『終身刑の死角』河合幹雄著 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

『終身刑の死角』河合幹雄著

 裁判員制度がはじまって、派手な事件が起きてないということもおおいに関係してるんでしょうが、犯罪報道はおとなしくなっているように感じます。日本の裁判員は裁判期間中にどっかに隔離されないので、「メディアの報道に左右される」ことは懸念されていました。マスコミがそういった批判を恐れて気を遣っているのか、今のところはわりと淡々と報道してるのかな。介護殺人の裁判員裁判では保護観察をつけたようで、裁判員の方のインタビューでも「自由とは何かを考えた」とさらっと報道されていましたが、そうだよね、介護殺人の場合は「執行猶予」をつけることが果たして「寛大な判決なのか」ということは頭を抱えてしまうんじゃないかと思います。私は裁判員制度は、問題はいろいろあると思いますけど、保護観察をつけた裁判員裁判をみてると、一般の人が入る意味があるんじゃないかなと感じました。

 さて、「死刑制度」については、「死刑のかわりに終身刑」と唱える人も少なくないようですが、この場合の「終身刑」というのは、「仮釈放のない終身刑」をイメージしている人が多いんじゃないかと思います。そういった「仮釈放のない終身刑」というのはベストな落としどころなのか、実はそうともいえないというのが、このたびご紹介する河合先生の新刊の主張でございます。


終身刑の死角 (新書y)/河合 幹雄

 「死刑」や「無期懲役」が話題や問題になるとき、法曹の人もメディアの人も一般の人も、その視野の範囲というのは裁判が終わるときまでなんですね。実際の刑を執行してるのはそのあとなわけであって、「刑務所」をはじめとする矯正現場のことは、あまり知られていないように思います。

 河合先生の本は『累犯障害者 (新潮文庫 』や『犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書 』でもようやっと書かれた“「刑務所の福祉施設化」から考える終身刑”という趣きなんですけど、河合先生らしい軽い語り口で説明していて、犯罪関連のなかでもっともおもーい類の話なんですけど、なぜか笑ってしまうこのひょうひょうとした文章。文章能力はお父さん(河合隼雄先生)譲りなんですかねえ。ただ、方向性がどうしてここまで真逆なのか、ものすごく興味あるんですが。「箱庭療法」とか、「こころのノート」とかどう思ってらっしゃったんだろう(笑)。

---------------- 

 「(犯罪を)一つもなくす」ことを求めることは、真面目な議論を生むことはなく糾弾集会となるだけである。このような発言を国民の意見と捉えることは止めなければならない。気持ちや願望と、市民としての責任をもった意見とは峻別しなければならない。「一つもなくしてほしい」は願望としてはまったく真っ当なものではあるが、これは統治者ではなく神様にお願いする事柄である。もっとも宗教の次元でも、人間には全員の安全を祈り、犠牲者を悼むことしかできないと悟るべきであるように思う。いずれにせよ、このような営みは政治ではない。

----------------

 あはは。「家内安全」、お札な政治でいいの?ってことですね。

----------------

 受刑者の多くに見られるのは、知的障害とまではいかないけれども知能が低いという人である。重複するハンディのひとつに低い知能が加わっている人が、しばしば刑務所のなかにいる。これは実際に刑務所を観察していれが如実に見てとれる。さらに身体が健康でない人も多く、何らかの治療を受けていない受刑者は少数派に属する。

 新受刑者の統計で最終学歴をみると、半数近くが中卒以下、高卒中退も2割以上いるため、高校卒業以上の学歴をもつものは全体の3割に過ぎない。一般的には、むしろ高校中退などのほうにワルが多いのではないかという印象をもたれるかもしれないが、実態は高校に進学していない中卒の人が多数なのである。

----------------

 いつの時代のことだよ、というかんじですが、今です。「教育環境が悪い」とか「親が悪い」とかよく言われますが、そういう環境がそもそも「ない」に等しい人が多いってことですね。

 日本の刑は基本的に「懲役」ですから、刑務所は「働く施設」で受刑者は有期労働者ということですね。刑務所の運営は受刑者が担っている部分が多いので、プロパーの人員(刑務官)も少なくすみます。さらに日本の刑務官は丸腰で100人くらいを担当して、なおかつ事故も他国に比べて非常に少ない。お金もあんまりかけていません。「人材」という意味でみれば、こういった知能の低いハンディのある人たちをうまく使っているわけでして、刑務官って、“人を使う”という意味においては、日本の職業人のなかでトップクラスではなかろうか。がまん強くないとやってらんないでしょう。けれども、刑務官のそういった仕事ぶりを評価してくれる人はあまりいません。誰が評価してくれているかというと、河合先生も書かれていますが、皇室。

