ドアを開ける鍵 | 流血ピアニストは歌う!!

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オールアバウトミュージックな暴露話



no music no life

高校生の生徒が来るたびに、(3人いるのですけど)、自分がどんな高校時代だったのかと思い返す。

中高一貫教育だったので、高校と中学生の記憶の区別があまりない。

今でこそ、英語なんて世界中の言語で1番単純な構造だと思うなんて言ってみたりしているが、中1の1学期で、英語がまったく理解不能なもので、唖然としたのを覚えている。

This is a pen

がまったく理解できなかった。

母が慌てて、探してくれた家庭教師の女性のおかげで、一気に英語好きになったわけだけど。

どうしてわかる様になったか、覚えていないけれど、今考えると、なぜ

This is a pen

と言わなればいけないかが理解出来ず、つっかえていたらしい。

日本語で、

これはペンです

なんて言うシチュエーションは一生のうちであるだろうか?
誰かが、テーブルに置いてある細長いものをみて

それはなんですか?

と聞いたら、

これはペンです

と答えるだろう位の、全くもってレアなことなのだ。

確かに、

日本語と英語の文法的構造の違いを示す上では、的確な例題かもしれない。

だが、生活とはまったくかけ離れたものである。

言語と言うものは、文化と生活に密着したもので、構造から入るべきものではないのではないかと思う。

わからないものを、わからないとスルー出来ない厄介な性格の私は、そこで崩壊したらしい。しかし、何がわからないのかもわからず、質問すら出来なかった。

言語を教える時に、構造から入るべきではないと思う。なんて小難しいこと中1が言葉にできるわけもない。いや、少なくとも私には出来なかった。

This は これは
is は です
a は 数を示す冠詞 ひとつの
pen は ペン

それはわかっても、

This is a pen

はわからない。

その素晴らしき家庭教師の女性は、きっと丹念にほぐしてくれたのだと思う。

ある時、母語以外の言語を習う時には、構造から習うのだと理解した時、全ての謎は解けた。

英語と日本語は構造がまったく違う。

その時点で、私は、脳の地図を書き換えた様な気がする。

日本語の構造から入る考え方では、英語を理解することは出来ないと。

これは、言語習得だけではなく、何かを理解する時に最も重要なことだと、今はわかる。

今日の高校生も、何かに気づけば、もっと元気な気持ちになるだろうなあと思っている。

すでに持っている鍵で、開くドアがあるはずだ。一度ドアが開けば、もっとたくさんのドアを開けたくなる。ドアは無限にある。