「構造改革」の正体(予習・復習) |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

前回のブログで紹介した古賀茂明氏の講演動画の内容が、
小泉構造改革」の「骨太の方針」そのものではありませんか、
という発言をしたので、
今夜は、その根拠として、
2001年に発表された「骨太の方針」の内容について、
掘り下げてみたいと思います。
そこで、記事が出来あがるまで、
もし宜しければ、予習も兼ねて、
以前に書いた「構造改革の正体についての記事を、御覧くださいませ

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さっそく質問があります。



構造改革とは、
どのようなものですか?

構造改革とは、

何をするための改革政策であった、

と思われますか?



 

構造改革」とは、
官僚利権構造を改革することを目的とした政策であった、といったような回答は、
じつは、的確な回答では無いようです。
(たしかに、予算編成の基本骨格を決める権限が、
財務省(旧‐大蔵省)から、
内閣府の諮問機関に、移されてはいます。)

構造改革」といえば、
「小泉純一郎」政権を連想しがちですが、
構造改革が始まったのは
小泉政権ではなく、
橋本龍太郎政権から
です。
しかも、「構造改革」という発想方向性は、
小泉(元首相)独自のものではなく、
中曽根政権時の1986年4月の、
(元日銀総裁の前川春雄を座長とする諮問研究会)による「前川レポート」という報告書などで、
すでに出てきている、のだとすれば、
構造改革=小泉政権」という図式を
私たちは
捉えなおす必要がある
のではないでしょうか。
――ちなみに中曽根康弘元首相は、
原子力マフィア第2号CIA要員)として、
日本に原発を植えつける重要人の一人であったばかりでなく、
中曽根政権中に、日本を、
市場原理主義経済化に近づけるべく

部分的にせよ

民営化」(電電公社→NTT、国鉄→JR)や
郵政民営化」を進めた人物でした――。

さきに答えを申し上げますと、
構造改革」とは
サプライサイド供給側企業)が
儲かるような経済構造にする
改革政策というのが、的確で(あるのではないか、と私は認識しておりま)す。

1990年代後半の政治で、
構造改革」が取り上げられた背景には、
1990年代初頭の日本のバブル経済の崩壊があります。

企業がもっと儲かるように
日本の経済環境や経済構造を改造すれば
日本経済は、景気が改善して成長し
また陽の目を見ることができる
という理屈でした。


そうした理屈から、
企業がもっと儲かるようにするためには、


○”<規制緩和>や<規制の自由化>などが必要だ
:というのも、企業が、
できるだけ自由に行動(経済活動を展開)できるようにする事で、
儲かりやすくなるからだ。
そのためには、
企業経営にとって厄介な「労働に関する規制(雇用や労働者保護、労働交渉)」、
「社会保障制度」といった規制の緩和を、
政府が実現してほしい。
(安く雇い、いつでもポイ捨てできる労働市場。
雇っても、社会保障など福利厚生や責任がのしかかるのならば、経営にジャマだ。
また好きに解雇して、争議を起こされたら厄介だ)


○”企業への税制上の優遇措置>を!”
:税負担が軽くなれば、
それだけ企業は、資金的な余裕ができて、
企業活動がしやすくなる。
(そして、企業が負わなくなった分の税負担は、
中小零細や自営業や庶民に、
真相を知らせていない事で、
こっそり負わせればいい。)


○”公共事業公共サービスの民営化!”
政府が行なっている事業でも、
儲かるような事業ならば、
民営化」することで、
その”おいしいビジネス儲かるビジネス)分野”を、
民間企業
に譲渡して欲しい
それまで政府の分野だった事業が、
民営化」により、
民間=企業にとっての「新しい市場(マーケット)」が、もたらされる。
(では、「民営化」や「市場開放」により、
そのビジネスを獲得できるのは、
どういう存在かな・・・・チカラがあったり
銀行から潤沢な資金を得れたり
資金力のある企業じゃないのかな)
また、公共系のサービスで
需要や利用者が多い、という事は、
利用者の住民にとっては
日常生活に欠かせないものじゃないかな
”民営化による国内難民”(日本国民に見えていない「民営化の結末」))


中小企業地場産業を保護するためにある規制を
撤廃してほしい

中小零細企業や地場産業の商売が成り立つように保護する規制を、掃(はら)ってくれれば、大企業などチカラのある企業は、
そうしたマーケットに参入することができて
新しい市場(マーケット)が開かれることになる。

 