 日本の刑務官は「丸腰」というのが、他国に比べてある種矜持になっていますが、こういうところは世論が認めてあげるべきだと思いますね。警察官もそうですが、バンバン撃たないでしょう。安保ときもそうですが、基本的に「放水」じゃない?ただし、水鉄砲じゃだめなので、威力はある(笑)。いろんな国に輸出されているようですが、「殺さない」、「なるべく暴力を振るわない」という権力の方向性は大事だと思いますよ。やっちゃうとあとで大変ですしね。

----------------

 数年前に、中国人の受刑者が移送途中に手錠を外して逃げた事件があった。そのときは、その場にいた刑務官全員で逃走した中国人受刑者を走って追いかけてしまった。あろうことか、ほかの日本人受刑者はその場に放置されたかたちになった。ところが好機到来とばかりに第2の逃走を試みた受刑者は皆無だったのである。

----------------
 日本の近年の刑務所からの脱獄事例はゼロなんですけど、たまに空気読めていない外国人が脱走するというケースですね。これは「日本人は真面目でおとなしい論」というわけではありません。戦後の混乱期は脱獄もありましたし、刑務官が刑務所内で殺されるケース(年間5~6人)もあったそうです。戦中時期だと、東京大空襲の遺体を収容したのは、受刑者チームの(男性が兵隊に行ってあまりいない、当局が被害想定を間違えた)力が大きいのですが、逃げていないですね。

 今は地域や家族に受け入れてもらえるような人はそもそも刑務所に送られていないということでしょう。

 矯正側からいうと、「殺人」の加害者というのは、“優秀”と言われています。相対的な意味なので、一般人の言葉でいうと、“マシ”とか“使える”というニュアンスだと思います。日本の殺人者の大半は身内や知り合いを殺していますが、そういった憎むほど親しい人間関係があったし、作れる能力があるということ、そして殺人を犯すほどの体力はあるので、集団処遇が基本の刑務所においては“労働者として”は相対的にマシということなんでしょうね。

----------------

 実際、昨今では老人受刑者への介護をしやすくするよう一部の刑務所では施設内のバリアフリー化が進められている。これは考えてみればじつに滑稽なことである。50センチの段差を越えられない老人を4メートル50センチの高い塀の中に閉じ込めて監視をしているわけである。凶悪犯を出すなという人々の理由が、彼らが怖いからだとすれば、しなくてもよい心配をして税金を多額に浪費していることになる。

----------------

 「刑務所のバリアフリー化」(笑)。確かに変な話です。監視係とか「俺の仕事はいったいなんなんだ!」とか思いそうな状況ですね。

 刑務所の実態と、言論の中の刑務所というのはかなり違います。「5回以上の再犯が多いから、刑務所は凶悪犯罪者の更生は失敗している」とか言われてるんだけど、そもそも5回再犯できて、戻ってくる罪というんだから、まあ大した罪ではないでしょう。それに、刑務所のほうが社会より居心地がいいから戻ってくるんじゃないかな。そしたら失敗しているのは「社会」のほうでしょう。そして知恵や体力があれば、「こそ泥や万引きじゃなくて、強盗や強姦のほうが長くいられる!」と思うようなもんですが、そういった知恵も体力も腕力もない人たちは「凶悪犯罪者」ではないでしょう。

 あと「ずっと働いて被害者に金銭を送ってお詫びしろ」という議論もあるんですが、あんまりもらえないんですよ。月で数千円以下というレベルだから、そういう目的なら外で働いてもらったほうがいいんですけどね。そして総体でみても、そういう元気に働ける健康な若い受刑者が集まりにくいというのもありますね。「犯罪不安社会」で浜井先生が一生懸命リクルートしてるけど見つからなかった例を書かれていたように。


 そして、「仮釈放のない終身刑」を入れたらどうなるかというこの本の肝。「過剰な保護施設」か「過剰な監視施設」かというお見立てでしょうか。

----------------

 海外の事例では、受刑者に生きがいをもってもらうために、文化活動に取り組む時間を与える方法というのもある。過酷な労働時間を減らす一方で、読書をする、ピアノなどの楽器を弾く、絵を描くなどといった時間を付与する方法である。(略)

 このほかにも普通の受刑者に与えている優遇措置を遣いベッドや床の品質が上がって、舎房の住環境がよくなるといった措置もある。これらの措置は、刑務所内の秩序維持に資する目的であるのだが、ここに矛盾が生ずる。従順な受刑者は、やがて優遇措置が積み重なって、かなり良好な刑務所生活を送ることができるようになる。最高グレードの刑務所に収容されると、ちょっとしたリゾート施設にいるような処遇を享受できるとなれば、こうした場合に問題になるのは、ホームレスや貧困層の暮らし向きよりも、本来、厳罰に処せられているはずの受刑者のほうが生活レベルが高いという奇妙な現象が生まれてしまう点である。終身刑でなければ、極めて生活態度のよい受刑者はいずれ出所するので、ある程度の措置で収まる。ところが終身刑の場合は何十年も刑務所内で暮らすためその間ずっと従順である者のためにたくさんの優遇措置が用意されるようなことになれば、最終的にはそれが積み重なって、かなり快適な暮らしとならざる得ない。

