「不安も事実である」とか言い出す人たち | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

「不安も事実である」とか言い出す人たち

 免許の更新に行ってきた。ぜんぜん乗ってないので、ゴールドカード('-^*)/。法律の改正ポイントなどを講習で聞いたんだけど、すごい厳罰化。もー車乗らない!お金かかるし。
 午前中の受付時間に間に合わず、警察署の近くの喫茶店でぽーっとしながら、本読んでましたが、この本おもしろかったよ。トロント大学の統計学の先生の本です。
 
 「運は数学にまかせなさい―確率・統計に学ぶ処世術/ジェフリー S.ローゼンタール」


 ジョエル・ベスト(→ハロウィーンの猟奇殺人って実はなかったんですけどって調べた犯罪学者です)の本を読んでいると、「不安を煽る」のに数字とか確率が誇張されたものが使われがちでございまして、そういうの彼は「スタット・ウォーズ」といっております。そういうのに疲れちゃってこうなってしまっている人もいるようです。「私たちは何も本当のことを知ることはできない、あらゆる視点を受け入れ、権威とされているどんなものにも懐疑の念をいだくべきだと示唆するポストモダンの理論家たちだ」(byジョエル・ベスト)とうんざりしてる新刊「統計という名のウソ―数字の正体、データのたくらみ/ジョエル・ベスト 」もおもしろかったですが、この理論家たちだけでなく、中には「減ってるとはいえ、問題はそこにあるから問題設定をせなばならない」という人もいまして、別にすればいいんですけど、「ある」ってことに加えて「減ってる」という前提も含めたほうが、「なんで減ったか」っていう解がその「ある」って問題自体の解決に役立ちませんかっていうのを忘れてしまう人もいるようです。それに社会政策にするなら規模やトレンドがないと、3人の問題なのか3万人の問題なのかってぜんぜん違うわけです。「人数の少ない問題」であれば、「コストがそんなにかかんない」から、「この予算からちょっとまわして」ってことで動かせばいいんじゃない。「話をでかくしないと、問題にならない」って癖から抜けないと不毛なスタットウォーズになるし、ほんとに無駄遣いになるような気がします。

