現行憲法の「戦争放棄」条項は、アメリカからの”押しつけ”と言えるか? |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

 
マッカーサー・幣原会談直前 
白鳥元伊大使 首相へ書簡 「憲法に戦争放棄」進言

(2005年8月14日朝刊 朝日新聞) 

日本側の白鳥元駐イタリア大使、
憲法に「戦争放棄」条項を進言

日本国憲法制定前の1946年1月
後にA級戦犯として終身禁固刑を受けた白鳥敏夫・元駐イタリア大使=服役中に病死=が
9条の原型となる戦争放棄軍備撤廃新憲法の条項に盛り込むべきだとする提案をまとめた書簡
当時の吉田茂外相を通じて幣原喜重郎首相に送っていた
ドキュメンタリー番組製作者・鈴木昭典さん(76)が憲法制定に関わった関係者の証言テープ極東軍事裁判の記録を調査し、一連の経過をまとめた9条の基になる考えが日米どちらから出たのかについては議論が分かれているが、非軍事国家を目指すことを憲法に明記する構想が、日本側にあったことになる。

白鳥書簡国民を外戦に赴かしめず
国家資源を軍事目的に充当せざるべき

鈴木さんが国立国会図書館憲政資料室にある約800冊に上る極東国際軍事裁判記録を調べ書簡を見つけた。書簡は1945年12月10日付。原文は英文で書かれており、戦犯の指名を受けて入所した巣鴨拘置所から吉田外相あてに出された。末尾には、検閲のため1946年1月20日ごろまでマッカーサー司令部に留め置かれたことが付記されている。それによると、「将来この国民をして、再び外戦に赴かしめずとの天皇の厳たる確約、如何なる事態、如何なる政府の下においても、(略)国民は兵役に服することを拒むの権利、および国家資源の如何なる部分をも軍事の目的に充当せざるべきことなどの条項は、新日本根本法典の礎石」になると位置づけ「憲法史上全く新機軸を打ち出すもの」とした。そのうえで、「天皇に関する条章と不戦条項とを密接不可分に結びつけ(略)憲法のこの部分をして(略)将来とも修正不能ならしむることに依りてのみこの国民に恒久平和を保証し得べき」と述べ、戦争放棄の条項を天皇制条項と結びつけることで、天皇制を守ることもできると強調した

白鳥書簡-幣原首相に渡る極東軍事裁判で白鳥元地脚の弁護をした広田洋二氏が1947年12月に作成した吉田茂の陳述書によると、「私は白鳥氏の要請を容れ当時首相にも写を一部手交しました」とある。戦争放棄を新憲法に盛り込む発想は1945年1月24日のマッカーサー・幣原会談で出たとされる。幣原が言い出したとされるが論争があり、決着はついていない。1月20日ごろに検閲が解除され、吉田外相を通じてマッカーサーとの会談前の幣原喜重郎首相に届けられた可能性が高い

※ 下線・強調は引用者
――――――――――――――――――――――――
教育、医療、福祉、環境に関しての
市場原理主義の導入に反対的立場をとる、

経済同友会終身幹事の品川正治氏は
戦争を起こすのも人間くい止めるのも人間
といいます。
(2007年7月18日の
明治学院大学国際平和研究所で行われた講演会)

戦地に赴いた品川さんたち日本兵たちは、
戦争終結後、捕虜になった最中に、
どうすれば、二度と戦争を起こさないようにできるか
考えていたところに、
1946年制定憲法
戦争放棄を書き込んでくれたこと泣いて喜んだ
と述べています。
そして制定当時の新憲法への世論の賛成8割で、
その事から「押しつけ」と感じていたのは、
当時の為政者層>だった、といいます。
昨今の憲法9条の旗は、ボロボロの状態だが、
ボロボロになった9条の旗でも
その旗を、なぜ日本国民は、
手放してこなかったのか、と。

そしてボロボロでも手放してはならない
と仰っておられるように理解しています。

品川正治さん講演会(1~4)


<品川氏による「戦争」の定義>

(1)
戦争は、価値観を転倒させてしまうもの
人類が長年の奮闘努力により築いてきた価値観
いのち自由人権よりも
戦争のほうが優先されてしまい、
それら価値が、犠牲にされ踏みつぶされてしまう
象徴的標語として
「欲しがりません、勝つまでは」というものがある。

(2)戦争は、すべてを動員する
労働力ばかりでなく、
学府たる学問まで動員されてしまう
(人文科学や社会科学まで動員されてしまう。)
歴史の捏造など「歴史学」が殺される


