湯浅誠×浜井浩一 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

湯浅誠×浜井浩一

 去る5月16日に明治大学のリバティタワーでシンポジウム があり、湯浅誠さんと浜井浩一さんが登壇されるとのことで行って参りました。

 開催者もおっしゃっていたのですが、この手のシンポをやってこれだけ人が集まったのは初めてだったそう。大教室は満席。つめてください!とアナウンスがあったほどでした。湯浅さん人気すごいっす。宣伝してたわけじゃないのにね。まあ場所もお茶の水で便利だし、湯浅さんだし、けっこう集まるだろうとは思っていたんだけど、いやほんとにいっぱいでした。30分前に行って、前から2番目の席を確保したんですが、ちょうど湯浅さんの席の後ろでして、湯浅さんのうなじを見ながら、浜井先生の講義を聞かせていただきました。

 浜井先生の講義形式の発表は初めて伺ったのですが、非常にわかりやすく楽しかったです。「厳罰化、貧困、死刑、社会政策」といった、この世でこれ以上重い話題はあまりないぞ!って類の話だと思うですけど、浜井先生がユーモアを交えながらお話されるのでけっこう会場は何度も爆笑。それも「左翼の巣窟」で(笑)。京都住んでたら、授業行きたい!!と思いました。途中休憩のときに、こういう運動をされてきた思われる年配の女性が「ほんと、おもしろいわー!!」と興奮して話していたのが印象深かったです。ああいうふうな統計の話ってあまり聞かないですよね。

 シンポの詳しい話は、いっしょに行った方があげてくれるそうなので、私は浜井先生の新刊(浜井浩一責任編集 論考ももちろんあり)をご紹介します。

 

グローバル化する厳罰化とポピュリズム

 全世界の先進国の「多く」で「厳罰化」は進んでいるんだけど、その進み方はそれそれの国の政治や事情が異なっています。それを丁寧に分析した本です。おもしろかったー。シンポでも言われたのですが、よく人文系で人気のある「後期近代論」や「環境犯罪学」や「新自由主義」のタームだけでは説明できないことを、実証数字で丁寧に説明してひっくり返していきます。おばちゃんたちが興奮するのわかります。浜井先生によれば「これだけの犯罪学者の論文を集めたのは画期的。知る人ぞ知るだけど(笑)」だそうです。タイトルだけみると、“ポピュリズム批判”本に見えるかもしれませんが、ポピュリズム自体は別に悪いことではないわけです。

 読んでて思ったのは、アメリカの厳罰化と日本の厳罰化は少々違うんですね。アメリカは司法人事に直接的に民意が反映されるので、ものすごい政治的になってしまって、アメリカの学者さんは「直接選挙やめい!」とまで提案しているほど。

 浜井先生の論文は「犯罪不安社会 」の「鉄の四重奏」(マスコミ、市民運動家、行政、学者のセットがモラルパニックだけではない社会問題を作りだすフレーム)の分析をすすめていらっしゃいます。とくに検察官と犯罪被害者運動の分析に斬り込んでいらっしゃっる非常に刺激的な分析。

 マスコミが1件の犯罪で騒いでいるのは、先進国は、それだけだと、どこも騒いではいるんですが、騒いでいてても、厳罰化していない国はあるわけです。いわゆる“ポピュリズム批判”の論理展開だと、アメリカのような司法のシステムだったら、わかるんだけど、日本は官僚機構が強いので、ほんとなら「ポピュリズムによる厳罰化に抵抗があるはずなのにおかしい!」。説明として不十分だということですね。ですから、浜井先生は、まさに人事的にも政治的にも非常に独立している、日本のエリート、つまり「検察官の力がどれだけ大きいのか!」ということを分析していきます。

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 検察庁に受理された被疑者200万人のうち、実に80%が検察官の段階で(実質的に)最終的な処分を受けて刑事手続きを終了する。裁判官による正式な裁判を受けるのは約7%に過ぎない。また、この7%の者についても、検察官が圧倒的な証拠によって、犯罪を立証し(先述のようにそもそも有罪を立証できないと考えた場合には起訴しない)、そのうち約99.9%が有罪となり、量刑についても検察官が求刑を行う。(略)、また、ここが陪審員制度を持つ英米圏と大きく異なる点であるが、検察官は一審で無罪判決が出たり、検察官によって納得できない量刑を言い渡されたりした場合は、有罪やさらに重い刑を求めて上訴ができる。そして上訴された場合、図8に示されているように過半数を超えるケースで無罪判決が破棄され、逆転有罪判決や一審よりも重い刑が言い渡される。

