「住宅の貧困」を考えるのに押さえておくべきこと。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

「住宅の貧困」を考えるのに押さえておくべきこと。

 天皇陛下の在位20年記念硬貨が大人気みたいね。政府紙幣(コインだが)じゃんじゃん刷って、東京中の神社で1ケ月くらいお祭りやってたら多少景気よくなるんじゃない♪♪と思っていたら、すでに議事録で心配されていた。

http://www.mof.go.jp/singikai/kokko/giji/210417giji.htm
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• 例えば政府紙幣の問題にしても、いろいろとセンシティブな時期なのではないか。今回の記念貨幣については、リスク管理的に、非常に保守的に物事を考えてやっても良いのではないか。とりわけこの貨幣の発行によって政府が利益を得ないということは難しいかもしれないが、利益を少なくするといったことを考えていただきたい

• 経済金融危機に直面している現在の社会状況や、そのような状況を大変に心配しておられる両陛下のお気持ちも察して、過度に華やかとならないように執り行うことが肝要ではないか。

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 与謝野さんご出席の議事録みたいだけど、「どうやったら利益が出ないか」ということを考えるらしい。不思議な国だ・・・・。


 さて。

 市橋容疑者の逃亡中の住居が公開されいたけど、親にも頼れず、社会保障がない若者がああいうところに住むしかないという意味で興味深かった。それにしてもよくお金貯めたなあ。

 これ読んでたんだけど、上野千鶴子せんせが酷い。ちなみに鈴木先生は戦後、公団の51Cを実際に作った方です。
「51C」家族を容れるハコの戦後と現在/鈴木 成文

 上野はこの本の中で、公団住宅の建築家をなんと「空間帝国主義者」(それなんですか?)と言っています。で、なんだか、あるべき「住まい」のデザインのみで「社会が変わる」とでも思っている様子です。そして彼女の仮想敵は「近代家族」と「建築家」。・・・・・・。間取りが「専業主婦」を作ったとでも??まあ、だめさ加減というか、怨念がわかりやすくて、逆に彼女は誠実なのかも。

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上野 私は建築家の怠慢ではないかと言い続けてきたのですが、仮想敵を見誤っていたのでしょうか。それとも安直なモデルを供給されるに従って買い続けた消費者がバカだったのでしょうか。(略)

鈴木 「商品化住宅」といって住宅が商品になったことが大きいと思います。つまり住むことの目的より売ることを目的としてつくられるようになったということです。戦前は都市に住む場合、借家に住むのが当たり前だったんですね。借家は別に労働者用の長屋だけでなく、課長級、部長級の借家もあったのです。戦後になり、インフレと貨幣価値の下落から貸金業が成り立たなくなって持家政策が取られ、家は借りるものではなく、買うものになってしまった。(略)

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 見事に見誤ってますね。建築家が悪いわけでも、消費者がバカなわけでもないって。社会学者なら、その「持家政策」にどういう社会的背景や人口動態といった歴史や、政府の意図や政策があったのかってところを調べたり整理したり問わないといけないのに、あさっての方向飛んでいきます。ちなみにその「持家政策」をずっと批判していたのが、「食寝分離」の生みの親である西山先生なんですけどねえ・・・。

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上野 (ある)父子家庭の父が、娘との団らんを夢見て立派なLDKを作ったが、実際には二人ともLDKを使わず、台所で作った食事をそれぞれの自室に運び込んで個食をしているという例がありました。LDKはシステムキッチンが不可欠ですが、私はシステムキッチンを「お仏壇」と呼んでいます。(略)この人たちには、「家族する」ことへの幻想が働いています。

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 システムキッチンはどうやっても「お仏壇」に見えないって(笑)。システムキッチンはシステムキッチン。システムキッチンやLDKに罪はないよー。「幻想」っていえばいいと思ってるのかなあ。鈴木先生、対談の途中からなんども「それは早合点です」とか「それただの一般論でしょ(大意)」いっているんだけど、正直呆れているんじゃないかな。西山先生は3畳の部屋に9人が寝てて、赤ちゃん圧死みたいな状況などを事細かに調べて、「豊かさの基準」を切り詰める学会、政府の方針に対抗してたわけで、その後ろの世代が、結果的に豊かさを切り詰めるようなこと言ってる姿には悲しくなるなあ。そして「個食が問題だ」とかいってる食育おばちゃんとあんまり変わらなくなるんだよねえ。

