分、ごめんなさい。


いろいろなモノを口にしてるよね。


身体に入れてるよね。


でも、そんなワタシもゆるします。


いつも一緒に動いてくれて、ありがとう。


これからもよろしくお願いします。





安武さん。


たくさんありがとうございました。




~感謝~