 さて、前述の「運は数学にまかせない」は「確率論」と楽しくつきあうと、不安が軽減されて楽しく生きられるよ、そこんとこ、よろしくね、みたいなかんじでわかりやすく書いていってる本です。こんなかんじ。
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 ・外国旅行の計画を立てているとき、目的地ではテロが発生しているという報道があったので迷っている。それでも行くべきか。
 ・インターネットで安全に金銭取引するために秘密の暗号が必要になった。
 ・才気煥発な相手と知恵比べをする羽目になった。裏をかかれたくはない。
 ・犯罪率が手をつけられないほど高くなってきており、犯罪撲滅にもっと予算が必要だと、地元の警察本部長や政治家が口をそろえて訴えている。
 ・職場の会計部にいるかわいい女の子をデートに誘いたいけれど、断られるのではないか、ひょっとしたら苦情さえ言われるのではないかと気に病んでいる。
 ・最新の医療研究で効果が認められた薬を服用するよう医師に言われた。
 ・仕事のライバルにおまえがビジネスで成功するより雷に打たれる可能性のほうが高いと小馬鹿にされた。
 ・スパムがあまりに多いのにうんざりし、なんとかブロックする方法はないか。
 ・ある日、髪をグリーンに染めた人を3人も見かけた。これは新しいファッショントレンドか?
 ・友人からいわゆる「モンティ・ホール」問題を突きつけられた。3つのあるドアのうち、どれかひとつの後ろに自動車がある。3番目のドアの向こうになにもないことがわかっていたら、ドアの向こうに自動車がある可能性は高いか?
 ・素晴らしい曲が書けた。でも誰かほかの人がそっくり同じ曲をすでに書いているのではないかと心配になった。
 ・科学者やエンジニアは橋の建設や医療研究、核反応炉などに必要とされる複雑な数値計算をどうやってするのだろう? 
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 この中で殺人に関する確率について説明しているのが第5章。どこも同じようなものなんだなあと思うわけなんですが・・・。こんなかんじ。
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 殺人ほど社会の注目を集める事件はほかにない。その手口が陰惨であるほど、そして犠牲者が純粋無垢に見えるほど、シェイクスピアが「最も卑劣」と称した行為は大きな関心を惹く。殺人は交通事故や病気や飢餓よりも、いや航空事故でさえしのぐほど強く感情に訴え「明日はわが身」と私たちを不安がらせる。
 私たちが殺人にこれほど興味を示すことをメディアが見過ごすはずがない。新聞は殺人関連の記事でたえず第一面を飾る。(略)
 ほかならぬ警察も、私たちの関心を承知しているので、地域で起きている暴力犯罪に遠慮なくスポットを当て、そうした犯罪と戦うためにもっと予算を必要としていることを声高に訴える。
 政治家が犯罪への恐怖心をあおって、選挙に利用しようとすることもある。1995年に行われたオンタリオ州の総選挙を例に挙げよう。与党は「暴力犯罪の発生率の上昇」を強調し、野党の政治家もすっかり同調して「暴力犯罪が増えており、その凄惨さは言語に絶するものになりかけている」と主張した。
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 ちなみにこの本では日本も出てますが、殺人率でいうと一番低い(笑) で、ここで線形回帰分析の簡単な説明があって、こういう結論に。
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 正確な数は国ごとに多少異なるけれど、結論はいつでも変わらない。ニュースメディアや映画が生み出す印象とは裏腹に殺人はめったに起きるものではなく、知人や家族による犯行が見知らぬ人の犯行よりはるかに多いのだ。 
 もし街灯の影に頭のおかしい殺人者が潜んでいるという不安に駆られることがあったら、そんな心配をするようりも、配偶者の最近の行動を調べたほうが身のためかもしれない!
 殺人事件の発生率がそれほど高くないという事実と、一部の政治家やメディアの「誇大広告」とは食い違っている。では事実を突きつけられたら、彼らはどんな反応を示すのだろうか。たいていは完全否定だ。トロントのある政治家は、あっさり、こう切って捨てた。「あらゆる犯罪が減っているなんて話には、およそ同意できない」。警察本部長はこう言い張った。「犯罪が減っているというのは実際には見せかけで、数字をいじくったか、というだけのことだ。そういう話をしている輩はよそのニュースを伝えているに違いない。トロントだけじゃなくてね。」
 さらに突っ込まれると、自分の正当性を証明するかのように、市民が犯罪に対して抱く不安を指摘する。最近見たテレビの討論番組では、司会者がパネリストに犯罪の発生上昇に対してどんな措置をとるべきかと尋ねた。数人が犯罪の発生率は実際には低下していて上昇はしていないと答えると、司会者はこう切り返した。「それはないでしょう。犯罪への不安が増しているという事実を否定するつもりなんですか。」またある政治家は言った。「統計値だけに注目するのではなく、不安という要因に目を向けるべきだ」
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 ちなみに、日本の警察の論文とか読むとすでにそういうこといってる方もいます。・・・そうならとりあえず確率論を出すべきなんじゃないかと思うんですけどね。


2006年に「子どもの安全」に不安が集まって、予算化した金のほんの一部が以下です。

文部科学省 
---子ども安心プロジェクト 2億円
---地域ぐるみの学校安全体制整備 14億円
---子ども待機スペース交流活動推進事業 7億円
---地域で子どもを見守る全国ネットワークの構築 1億円

警察庁 
---地域安全安心ステーションモデル事業 1億3000万円
---子供緊急通報装置 2000万円
---街頭緊急通報システム(スーパー防犯灯) 2億2000万円

 福島県---学校周辺のパトロールを警備会社に 2300万円
 栃木県---警察官OBスクールサポーター 4700万円
 東京都---公立小学校へ防犯カメラ 10億5600万円 ( ̄□ ̄;)!!

せっかくなんで取り調べ室にスライドしたらどうなのでしょうか?
 大阪府---ネットで電子地図提供 3100万円
 山口県---商店街で防犯教室 街頭緊急連絡装置 3400万円

 

 みんなだいたい不審者対策だよね。ちなみに見知らぬ人から殺される「通り魔殺人」は以下ですね。犯罪白書からのデータそのまんまです。

 厚生労働省の平成17年の死因のデータにはこうあります。


◎自殺--30,533名

◎不慮の事故--39,863名

  うち交通事故--10,028名
  うち転倒・転落--6,702名---平らなところ 3,879名 ---段差のあるところ 687名
  うち溺死--6,222名---浴槽 3,756名---河や池など(自然)1,268名