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鈴木 社会学者の方は、こういった兆候がある、ああいった兆候があるとして、そのとび跳ねた姿ばかりをお出しになるけれど、全部が全部そうではないでしょう。たしかに先端的な兆候を見るということは大切なことですが、建築についてはそんな兆候ばかり追い掛けていいのだろうかと思います。

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 じゃあ、どこから勉強すべきかということなんですが、とても良い本見つけました。今年の8月に出版された本。

都市計画法改正-「土地総有」の提言-/五十嵐 敬喜

 見た感じ、難しそうな顔していますが、すごいわかりやすいです。ご安心ください。私、つまらない本を読んでいると、3頁目で眠れるという特技がありますが、刺激的な本です。こういう人もっと出てきてくれないかなあ。緻密な分析なんだけど、構想はきちんと大きいし、生活者として現実的で希望がきちんとある人。

 まず日本がいかに「建築自由」な国かというのがわかります。そして、八つ場ダムに見られるように、なぜ時代とそぐわなくなっている公共事業が止められず、必要な公共投資に付け替えができないのか、そして、一番大事なこと。国民が「なぜ豊かさを実感できないのか」。明治初頭からの都市計画法から歴史を概観し、さらに、建築規制についての国際比較、人口減少の段階に入った都市を寄せ集める方法など、「人口動態」と「都市規模」についての、まさに「国土改造計画 平成版」。

 欧米はそもそも「建築不自由」なところに規制緩和をしていくんだけど、日本は「建築自由」なところに規制緩和をしていくという状況なのね。日本はアメリカ、ヨーロッパよりもそもそも「小さな政府」なんです。だから「欧州だって規制緩和しているんじゃないか!」という前提が違うわけです。そして小泉内閣のときに、より一層「建築自由」になっていくわけなんです。

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 中でも特異なのは容積率である。容積率の制限はバブル時には、「床面積の供給」を妨げるとして規制緩和が叫ばれ、逆に不況のときには大きな建物を建てることは「経済の活性化」に繋がるとして、これまで規制緩和が主張された。つまり好況でも不況でも規制緩和だけが一人歩きしているのである。

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 1994(平成6年)には、地下居室の面積が延べ床面積に不算入となり、さらに1997年年には同じく共同住宅の廊下や階段、ピロティなど共用部分の面積が延べ床面積に不算入となった。さらに2007年には道路斜線制限が緩和され「天空率」という概念が導入された。

 この建築基準法の3つの緩和は都市の形を変えてしまうほどの効果をもたらした。建築物の大きさは容積率と建築物の高さの制限により決まる。このうち高さについては、第1種または第2種低層住宅専用地域は10mまたは12mと決められたいるが、先に見たように1970年(昭和45)年の建築基準法の改正により、他の地域では高さ制限が撤廃された。しかしここでも細かく言えば、全面道路の幅や隣地との関係、あるいは日影規制によって、一律に斜線制限がかかっていて、一定の建築制限を行っていたのである。これがなし崩しに緩和される。「天空率」を確保すれば採光等が確保されるとして道路斜線が適用されなくなったのである。

 共同住宅の場合、廊下や階段、ピロティなどは全体の延べ床面積の20%程度を占めるから、廊下等の共用部分の不算入は建物の床面積を2割程度大きく建築できる。同様に地下室などの不算入によって、傾斜地に斜面を切り崩して地面に接している部屋を多くつくることで容積率軽減を逃れる巨大マンション、いわゆる地下室マンションが建築され、各地でトラブルを起こすようになった。