----------------

 まあ強制的に「働いてもらう施設」に「終身雇用」を導入しようってことなんですけど、「まじめにすれば出られるよ」という仮釈放のアメがなくなり、一般の会社と違うのは、プロパーが少ないところに「請願」(クレームみたいなものでこれをたくさんやる人は刑務所の問題児となります)を受け付けてくれるので、それなりにほかの「アメ」が必要ってことですね。

 で、究極の「終身雇用」ですから、会社と違って「定年」がないです。でも年齢という物理的な限界があるので、「介護施設」も併設してないといけないわけで。刑務官や受刑者が毎朝おむつの取り換えをしなくちゃいけないですね。介護殺人で受刑している人にとっては、なんとまあ皮肉な施設。

 わずかな給食費未納で「モンスターペアレント」と言われ、生活保護世帯に「クーラーはオッケーか!」で裁判になる国ですからねえー。「刑務所がこんなに立派!」ってなると、たたかれるのは必至なかんじはしますね。

 もしくは、そうならないと以下のようになると。

----------------

 土地代の安い人里離れたところに刑務所を作り、食事を受刑者に配るのもオートマチックといったことになってくる。これはある意味、非人間性の極みである(略)。たしかに土地代と人件費は抑えられるが、このような人間社会から隔離されてしまった生活に刑務官がつきあわされるのもまたコストという認識が必要である。犯罪者を殺さない決断とは、共存していくという意味ではなかったのか問い直すべきである。このままでは表面上は殺さないでいますという「偽装」でしかないといえば厳しすぎるであろうか。

----------------

 私は日本の刑務所にそれほどお金をかけられるようにはならない気がするので、どっちかいうと、後者の方向になるかなと思ってるのですが、「地域振興」という利益とあわさって、刑務所シティがたくさんできたのが、アメリカですが、ひとつの刑務所の人件費と経費は抑えられても、200万人(700万人司法監視下※ちなみに日本の受刑者は約7万人)を収容+監視してれば、そりゃあお金かかりますがね。金融危機で破たんしました。

 「死刑制度のかわりに終身刑導入」というのは、ひとつの生命倫理の表明ですから、そういった言論はもちろんあってしかるべきだと思うのですが、それが政治や行政のリアルの現場にうつったときは、それを運用しなくてはいけない人がいるわけで、まず、現状の日本の矯正システムの評価すべきはきちんとすべきだと思うし、その「よい部分」を壊すようなことにならないように考えるべきだと思います。まず、きちんと「仮釈放が運用できる」ように「外の社会の受け皿」を用意すべきなんじゃないかと思います。

 でもある一定の年齢を超えた無期懲役囚は今でも実質終身刑です。だから「介護施設としての刑務所」もある程度充実させないといけないんだろうなとも思います。テレビでもね、高齢の被疑者が捕まると「70歳(無職)」とつけられるけど、「無職」いるのかなあといつも思います。「いつまでも元気で働きたい」というのは健全な願望だとは思いますが、「いつまでも元気で働ける」ことを前提で社会制度をつくることはできません。

 私は「死刑制度」については、「存置」か「廃止」かいわれても、それ両方ともピンとこないのよねえ。ただし、一般予防的にはまるで根拠はないというのは理解しています。治安がよいのに、このところ死刑執行が増えたのが「日本」と「パキスタン」だけって聞くと、それはなんだかなあと思います。鳩ポさんの大量執行で、現場の担当刑務官がノイローゼ気味になったとか聞くと、それ「イデオロギー」論争というより「労働問題」じゃないのかとも思うし。

 ただ、犯罪者を個別に見ていると、私もふつうに怒る人間ですので、たまに「死刑」出さないといけないかなあ」と思える人もいるのも正直なところ。とりあえずですね。「死刑制度」は残しておいても、(日本より治安の悪い国で)死刑を止めている国もたくさんあるんだから、止めて様子をみて、矯正現場の包括的な議論といっしょに国民にきちんと説明をしてから考えればいいんじゃないかなあと思います。あと死刑が出たあともできることはあるしね。河合先生も書いているけど、日本の矯正現場はかなり優秀だし、そういったことを「明かして」も認めてもらえないのが「日本国民」みたいって言われるんですけど、そもそも明かしてないことを理解しろというのはできないと思います。私は、わりと日本国民の読解力って信用してたりするんですよね。本作る人間がそこ信用しなくてどうするんだとも思うし。社会運動団体の集会行くと、「○○ふぉーらむ」とかさあ、変なところでひらがなになるじゃないですか。あれすごいいやなのよね。そういう感覚。マスメディアや運動団体のある種の「幼稚さ」を回避するのは編集者や記者が「自分より読者のほうがかなり賢いのではないか」と自覚するところからはじめないといけないんじゃないでしょうかね。