(3)軍部が権力の中枢に入りこむ
近代国家の成立の際に、
統治者の恣意的裁量暴走防ぐため三権分立
形骸化”されてしまう。
――戦後史でも、当然・健全な司法判決は、
むしろ稀で来ていますが――

”戦争に兵士を投入するのだから、
軍国主義化では
当然に「人権保障」がジャマになってくる”
とは加藤周一氏の指摘。
戦前には、
大正時代に一度廃止された「軍部大臣現役武官制」が、
1936年復活し、
軍備拡張=対外植民地膨張志向の
軍国主義傾向を、さらに強まったのを
戦前の日本人は経験しています。
―――――――――――――――――

戦前と戦後との決定的違いは、
何でしょうか?

戦前の「明治憲法」においては、
主権者」は《天皇》で、
国民>は「臣民」で、「主権者」ではなく
議会制定の法律内容次第で、
発言の自由身体・生命が、踏みつぶされました

戦後の「日本国憲法」のもとでは、
国民>が「主権者」で、
戦争問題政治運営に対して、
意見を申す自由が保障されているのですが、
「豚に真珠」
――報らされていないから、責められないか――
戦前の先達に、呆れられているかもしれませんが、
そうした「各種権利」を、
扇動されながらゴミ箱に放かそうとしています。

スピリチュアルさえあれば
憲法がなくても、何とかなると思っている人
――「スピリチュアル」や「癒し」が、
市場原理主義荒廃した世の中で、
広く、一気に求められたように、ぼくは思う――

歴史にも関心を持ってほしいです。

為政者>からすると、
その意味では、スピリチュアルは、
カルト的道具」よろしく、
非常に便利なもの”として利用できる側面を、
持っていると言えます。
「新自由主義政策」で、
明らかに”生きづらくなっている
にもかかわらず、
スピリチュアル」を便とする民衆
多くいてくれれば
政策の内容」や「歴史」などに
活路を見出すよりも
○×△よりも、まだマシだ
ありがたいありがたい
今日も、ありのまま受け止めて感謝するだけで、
生きづらくなった”り、
社会が荒廃化している要因よりも
そうした社会を、
神の摂理であるかのように
何でも感謝しながら
ありのまま受け止めてくれる
かもしれないからです。
ブッシュJr大統領選挙の「新保守主義
ジーザス・キャンプ』を連想します)

感謝すべきこと」や
感謝してもし尽くせないこと」、
気づかなければならないこと」は
山のようにあるのは確かですが、
政治的に都合が好いだけスピチュアル」は
恐ろしい結末をみる事になるかもしれません。
(やがて、政府や市場の権力に、
お子さんやお孫さんを刈り取られて
その子を奪われた時点
や、
自身を滅ぼされる時点では、もう遅いと思います)
――――――――――――――
映画「カンゾー先生」よろしく、
くちを開けば、バカのひとつ覚えのように、
「グローバル化」や「新自由主義」の話題を出してくる
高樹ですが、
品川正治氏による「戦争の定義」を見て、
いまの「大企業の経営戦略
グローバル戦略など
財界戦略》方針を連想してしまいます。

1)「大企業などの経営」の都合上、
働き手の人権は勿論、国民の主権犠牲になり、
大企業が、国際的に勝つのが優先」。

2)「グローバル戦略」のために、
自然科学が、「経済のグローバル化」に、
完全に組み込まれるのは勿論のこと、
社会共通資本」としての学問が、
グローバル戦略」のもとでは、
選別淘汰されて動員される。
基礎科学とか人文科学とか社会科学が、
選別・淘汰にあって、歴史が疎んじられるのでは?
これまでも、仏教学や人類学など
さまざまな学問が、
帝国主義の一環として機能してきた側面を見れば
いまに始まった訳ではないのですが、
やはりグチりたくなります。

大学など教育の場は、
一人前ニヒリズム(歴史を教えられておらず、
今だけ、カネだけ、自分だけ”)の
グローバル経済兵士戦争兵士
再生産の場」に、
自公政権は作り変えようとしていませんか?
――歴史年表は
「フォード紀元○×◇年」とか「皇紀×○◇年」に?――

(3)内閣府の《諮問会議》には、
財界人>が参加しているので、
権力の中枢に入り込んで
自分たちの都合のいい政策税制など実現

朝日新聞5月8日朝刊8面のオピニオン
内田樹氏が、
グローバル戦略」のもとでの”国益”とは
何を指しているのか、案内しています。