 (略)検察官の権限は起訴前の段階でも絶大である。たとえば、よく海外から批判の対象となっているいわゆる「代用監獄(留置施設)」等への勾留については、警察に逮捕された状態で検察官に送致された被疑者の93%が検察官によって勾留請求され、そのうち却下されるのはわずが0.4%に過ぎない。つまり、検察官に勾留請求されたら、釈放されるチャンスはまずないのである。P101-102

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 裁判員裁判については、そもそも上訴の心配ないってくらい民のほうが厳罰するかもしれませんが、たとえば「無罪」となった裁判員裁判をそののち、どれだけあとの裁判で無視したかってことをきちんと調べて、その判決を問題にできるかどうかがメディアの仕事なのかもしれないですね。力を失わないようにするべく立法する側は、まあ「厳罰化になるだろう」し、もしくは「無罪になったら、あとでひっくり返してしまえ」という想定内で、検察側にとっては、今のところは痛くもかゆくもないってことですね。優秀な刑事弁護士を集めたいなら、無罪をとった場合は、国の犯罪を防いだってことで、1億円くらい出さないといけないんじゃないかなあ(笑)。あと、文脈とは関係ないけど、そもそも「ほとんど野に放たれて」おりますが、日本の治安は世界一でございます。

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 日本の検察官(検事)が刑事司法の中で強い影響力と発言権を持っている理由として、法務と検察が一体であることを忘れてはならない。日本の検事は検察官という法律家であると同時に、法務省の司法(行政)官僚として、司法行政の企画、法律の立案にも関与している、Johnson(2002)もその著書の中で、日本の検事は、検察庁から派遣される形で、法務省の中枢ポスト(本省の課長以上)のほとんどを占め、実質的に法務省をコントロールしていると指摘している。P103

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 図3は検察官の略式命令請求人員と公判請求人員の推移を比較したもので、略式命令請求人員が一貫して減少傾向にある中で、公判請求人員は2000年ぐらいから2005年までにかけて急激に増加している。犯罪が増加してるのであれば、略式命令請求人員も増加するはずであるが、公判請求人員のみが増加しているということは、検察官が罰金ではなく、実刑を求めて積極的に公判請求する厳罰化に方針転換したことが伺われる。また、この時期には単に公判請求が増加しただけれはなく、検察官の求刑も依然より厳しくなっている。P96

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 そして、「市民団体」の分析なのですが、長くなるので後日。日本だと「あすの会」ですが、この犯罪被害者運動も検察官の力を削がないかたちですすめられていることを分析されていらっしゃいます。現状は、検察官が納得しないと司法は変わらないってことなんでしょう。シンポでは、ニュージーランドの犯罪被害者団体の例を話しをされていました。少し日本とは事情が違っていて、安心安全団体+犯罪被害者団体みたいなかんじで、かなり強いメッセージを世に問うた話が書かれています。


 シンポの最後あたりに、湯浅さんは「犯罪イコール刑務所じゃないということがとても勉強になりました」との感想を言ってらっしゃいました。今までは刑事政策と社会政策をやっている方がバラバラなかんじがしてたんですけど、こういうふうに一緒に話ができるようになったのは、おもしろい傾向だなあと思います。法解釈の話しばっかりになると、法改正の話になりがちだし、実存の話だと教育論に話がいきがちになってしましますもんね。

 アメリカは極端な厳罰化なのですが、左も「社会保障政策」を守るがために、右も左も犯罪対策を競うように厳罰化してしまって、さすがに刑務所と刑務所人口増えすぎ。失業率の数字を下げるためじゃないのかと言われてるくらいの数字でございます。この経済危機でさすがに「刑務所運営費」が問題になっているということを浜井先生が最後に紹介されていました。皮肉なことですね。

 先日岩波明さんの新書を読んだら「刑務所の福祉施設化」という言葉が出ていて、論者の間では、けっこう知られるようになったんだなあと思いました。司法精神医学に関わる議論も、わりとフレームは似てるのに離れているかんじがしてたので、興味深かったです。本もおもしろかったのでまた紹介します。