これが、構造改革」の正体(ではないか)、と私は提示します。
(そして、このブログ記事を、御自身なりに篩(ふるい)に掛けて、頷(うなず)く事のできる点、頷けない点とを、調べて確かめることで、あなた様の物の見方は、もっと素敵なものになっていきます。)


こうした事から、「公務員改革」というのも、
私からすると、民営化」の一環として、
解釈したくなります。

公務員人件費削減>や<公務員改革>が、官僚ではなく、
地方や政府など公共サービスの現場で働く、下級職員への負担のシワ寄せでしか無ければ
けっきょく私たちは

騙されているだけなのではないでしょうか

予算の赤字削減のために
これまで犠牲になってきたのは、
現場で働く下級職員ばかりで、
天下り外郭団体の官僚OBでは
ありませんでした

公共サービスなど公共セクターを、
予算削減人件費削減の一環
として「民営化」して、
市場の原理よろしく、激しい入札競争の結果
そのサービスに従事する労働者は、
業務に従事しているが生活できなくなる」のであります。
さらに、採算の都合上サービスの質が劣化
そして安全性反故(ほご)にされるのでありました。
そうした事から、
官製ワーキングプア」という造語が、
世に出てきてしまいました。
 
ちなみに、
山家悠紀夫『「痛み」は もうたくさんだ!
かもがわ出版、2007年刊行)には、
非常に興味ぶかい
主要先進国5カ国の比較データが、
紹介されています。(p.136-137)


<人口1000人当たりの公務員数>

日本    35
(地方政府職員24.4人+中央政府・政府企業職員10.7人)

イギリス:73.0人
(地方政府職員34.9人+中央政府・政府企業職員38.1人)

フランス:96.3人
(地方政府職員40.4人+中央政府・政府企業職員55.9人)

ドイツ :58.4人(地方政府職員45.1人+中央政府・政府企業職員13.3人)
アメリカ :80.6人
(地方政府職員65.7人+中央政府・政府企業職員14.9人)

 

<政府支出の対GDP比>
(内閣府「経済財政白書」2005年版)

<GDPに占める政府支出合計の割合>
日本    :38
イギリス:41.8%
フランス:53.4%
ドイツ :48.7% 

<一般サービス・治安関係>
日本  :   

イギリス:   9.2%
フランス:10.7%

ドイツ : 9.1%


<保険・社会保障関係>
日本  :20
イギリス:23.2%
フランス:29.0%
ドイツ :29.0%


<経済・公共関係>
日本  :
イギリス:3.6%
フランス:7.0%
ドイツ :5.8%


<文化・教育関係>
日本  :
イギリス:5.8%
フランス:7.0%
ドイツ :5.8%


 

最後に、
小泉内閣が発足する前年度の
2000年度のGDP(国内総生産)は504兆円で、
小泉内閣が誕生して5年目の2005年度のGDPは、
503兆円でした。
1兆円のマイナスです。

また(金融機関をのぞく)
日本の企業すべての経常利益の合計が、
2000年度には36兆円だったのが、
2005年度だと52兆円で、
16兆円も利益が増えています

また企業
じぶんの中に蓄えた儲け内部留保)は
2000年度は2.8兆円だったのが、
2005年度は9.1兆円と、
3倍になっています。
その関係で、
企業の役員が受け取った賞与の合計が、
2000年度は8000億円だったのに、
2005年度は、1兆5000億円と、
2倍弱も増えています

しかし一方で、サラリーマンの給与
2000年度は271兆円だったのが、
2005年度は260兆円と、
11兆円も減っています


国内総生産(GDP)が、1兆円さがっている、
あるいは、ほとんど変わっていない中で、
2000年度と2005年度とでは、
企業企業役員が手にするおカネ
激増している
のに対して
サラリーマンの収入減っています


このことは何を意味するのでしょうか


そして「構造改革」は、
いったい何を物語っているのでしょうか


2000年度と2005年度とでは、
国内総生産(GDP)が、ほぼ変わっていない
(ほんとうは1兆円も違うけど)中で、

企業は儲かるような構造になり
そうして企業が儲かるようするため
シワ寄せ無理負担
ぜんぶ国民のほうに回す

という構造なのでありました。

国民に対して
そうしたシワ寄せ負担)を
知らず知らずのうちに負わせる
のに、
必要な手段の一つが、
私たち日本「国民の無知化」や
国民の愚民化」、
あるいは、
マスコミ扇動による「洗脳化」であり、
その事からマスコミは、
そのために機能してきたのではないか
と言いたくなります。