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 人口減少というのは圧倒的事実であって、日本の経済をけん引してきた不動産投資が仮に活性化したとしても、タテへヨコへ薄くスプロールするわけなんですね。日本の都市計画や根拠法は「人口増加」を前提で作られているので、おかげで街が骨そしょう症になって、経済的にも非効率になるわけなんです。だから「規制緩和」やってる場合じゃないんですよ。

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 用途地域ごとの容積率を例えばドイツと比較してみると、ドイツでは住宅地区は容積率50%から120%であり、商工業地区でも100%から200%となっていた。また階数についてもきちんと制限されていて、日本のような建築紛争が発生する余地はない。しかし日本はドイツの5倍とか6倍というような高い容積率が指定されている上、階数制限もないため、低い住宅街に突如大きなマンションが建ち、建築紛争が頻発している。

 また政府は前にみたようにバブルの時代には地価が上がるのは「供給」が足りないからだという理由で容積率の緩和を主張し、バブルが崩壊して経済が不況になると不況を脱却する必要があるとして容積率の緩和を繰り返してきた。これは状況が正反対に異なっているのに同じ答えを繰り返すという、まるで頓知のような説明と言えよう。

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 「容積率緩和」は巨大、得に超高層マンションを都心に引き寄せる。そして超高層マンションは、低層・小規模のマンションに比べて改修・建て替え費用は巨額であり、工程も複雑化するため、管理組合の合意と費用捻出が困難である。将来は、不十分な修繕しかなされず、建て替えもできず、人が去り廃墟化される可能性が非常に高い。

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 「容積率緩和」の正当性としては、「長距離通勤が解消される」というのがあるんですが、そもそも高価なマンションの住人が長距離通勤してたんかい?だし、その「勝ち組」でさえ、「高層マンション」に潜むリスクを考えている?ということ。高層マンションにうれしがって住んでいるひとにぎりのお金持ちは置いておいて、中流層、生活困窮層にとって、ちゃんとした「都市計画」というものが日本はない。

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 日本では先の「建築自由の原則」により、双方ともできるだけ「権力の介入」を防ぐという目的で、可能な限り行政の裁量権を排除するという形で制度設計がされているということである。(略)この民間建築確認機構は、特定行政庁と異なって全国の建築物について審査することができるとされているため、沖縄や北海道の建築でも東京で審査できるようになった。逆からいえば、自治体は自らの地域に建築される建築物について、まったくコントロールができないのである。

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 日本の都市空間の特徴である高い建物と低い建物の現在、こちゃごちゃな用途、さらには延々と続く郊外地、そしてそこに建てられるスーパーマーケット、ロードサイドショップ、ホテルなどはそれらの結果である。これを別の角度、すなわち「近代」という視点からみると、それは「近代」の有していた自由以外の他の価値、例えば、フランス革命のスローガンとなった「平等」や「博愛」をすべて捨像するものであり、自由だけが極端に突出した姿ということができるだろう。

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 建築行政だけみてると、うちの国はほんとに権力から「自由」なんです。

 そして、公共事業の「不倒神話」ですが、なぜ、そういうことになるのか。

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 その典型が例えば、長崎県の「国営諫早湾土地改良事業」であり、当初、1983(昭和58)年の計画時点では、「米が足りない」という理由で、海を干拓して農地を造成するという予定であった。しかし完成した2007年時点では、反対に米あまりの時代となっていた。つまり状況は逆転した。「時間」が悲劇を招いたのである。

 それではこれらの事業は状況の変化に合わせて途中で修正できないのはなぜだろうか。(略)

 一つは、「都市計画決定」には法学上のいわゆる「公定力」という法的効果が発生し、裁判所あるいは決定当時者が取り消さない限り、その効力は「永遠」に続くとされていることである。(略)

 二つ目は、当事者が過去の決定を取り消さないのは、先輩が決定したものを後輩が取り消すことはしないという官僚内の慣行もあるが、それ以上に重要かつ本質的なことは、これまでみてきたように、決定をするということは「権利制限」をするということであり、これを解除するということはこの権利制限には理由がなかったということを認めることになると解されているからである。権利制限に理由がなかったとすれば「都市計画決定」は違法の可能性があり、「損害賠償」の対象となる。官僚にとっては、それはあらゆる手段を使っても避けたい事態であり、タブーなのである。

