皆さん、こんにちは。田中ヒロユキです。

 

前回の更新から10日。少し間を開けてしまいました。

 

週末に風邪をひいてしまいフラフラの週明けでしたが、訪問のアポイントがいくつか入っていたので気合いとリポビタンDとパブロンで乗り切ることに。

 

前回の記事では派遣業を自分で立ち上げたものの、なんかちょっとヘンだよね…?と考えて別のことを始めたよー…なんてことを書いたはずです。

 

例のごとく、少しだけ話が相前後するのですが、なんかちょっとヘンだよね…の結果から書いていきます。


3年はイケると思ってたのに…をお送りします。

 

具体的に言うと、リーマンショックが起きたのが2008年9月半ば。

この直後はまだ、アメリカの一金融機関の破綻…くらいに思われていたんですが、どんどん真相が明らかになるにつれ、コレはヤバい!と。

まだ記憶に新しいことでしょうが、その影響がアッと言うまに日本にやってきます。

それが2008年の10月半ばから11月半ばくらいでしょうか。

仕事がどんどん無くなっていきました。それはもう足元から崩れていく…って感じで。

仕事がなくなる以上、派遣スタッフを受け入れる企業さんは余分なスタッフを抱えることはしません。そこで多くの派遣スタッフが職を失っていきました。俗にいう派遣切りです。

一応、1ヶ月の解雇予告期間は設けて通知していましたね。

 

この派遣切りがやがてその年末の年越し派遣村となり、炊き出しやデモの様子などがニュースに取り上げられるのでした。

住むところもない、食べるものもない…。今でもそうした方はゼロではありませんが、つい最近の日本にそんな人が街に溢れかえっていた時期があったのです。

 

ところがボクのスタッフたちは一人もクビになりませんでした。むしろどんどん仕事がやってきました。不思議でしょ?

 

これには訳があったのです。

ボクのお客さんの場合、特に北米向け、欧州向け、東南アジア向けの仕事をやっている企業さんや部署ではリーマンショックの影響が大きかったです。

ところが、当時たった一ヶ所だけ元気なところがあった。それは中国です。

他の地域は底が抜けたみたいになってるのに、中国だけはなぜか元気。そんな状況でした。

 

で、ウチのスタッフたちは中国からの発注が途絶えない製品を扱っていたのです。その数は異常なくらいでしたけど。

実は、他の部署では派遣スタッフは全て契約を打ち切り、全ての工程で社員さんが作業していました。しかも、多くの社員さんはもう仕事が確保できずに振り分ける部署がない。ところが、中国向けの製品ラインだけは派遣スタッフが残業までして1日22時間稼働で対応している。

その派遣スタッフ、どこの会社だよ?ってなりますよね。

 

そうです。ウチです。

 

加工機械の操作や工程への習熟が難しいため、総務部や製造部の皆さんにスタッフを守っていただいていたのですが、社員さんの雇用を守ると言う大義には勝てず、撤退を余儀なく迫られたのでした。

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このドラマにもあるように、社員さんや協力メーカーさんはファミリーなのです。

また、同じタイミングでこちらの管理体制の甘さを突かれてしまったことも原因でした。

 

何れにしても、会社を立ち上げて3年足らずで売上の大きな柱であった自動車部品加工企業さまとの取引が吹き飛んでしまいました。これはイタかった。ホントに。

ボクの計画では、最低でも3年は持ちこたえられると踏んでいたのですが。予測やヨミはどこまでいっても主観に過ぎませんね。3年で派遣業ではない売上で会社を動かせるようにするつもりだったのですが、タイミングが早まりました。

この時、少し前から重工系の企業様や開業医の先生とご縁があったのは何よりも心強いものでした。


これが2009年5月ごろのこと。

2009年と言うことは、賢明なるこのブログの愛読者様ならもうお分かりですね。ボクがCDA(キャリアディベロップメントアドバイザー)に合格して約半年後。

せっかく勉強した資格だからどうにか活かせないものか?と常に試行錯誤していた頃とピッタリ一致するのです。


過去を振り返って、更に毎日は続く。

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