プチ信の部屋 -247- 07/05/13
今回は「鬼塚喜八郎の挑戦!」
最近「鬼塚喜八郎」の事を調べた(知っている方も多いと思うが…)。
彼は1949年、自宅で「鬼塚商会」という靴屋を開業する。
その当時、日本のマラソンランナーはなんと「足袋」で走っていた。
だから、フルマラソンを走ったら、足の裏はマメがつぶれ痛々しかった。
鬼塚が「マメがそんなに出来たらマラソンが嫌になるでしょう」と言うと
「マメを克服してこそ一流のランナー」と返ってきたという。
その頃はマラソンをしてマメが出来ないなんてあり得ない事だったのだ。
それから鬼塚は「マメの出来ないシューズ」作りに専念した。
しかし、それを確めるためには「つくったシューズ」で実際、走ってみなくてはならない。
「マメは「やけど」の後の水脹れと同じである」とわかるが、すぐに完成品が出来るハズもなく…
鬼塚の足は「マメ」でいっぱい。
その姿を見てランナーが「どうしてそこまでするんですか?」と聞くと
「みんなが走るのは、走る事が好きだからだろ。僕は靴を作るのが好きなんだ!」と答えたという。
そんな努力の末、靴を二重底にして衝撃を和らげるとともに…
前と横に穴をいっぱい空け、着地した時、熱い空気を吐き出し、離れた時、冷たい空気が流れ込む
「入れ替え構造」のシューズを作製!
なんと、このシューズで走ると足にはマメが出来なかった。
この「入れ替え構造」で彼は「特許」をとる。
その後も鬼塚は様々なシューズを作り続け…
東京オリンピック(1964)では鬼塚のシューズを履いた選手が
なんと「金メダル20個」「銀メダル16個」「銅メダル10個」を獲得。
シューズ作りを貫いた事への最大の評価だったと思う。
1977年「鬼塚商会」は他のいくつかの企業と合併し「株式会社アシックス」になる。
今、僕は「アシックス:GELFETHER」を履いている。
シューズ専門員に話を聞いた時「日本人の足にあうのはアシックスですよ!」と言っていたのを思い出す。
こんなところにまで、あの頃の鬼塚の心意気が通っていた。FIN.