「ここがあんたのための世界だからだよ」
講談社文庫 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』
160ページ


今日から11月だ。このブログもあと2か月ということになる。
いよいよラストスパート、扱う作品も私的な「大物」が続々
と登場することになる。その第一弾がこれだ。村上春樹の長
編は7作紹介させていただくつもりでいる。予定が変更になら
ないかぎり。「突発事故」が起きないかぎり。

この作品は1988年に発表された。長編小説としては『ノルウ
ェーの森』のあと、『国境の南、太陽の西』より前に発表さ
れたことになる。 この順番が大切である。

起源。
でも、と僕は思った、どうしてたかがロック・バンドにそん
な大層な名前をつけなければならないのだ?
(74ページ)


背景となった年は1983年である。この頃洋楽を熱心に聞いて
いた私にとって、英国系ポップバンドをバッサ、バッサと切
り捨てていく主人公が、最初は不快に、そしてある頃から痛
快になり出したのを覚えている。

GENESIS

それはまさに80年代に大衆化路線を突き進んで人気を博した
ロックバンドのなれの果てであった。1983年にはすでに。

それは腐敗ですらない。システムなのだ。それが資本投下と
いうものだ。もちろん昔から多かれ少なかれそういうことは
あった。昔と違うのはその資本の網が比べ物にならぬほど細
かくなり、タフになったことだ。
(113ページ)


それが高度資本主義社会というものだった。気にいるといら
ざるとにかかわらず、我々はそういう社会に生きていた。善
悪という基準も細分化された。ソフィスティケートされたの
だ。前の中にもファッショナブルな善と、非ファッショナブ
ルな善があった。
(113ページ)


単純に読むと「全共闘世代」の僕と高度資本主義社会との葛
藤を描いた作品のように思える。しかし、私は『世界の終わ
りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいたので素直
にそのように読まなかった。

『羊をめぐる冒険』以来久々に登場した「羊男」は、高度資
本主義社会を否定し、そちらの世界からあちらの世界へと移
り住んだ影である。『世界の終わり』で最後に影が「僕」と
別れてあちらに戻ったのとはまったく異なっている。

さらに『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で
は別々に描かれた、二つの世界がこの作品では統合されて、
同じ「場」で描かれている。二つの世界をつなぐものがエレ
ベーターである。これが『ねじ巻き鳥クロニクル』では「井
戸」になる。しかも『ねじ巻き鳥クロニクル』では時間軸も
飛び越えて移行する。まあそれは12月の末で書こう。

「でも、そのうちにまた始まるよ」と彼は手袋をはめた両手
をこすりあわせながら抑揚のない単調な声で言った。「気を
つけるんだよ。殺されたくなければ、気をつけた方がいい。
戦争というのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。ないとい
うことはないんだ。ないように見えても必ずある。人間とい
うのはね、心底では殺しあうのが好きなんだ。そしてみんな
で殺し疲れるまで殺しあうんだ。殺し疲れるとしばらく休む。
それからまた殺しあいを始める。決まってるんだ。誰も信用
できないし、何も変わらないよ。だからそうしようもないん
だ。そういうのが嫌だったら別の世界に逃げるしかないんだよ」
(154ページ)


この羊男のセリフは『羊をめぐる冒険』にもほぼ同様の形で
登場している。彼は戦争が嫌なのだ。だから冷え冷えとして
かび臭く、生きているのか死んでいるのかわからないような
空間に逃げているのだ。そして「僕」の中でいまも生きてい
る。「僕」が死なないかぎり、羊男は影のように生き続ける。
そして、時々、「僕」本体を意図的に呼び寄せて、「気をつ
けろ、忘れるな!」と警告を発するのである。

これは全共闘世代の人が昔を懐かしみ、今日の資本化された
ロックを馬鹿にするための本ではないのだ。

「ここがあんたのための世界だからだよ」と羊男は当然のこ
とのように言った。「何も難しく考えることなんてないのさ。
あなたが求めていれば、それはあるんだよ。問題はね、ここ
があんたのための場所だってことだよ。わかるかい? それ
を理解しなきゃだめだよ。それは本当に特別なことなんだよ。
だから我々はあんたが上手く戻ってこられるように努力した。
それが壊れないように。それが見失われないように。それだ
けのことだよ」
「僕は本当にここに含まれているんだね?」
(160ページ)


この羊男の言葉を受け、僕は高度資本主義社会の中に戻って
いく。そして壮絶な戦いが始まる。いったい誰のための戦い
なのか、なんの目的があるのかわからないまま。ただ唯一そ
の目的があるとすれば、それは生き残るために、踊り続ける
ことだった。

踊るんだ。何も考えずに、できるだけ上手に踊るんだよ。
(167ページ)


このセリフを読むたびに私はマイケル・ジャクソンの「ビリー・
ジーン」のPVを思い出す。それは村上春樹がそう仕込んだか
らである。マイケル・ジャクソンが1983年に踊っていたように、
高度資本主義社会の中でかろうじて自分自身を生き残らせる
ために、彼が上手に踊ったのと同じように踊らなければなら
ないのだ。

「どうしたっていうのよ?」
(191ページ)


このあと、五反田くんの登場から生き残りダンス大会が始ま
るのである。権力と戦いながら、少女を守りながら、胸の大
きなホテルの女の子を守りながら。男はタフでなければ生き
られない。

つづく。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)/村上 春樹

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