『おひとりさまの老後』を読みました。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

『おひとりさまの老後』を読みました。

 ベストセラー上野千鶴子先生の『おひとりさまの老後』を「ダーウィン展」の帰りの電車で読みました。
 アマゾンのレビューもざーっと読んでみたんだけど、「強者の論理で書かれている、むかつく」ってかんじの評が目立つような気がします。そういう部分もあるとは思うんだけど、なんか最初に思ったのは、ぜんぜん『おひとりさま』の老後じゃないんですよね、男や家族のかわりに友達やペットですが大事ですって話ですから。結局、男や家族の“かわり”なら、かわりじゃなくてもいいじゃんって思われるじゃないかなあと思いました。それに彼女はポストモダニストなんだよね。じゃあ等価値なんじゃないのかね?というのが第一印象でしょうか。
 ネット上で、おたくの皆さんが、クリスマスにアニメの抱き枕をこたつに並べてパーティやりましたーというのを自嘲気味にあげて「痛い痛すぎる~」とみんなでわいわい騒いでますが、確かにあれは「ひとり」じゃないとできないと思うし、本田透さんの「ひとりがいいの!ひとりじゃなきゃだめなの!」的清清しさというのがぜんぜんないんですよね。
 それにひとり暮らしになった女性はセキュリティが大事だから、灯火管制よろしく部屋真っ暗にして山の中に鍵かけて閉じこもってますとか、ぜんぜんうらやましがられないと思うんですけど・・・上野先生が敵とする男が聞いたら逆に溜飲下げるような話じゃないんかなあ(上野ゼミに履歴書書いてきた就職希望の男性は“ただの昔の実績をいばりたいだけ”とパッサリも書かれていたりもするんですが・・・履歴書書かなかったらまたそれはそれで言われるんだろう、かわいそうに)。

 私はこの本読んで、上野先生自身の「強さ」ではなくて、非常に「弱さ」を感じました。
 だってねえ、自分が書いていた本はエロな本もあるから、死後の本棚が気になるとか、そんなちんまいことっていうか、主体を気にする上野先生って、なんかなあー私はあまり見たくないというか、それじゃあ、「千の風にのって」の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」ってキッパリしてるじゃない。大ヒット曲のほうが上野先生より上野先生らしい気がする。
 
 私は上野先生のような生き方も考え方もマネしようとも、共感もしないけど、こういう人や考え方や生き方だって別にアリだと思うし、おじさんを高級猥談で転がして東大教授まで上りつめたような踏み台にしてきたこともちっとも悪いこととも思わないわけです。でもさあ、プロフィールにあるように「理論的支柱」が本棚のエロ本を気にしてどうなのよというか、さっそうとかっこよいままこの世からサラッといつのまにかいなくなるほうがいいんじゃないかな。そこが茨の道であろうが。茨の道の楽しさだってもちろんあるでしょうし。でも茨の道から引き返したいけど引き返せないことに気が付いてしまった熱心な上野ファンの方がいたら、どういうふうに読んだんだろうと思いました。

 「ダーウィン展」でダーウィンが結婚するデメリットとメリットをまとめていたのが公開されてておもしろかったので書いておきます。

〔リスト〕結婚しない
 ●好きなところへ出かけられる自由
 ●社交界の取捨選択
 ●クラブでの才人との会話
 ●親戚訪問の強制も、くだらないことに屈する必要もいっさいなし
 ●子どもに対する出費を心配もなし
 ●たぶん口げんかもなし
 ●いずれも時間の浪費
 ●もしたくさんの子どもが腹を減ったとせがんだら---夜の読書ができない--肥満と怠惰---不安と責任---書籍等への支出減
 ●そうはいっても過労は健康に良くない
 ●もしかしたら妻はロンドンをいやがるかも。そうなれば田舎への追放とアホの怠け者への堕落だ。

〔リスト〕結婚する
 ●子ども(神の御心しだい)
 ●一生の連れ合い(それと、老いたときの友)
 ●関心を払ってくれる人
 ●愛情と遊びの相手
 ●とにかく犬よりはまし
 ●家庭、それと家事をしてくれる人
 ●音楽の魅力と女性との気軽な会話
 ●どれも健康によい
 ●しかし恐るべき時間の浪費
 ●やれやれ、一生、まるで働き蜂のように働きずくめの生活なんて考えただけでもいや---いやだ、ぜったいに
 ●煙で薄汚れたロンドンの家で独りぼっちで生きるなんて
 ●ソファーに座る優しくてステキな妻に暖かい暖炉、読書、たぶん音楽がおまえにとっての唯一の団らん風景
 ●この光景とグレート・マルバラ街の陰気な現実を比べてみろ
 ●結婚---けっこう-----結婚 証明終わり。


「犬よりはまし」だそうです(笑)そして「証明終わり」って・・・・ミミズの研究は40年・・・・(爆笑)


おひとりさまの老後/上野 千鶴子