 最後に「事業確定」後の場合、決定当事者は地権者などに既に支払っている買収金あるいは補償金を返還させるのかどうか。あるいは自治体の場合は国から得ている補助金の清算(補助金に係る予算の執行の適正化に関する法律により、理由なくあるいは目的外に補助金を使用した場合には、年10.95%の割合で計算した加算金をつけて国に返還しなければならない 同法第17条~19条)をどうするか。

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 珍しく取り消した例についても、書かれているので、それは本書を。

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 以上の事実にもとづいて、日本のその他の国を比較しておきたい。

 日本では、まちづくりは、大きく都市計画と建築に分かれ、それぞれの観点に基づく土地利用のコントロールを開発許可と建築確認という方法で行っている。これと比べて諸外国では、まちづくりは主として土地利用規制を行う都市計画法に委ねられており、建築物の形態規制も都市計画法に規定されている。建築法は建築物の安全性や衛生に関する技術基準に限定される。(略)

 土地は本来基本的に自由なのであって、これが制約を受けるのは、その利用が他者を害する時だけであるとし、この他者への「侵害」を「公共の福祉」として捉え直し、これを法的に構成したのが日本の憲法の土地所有権であった。これを建築自由といおう。各国は、これとは反対の論理構成をとっている。つまり、土地所有権はもともと制限されているものあり、これを解放していくのが都市法であるのである。これを建築不自由といおう。これはいわば、前にみたワイマール憲法の「土地所有権には義務が伴う」を前提として都市計画を構成しようとするものである。

 この点について高橋寿一は、「わが国の場合には、建築自由から出発しているが故に、規制強化型・積み上げ型のものとならざる得ない。たとえば、都計区域→市街化区域・用途地域指定→地区計画の策定、という流れに典型的にみられるように規制強化的な計画をじょじょに積み上げていくことによって開発区域内部の環境の質の確保を図り、このことが同時に開発区域外の環境や自然を保全することに繋がっていく。

これに対して、ドイツやその他ヨーロッパ諸国で行われている土地利用計画は、わが国のそれとはその性格を大きく異にする。すなわり建築不自由を原則としている国々での土地利用計画は、建築不自由の状態を解除し、いわば白地ないし穴抜けになる部分(区域)について、都市的利用が可能になるように整備するための計画である。すなわちわが国の場合の土地利用計画は、環境や農地や森林を保全するために策定される場合が多いのに対し、ドイツにおける土地利用は開発=宅地にするために策定される場合が多いのである。この両者で用いられる土地利用計画ないし機能は、正に正反対の方向を向いており、このことは十分な注意が必要である」としている。

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(国土と人口に関する状況認識)

 ・日本は人口減少・高齢社会を迎え、2055年には8000万人から1億人弱の人口となると推計される。

 ・高齢化率は一貫して上昇し続け、2055年には高齢化率38.3~42.3%へ

 ・65歳以上の人口比率は、今後諸外国とも上昇していくが、日本の高齢化率は特に高い

 ・三大都市圏においても人口は減少する。

 ・農家戸数は1995年には344万戸だったが、2000年には312万戸、2005年には285万戸と減り続け、10年間で約59万戸に減少。

 ・一方、耕作放棄地は1995年には24.4万ヘクタールだったが、2000年には34.2万ヘクタール、2005年には38.5万ヘクタールと増え続け、10年間で約14万ヘクタール増加。

 ・世帯数は増加しているが、単身世帯、核家族世帯の数が大きく伸びている。

 ・高齢世帯が増えていることから、今後、福祉、医療、公共交通のサービスの役割が増大する。

 ・世帯数は2015年までは増加するが、その後減少に転じる。一方、65歳以上の世帯は、2015年以降も増加が続く。

 ・わが国の外国人労働者の割合は1%にも達しておらず、欧米諸国と比べても外国人労働者割合は非常に低い。